辺境の修道女

来客

 「神の恵みと図書の教会」の修道女、シスター・ドリス・エンゲルハルトは、目を覚ますと身なりを整えて、もう一人の高齢の修道女シスター・バンカルティエ・ディーロリスを起こしに向かった。


 かつては多くの孤児を預かり、十五人の聖職者が勤めたこの教会だったが、今では修道女がたった二人。時折巡礼者や図書を参照に来る客の相手をする以外は、朝夕に祈りを捧げながら、教会と書庫と墓地とを日毎に割り振って掃除するだけの生活だった。


 外は静かに雨が降っているようだった。

 季節は晩夏から秋口に差し掛かろうかというところで、 夜明け前の今は、すぅーっと涼しい。

 今日は庭の草木に水遣りをしなくて済んだわ、と思いながらシスター・バンカルティエに朝食の支度を頼み、自分は教会の門戸を開けて礼拝堂を掃除するために蝋燭を一本立てた燭台を手に先に階下に降りた。


 その時彼女は、微かに馬のいななきを聞いたように思った。


 外は雨で、間も無く日の出とはいえ恐らく夜と変わらない暗さである。

 気のせいかしら、と思いつつも木のベンチか並んだ礼拝堂を抜けて正面扉まで行き、閂を外して、そっと開け、外を伺ってみた。


 外の雨は思ったより強く、霧のように漂う細かな水の飛沫と濡れた土の匂い、そして何より感覚全てを塗り潰すような雨の音が彼女の顔を撫でた。


 シスター・ドリスは手にした燭台を外にかざして、変わった様子がないか確かめようとしたが、降りしきる雨と夜明けの暗さはそれを許さず、彼女は軽く首を振って扉を閉めようとした。だがどこか自分の足元に違和感を感じて、それを確かめるために燭台を低く下げた。


 手だ。


 平たく成形した石の三和土たたきの上に革の手袋が覗いている。

 戸口の左側から、その手は地面に手を突くようにして出されている。

 誰かが座り込んでいるのだ。


 シスターは驚いたが、病を得た旅人か誰かだろうと当たりを付けて、外に出て、その人物の正面に屈み込んだ。彼女の背中は正面扉に設けられた軒から少しだけはみ出て雨がまともに当たったが、旅人にとってはそれどころではないかも知れなかった。


 旅人は湿った重たい外套から水を滴らせながら、教会入り口の脇の壁に寄りかかって座り込んでいる。


「大丈夫?」


 旅人は肩で息をしていた。

 やはり病か。それとも怪我か。


「とにかく中へ。安心なさい。ここは安全よ」


 シスターは自分が濡れるのも構わず、旅人に肩を貸して助け起こそうとした。


「立てる? ゆっくりでいいわ」


「シスター……」


(女の人……)

 シスターは意外に感じた。外套やズボン、ブーツの雰囲気などから若い男性だろうと見積もっていたからだ。


「シスター……ドリス」

 うなされた時の寝言のように旅人がつぶやく。それを聞いたシスターは動きを止めた。

 旅人のフードを脱がせ、雨で張り付いた前髪をめくり上げる。

 そして柔らかい表情を作り、目に涙を溜めながら、旅人に告げた。


「まあまあまあ……長いお出かけだったこと」


 そして身体の向きを変えて、シスターは彼女が面倒を見ていた孤児を、その成長した姿を抱きしめた。


「お帰りなさい。小さなグリシー」

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