最愛

「育ての親……ヴァハ将軍が」

「バルサミ・クレェァ、神父……」


 タリエとウルリチがそれぞれ呟いた。

 グリステルは頷いて続けた。


「今から十二年前だ。前線は後退し、教会は臨時の防衛拠点となった。修道女様たちや他の孤児たちは避難したが、私と神父様は教会と図書を守る為に義勇兵として残った。地獄だったよ。それ以外に言葉はない。私は幸運にも生き残り、騎士たちと戦いに出た神父様は戻らなかった。

 十二年の間に何があったのか……次に出会ったのが三日前のあの戦いだ。

 私と違う正義に辿り着いた神父様は、影の民を率いる将軍になっていた。

 神父様は面を取って私に正体を明かし、私を責めた。何故真実を知りながら、人間の王国に味方して戦うのか、と。死んだと思っていて、突然目の前に現れた最愛の人からそう問われて、私は咄嗟に返す言葉を失ってしまった」


 グリステルは言葉を切ったが、他の誰も黙り込んで何も言わなかった。しばらくの間、重たい沈黙がその場の全てだった。


「その後、神父様は言ったんだ。私に、一緒に来い、と。私の罪を許すと。私を、正しい道に導くと」


「……グリステルは、なんと答えたのですか?」


 ティターニアが恐る恐るといった様子で尋ねた。


 グリステルは自嘲の笑いを見せた。長い付き合いだったが、彼女がそんな表情をするのをタリエ=シンは初めて見た。


「何も言えなかったよ。何も。本当にどうしていいか分からなくなった。神父様は……私にとって絶対だったんだ。正直に言おう。私は神父様を大人として尊敬していたし、親として大事に思っていたし、恋もしていた。大人になったら、神父様と添い遂げたいと本気で思っていたんだ。愛していた。その恋は、戦場の混乱に引き裂かれたわけだが」


 誰も、何も言えなかった。

 各々自分がグリステルの立場なら、どうしただろうと考えてみるが、答えを出せる者はいなかった。


「そこにザジが割って入った。神父様は……ヴァハ将軍は人狼の戦士を護衛に連れていたが、ザジは二人を相手に私をかばった。その時にタリエたちが突入を掛け、彼はその隙を突いて私を逃した。

 私が……ザジの亡くした奥方に似てるのだと言って……。

 私が死ぬのを、見たくないと言って……」


 グリステルの目に、なみなみと大粒の涙が溜まった。


「春光の兵団には私が必要だと、若い者を助けろ、と私を突き飛ばした。私はディバーラを拾い、メロビクスに助けられ、戦場を脱した。多くの仲間を、ザジを、置き去りにしたままで」


 グリステルは気丈に振舞おうとしていたが、両の目からは溜まり切れなくなった涙がその青ざめた頬を伝って細く流れ落ちていた。


「そして後は皆の知っている通りだ。おめおめと生き残り、こうして生き恥を晒している」


 またも一同の間に重たい沈黙が横たわった。

 それを破ったのはティターニアだった。


「私は……」


 彼女はゆっくりと丁寧に言葉を紡いだ。


「……あなたが生きて帰ってくれて嬉しいです。グリステル・スコホテントト」


「死んだ鳥は玉子を産めぬ、という言葉もある」


 そう諺を引用したのはデック・アールブだった。


「嬢ちゃんが生きて帰れたのは、我々に取っては幸運だわい。もう一度やれる、ということだからな」


「死んだ者は帰りませんが、春光卿」


 タリエ=シンは静かに言った。


「誰一人、恨む者も後悔する者もおりません。春光の兵団には勇者のみです」

「勿論だ。春光の将軍は全力で戦った。力及ばずとて恥じることはない。臆病で負けたのではないのだから」


 勇猛な野牛族の戦士はそう言ってグリステルを励ました。


「野牛の長よ。嬢ちゃんは将軍を名乗ったことはないぞ」

「敵が将軍なのにこちらの長が隊長では示しがつかんだろう」


 ドワーフと牛頭人の、言い合いでも始めそうな雰囲気を悟ったウルリチが、それを遮って提案する。


「とにかく、今日は皆で一杯飲もうではありませんか。そう思って都から上等のワインを持参して来ております。銘柄はシャトー・ラジュンシュの九十四年。樽でありますからお代わりはご遠慮なく。帰って来られなかった仲間たちの為に。帰って来られなかった仲間たちの分まで」

「これは気が利くではないか商人の坊主。皆の衆よ。戦いには負けた。多くの犠牲も出た。だが我らはこうして今、生きておる。大将も無事だ。今宵はそこの絹包みの青びょうたんの言う通り、大いに酔って戦いに散った仲間を悼もう。彼らも、いつまでも我々が俯いて母なる大地とばかり話しているようなことは望まんだろうからな」


 そう言ったのは勿論、酒好きで知られるドワーフのデック・アールブだった。


 皆の前に盃が置かれ、宝石のような輝きのワインが注がれる。


 だが、グリステルは席を立った。


「すまない。……肩の傷が痛むんだ。私は、しばらく休む。皆は遠慮せず、ウルリチの心遣いを受けてくれ。ウルリチ。いつも気を遣わせているな。ありがとう」


 グリステルはそう言うと、部屋を出て行った。

 メロビクスが黙ってそれに付き従った。


「……嬢ちゃんは、もう戦えないかも知れんの」


 乾杯の合図を待たずに勝手に飲み始めたデック・アールブが、ぼそり、と言った。


「春光卿は、そんなに弱い方ではありません」


 タリエ=シンはそう言って、手にした盃を一息に干した。


「そうでしょうか」


 ティターニアは手にした盃の薔薇色の液面に自分を写しながら、彼女の胸中に思いを褪せた。


「敵が最愛の人だと分かって。殺すと本気で思えるものでしょうか。私は……グリステルがもう戦いたくないなら、それを認めてあげたいと思います」

「ではどうするのだ。妖精の姫よ。我々春光の兵団は。この戦は」


 野牛族ラミナンティアの五十人隊長、ボビナエ・ボビーニがそう疑問を口にする。

 

「さあ……」


 妖精の姫は盃を持ち上げ、一口それを飲み下した。


「確かなのは、この戦は戦いたくない彼女を将に頂いたままで、勝てるようなものではないということです」

「道理だの」


 ドワーフも同意した。

 ウルリチは、盃だけが置かれた空の席を見て、彼の最愛の人を想った。

 彼女が、グリステルが倒すべき敵だったなら。想像しただけでウルリチは吐きそうになって、その想像を自分から追い出すようにワインを胃に流し込んだ。




 その夜、グリステル・スコホテントトは、春光の兵団の本拠地であるグリステルスタッヅから、姿を消した。




*** 了 ***

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