疾走

 余りのことにエレンシュタトは声も出ず、口をパクパクとさせて喉の奥から乾いた息を漏らしていると、


「胴鎧だけか? 賭博のカタに取られたのか?」


 彼女は四年前と全く変わらない様子で笑い掛けてきた。


「春光卿……生きて……生きていたのか」


 酒場で春光の騎士のサーガを聴くたび、エレンシュタトは酒の量を増やしたものだった。彼女が死んだ原因は、エレンシュタト隊の若い連中が功を焦って敵を深追いし、少数で山に入ったためだ。エレンシュタトは春光卿とその手勢と共に、彼らを諌め連れ戻す為に山に入って、春光卿が爆発に巻き込まれるのをその目で見たのだ。

 春光の騎士グリステル・スコホテントトが活躍するサーガを聴くたび、エレンシュタトはその咎を責められるような気持ちになって居た堪れずに、酒を呷るしかなかったのである。


「まあ話はあとだ伯爵。先に食べ掛けの皿を片付けてしまおう。耳の傷は? まだ戦えるか?」

「勿論だ」

「予備は広刃剣ブロードソードしかない。使えるな?」

「鍛錬は欠かしていない」

 春光の騎士は馬の鞍に括られていた鞘から剣を抜き、刃を持って柄をエレンシュタトに差し出した。受け取ったエレンシュタトはそれをくるりと一度回して具合を確かめた。

「馬を並べるのは四年ぶりだな。左後方は任せていいか?」

「引き受けよう。どこまでも付いてゆき、貴君を護ろう。一命に代えても」

「簡単に一命に代えるな。貴公は嫡男だ。砂を噛み泥を啜っても生きて帰れ」


 春光卿グリステル・スコホテントトはそう言うと面体を下ろし乱戦の喧騒と土埃に馬首を向けて駆け出した。


 慌ててその背中を追い掛けながらエレンシュタトは


 相変わらずだ……間違いない。幻でも偽物でもない。グリステル・スコホテントト、春光の騎士は生きていたのだ。


 と心の中で確信した。


***


 春光卿の左後方に付きながら戦場に向かうエレンシュタトだったが、意外に敵と斬り結ぶ回数は少なかった。


 彼女は戦場の外側を大きく周りながら、手薄な所に兵を回す指示を出したり、危機に陥っている味方の援護に駆け付けたりはするものの、全体を把握し、優勢を保ったまま戦力バランスを最適化して味方の損害が最小限になるよう、十人隊長を動かしているようだった。驚いたことに吟遊詩人のサーガは殆どそのまま真実を伝えていたようで、彼女の隊には揃いの白い鎧を着て、妖魔もエルフもドワーフもいた。


「ザジ!」

『ああ!』


 戦いが始まって四半刻ほど経ったろうか。

 春光卿は鹿毛の馬に跨った一頭のオークを呼び止めた。


「デックたちと合流して西に回り込め。東西に線を引いて北側に押し込む」

『北側? 奴らの陣に逃げられちまうぜ』

「それでいいんだ。死兵を作れば余分な被害が出る。メロビクス」

「はっ。おそばに」


 エレンシュタトはギョッとした。

 いつの間に現れたものか、春光卿のすぐ隣に白い馬に跨った少年がいて畏まっていた。


「大勢は決した。エルフの皆に戦場の撹乱はやめ、落馬した者、傷付いた者の収容と治療に移るように伝えてくれ」

「御意」


 その時、近くで馬が高く嘶き、エレンシュタトはそちらに注意を払った。

 それは主人を失った空馬で、こちらに害はなさそうだった。

 エレンシュタトが意識を春光卿の方に戻すと、白い馬の少年は消えていた。辺りを見回してもどこにも見えず、彼はエルフという妖精族が姿隠しの魔法を使うという言い伝えを思い出した。あの少年がエルフなら、見た目通りの年齢ではないのかも知れない。


「どうした? 伯爵」

「いや……私はてっきり、貴君が死んだと思っていた。急に目の前に現れたと思ったら妖魔や妖精と一緒だ。つまり……」

「現実とは思えない?」

「私は死んで、ここは『喜びの野』じゃないかと」

「成る程。ならば喜びの野でもう一働きだ。敵を奴らの巣穴に押し込む。ここまで来たら、大声を上げて駆けるだけでいい。ありったけ声を出せ」

「心得た」

「行くぞ伯爵」

「ああ、春光卿」


 二人は大声で雄叫びを上げながら戦場を真北に向かって駆けた。

 それに呼応するように、白い鎧の仲間たちも雄叫びを上げ、剣を振り立てて一斉に北上を開始した。


 東西に伸びた白い軍団の戦力が、散り散りになった妖魔の軍勢の残党を北に追いやって行く。


 春光卿とエレンシュタトがその先頭だ。

 エレンシュタトはこの戦争に参加してから始めて、戦いが楽しいと感じた。

 春光卿の左後方を護りながら、どこまでもこのまま、果てしなく駆けてゆきたい、と心から思った。



***


「我が軍の残存兵は二十ほど。みなこちらに逃げて参ります。我々の負けですな、ヴァハ将軍」


 狼の頭をした戦士長オゥロボは、彼が仕える鴉頭の将軍にそう告げた。


「まさか敵が伏兵を隠していたとは。まんまとしてやられましたな」

「違う」


 将軍は振り向かず、物見から戦場を見下ろしながら答えた。


「みな殺せ」

「は?」

「逃げ延びて来た者だ。敗兵は、我が軍にはいらん」

「……畏まりました」

「運だよ」

「運?」

「あれは王国の騎士隊の伏兵ではない。巷で噂の春光の兵団だ」

「春光の兵団⁉︎ 神出鬼没しては我が軍を手玉に取っているという……竜殺しのグリステルが率いる幻の軍!」

「恐らく、戦場から戦場への移動中にたまたまこの戦いに出くわしたのだ」

「なんと……それが本当ならは、ツキがないですな。ヴァハ将軍がなんの神を頂いているか存じませんが、神に見放されましたかな」

「ふひゃひゃひゃひゃひゃひゃふゃ」


 オゥロボは、将軍のこの笑い方が嫌いだった。


「神に見放された? 神は私と共にあるよオゥロボ」

「しかし、戦いは……」

「戦いはこの平原で終わりではない。私はたった八十の兵の損失で、春光の兵団の、グリステル・スコホテントトの手の内を見ることができたのだ。こんなに幸運なことはない。ああ神よ。この僥倖への感謝のしるしに、戦いを生き延びた強運な魂を二十、あなたの御許にお送りいたします」


 将軍は祈るような仕草をした。オゥロボが今まで影の民のどの種族でも見たことのない作法の祈りだった。


 黒い鳥の羽を沢山縫い付けたマントを揺らして恐らくは笑っているだろう将軍の背中を見ながら、オゥロボは逃げて生き延びた仲間を処刑する作業の憂鬱さに溜息をついた。

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