大敗

 惨憺たる有り様だった。


 春光の兵団はこの作戦に際し、百五十の兵を五十の三隊に分けていたが、敵はその突入を完全に読んでいて、陣営の前線を除くコの字の外側は全て泥の堀と木馬の迎撃部隊が配されていた。


 戦いから三日たち、グリステルスタッヅに辿り着いた味方は八十三名で、三日の内にさらにその内の九名が死んだ。命を拾った者も傷付いていて、長く治療を必要とする者が二十一、比較的軽傷の者が三十六、無傷の者は二十に満たなかった。


 グリステル自身も脱臼の治療を受け左腕を吊っていたが、傷付いた者たちを見舞い、一人一人に声を掛け、戦傷手当の増額を約束し、配当金をその身内に配って回った。

 中には作戦責任者としてのグリステルを責める空気を持つ者もいたが、グリステル自身が傷付き、また彼女自身もその分身のように頼む相棒を失っていたから、それを直接言葉に出す者はいなかった。


 彼女は見た目には以前と変わらなかったが、その言動はどこか力なく、ふと一人になった時には目を伏せて考えごとをするような様子が度々見受けられた。


「グリステル様」

「……メロビクス」

「タリエ様が」

「……分かった」


***


 グリステルスタッヅの中央広場のそばに建つグリステルの館には、王国の百人隊長となったタリエ=シン、春光の兵団の金庫番、ウルリチ・モイテング、北の妖精族の女王、ティターニア・リョーサルムヘイム、ドワーフ十二支族の評議員の一人、デック・アールブ、かつてはザジが勤めていた影の民の代表として野牛族ラミナンティアの五十人隊長、ボビナエ・ボビーニが既に来ていた。

 大きな円卓を囲み、皆が鎮痛な面持ちで黙って席に座っている。


「揃っているな」

 エルフの隠密戦士、メロビクスを伴って現れたグリステルは、列席するそれぞれの勢力の代表を確認するとそう言って自分の席に収まった。

「まずは……皆に謝りたい。今回の大敗の責任は、全て作戦を立案し指揮を取った私にある。私の力不足のせいで、沢山の死傷者を出してしまった。人間も、エルフも、ドワーフも、影の民も。傷付いた者も、命を落とした者も、皆武勇に秀でた誇り高い戦士たちだった……本当に済まない」

「……何があったのです?」


 そう問うたのはタリエ=シンだった。


「敗軍の将、兵を語らず、と言うが説明責任を果たそう。

 近頃影の民を率いるようになった鴉頭の将軍を知っているな?」

「出自不明の知略に優れた謎の将軍ですね……確か名前は、ヴァハ」


 そう言ったのはエルフの女王ティターニアだった。

 彼女は戦場から最も遠い立場ではあったが、各地に放ったエルフの密偵たちからの情報を統合して集積しており、この場の誰よりも戦争全体について把握していた。

 グリステルは頷いた。


「そう。ヴァハ将軍は影の民の軍制を刷新し、部隊編成を改め、古今洋の東西を問わず様々な計略と戦術を戦場に持ち込んで王国軍を、神聖騎士団を苦しめている」

「今回の相手が、そのヴァハ将軍だったというわけだな」


 確認したのはドワーフのデック・アールブだった。グリステルは再び頷いた。


「我々の策は完全に読まれていた。敵陣の三方には泥の堀が配され、木の葉や枯れ草を被せて隠されていた。外側に並ぶ敵の騎馬は全て木馬で、騎兵の武器は全て長槍だ。我々はいつものように雷轟弾の投擲と合わせて突撃を敢行したが、爆発に馬は微動だにせず、我々が突っ込んだのは泥の堀だった」

「我々がもう少し早く異変に気付いて突撃を掛けていれば……被害はもう少し小さく済んでいたかも知れない。申し訳ありません、春光卿」

「その呼び方はよしてくれタリエ=シン。逆に良く判断して援護してくれた。きみの隊とノヴォーコの隊が突撃を掛けて戦局を動かしてくれたお陰で、我々は全滅せずに済んだのだ。……奴らは泥に落ちた我々に徒歩で接近し、次々と長槍で突いて回った」

「誤解を恐れずに言うならば、敵ながら優れた作戦だ。我々が一番やられたくないことを的確にやっている」

 抑揚の少ない低い声でそう感想を述べたのは、牛の頭の老練の戦士、ボビナエ・ボビーニだった。

「我々は大敗したカッシアでの戦いの直前に、ポロヴェツ平原で王国軍に加勢している。参戦は戦いの中途からだったが、後で聞いた話によれば、敵は変わった策を打って王国軍を翻弄したようだ」

「変わった策? それはどのような?」


 興味深げに訊き返したのはウルリチだった。


「夜明け前に敵陣に松明がともり列になって押し寄せて来た。隊長は打って出ての抗戦を命じたが、それは敵の騎馬ではなく、角に松明を括り付けた牛だった。突進する猛牛の群れとまともにぶつかって混乱する騎馬隊に矢の雨が降り、ズタボロになったところに敵の騎馬隊が攻撃を掛けた」

「……確かに、初めて聞く戦法ですね」

「我々野牛の民にすら、そんな戦い方はない。それは影の民の知恵ではないな」


 タリエ=シンの言葉にボビナエ・ボビーニが応じた。


「東洋古来の戦術、火牛の計だ。ギンペ興亡の書にある」


 グリステルはきっぱりと言った。


「グリステルは、その書を読んだことが?」


 ティターニアが控え目に質問する。


「……少し、私自身の話をしてもいいか?」


 異を唱える者がないのを確認するとグリステルは自分の生い立ちを一同に語り始めた。


「私は孤児だった。

 戦災孤児だ。

 バイツェンマンシェルの『神の恵みと図書の教会』に拾われて、そこの神父様と修道女様たちに育てられた。グリステルというのは修道女様が付けてくれた名だ。神父様は近隣の教会と連絡を取りながら戦災孤児の保護活動をしていた。私は、そんな神父様に保護された幸運な戦災孤児の一人だった」


 グリステルは目を閉じた。


「賢い方だったよ。百年戦争の最中に家の後ろ盾のない子供が生きるには知恵と勇気がなければならぬとの考え方で、私たちに文字の読み書きを教え、書庫を解放し、一緒に沢山の本を読んだ。教会は、図書を神からの贈り物とする教えが代々受け継がれていて、古今東西の凡ゆる本が整理されて保管されていた。ギンペ興亡の書も、その中の一冊だ」


「……待ってください。では火牛の計を、ギンペ興亡の書を知っているヴァハという将軍は……」


 グリステルはウルリチの想像を肯定した。


「ヴァハ将軍は私の育ての親の神父様。バルサミ・クレェァ神父だ」

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