墓石

 切れぎれの雲から差す日差しは昼下がり、夕刻に近いかという様相だった。


 シスター・ドリスと揃いの僧衣に着替えたグリステルは水を汲んだ手桶に教会の前庭から採った花を差し、シスターの後について墓所に入った。


 雨上がり。一定間隔に整然と並ぶ濡れた暮石は陽の光に輝き、グリステルは不謹慎かも知れないと思いながらもその景色を美しい、と感じた。


「まずはあなたのお墓ね」


 シスターはそういうと霊園の中央の一際大きな墓碑へとグリステルをいざなった。


 磨かれた黒大理石の低い塀に囲まれて、白く光る白大理石の塔があり、その頂上には水晶の女神像が天に両手を差し伸べている。


 グリステルはそれを目の当たりにしてまず、ふふっと笑ってしまった。だがシスターが言っていた「誰かの腕が埋葬されている」という話を思い出して、その死者に不敬だと思って頰の緩みを引き締めた。


 グリステルは手桶の水で暮石を洗うと墓の前の供え台に山査子さんざしの花を供え、名も知らぬ腕の持ち主の魂の平安を祈った。


 ナターラスカヤの衝突戦の、ドーラフェンヘルスの崖道での罠に巻き込まれた者の腕ならば、恐らく王国騎士の同胞の誰かだろう。他人の墓に収まって他人への鎮魂の祈りを捧げられる日々は複雑な心境だったに違いない。直接にグリステルのせいでそうなったわけではないが当該の墓碑の主人として彼女は埋葬された腕に謝罪の意を込めて黙祷しこうべを垂れた。


 風が吹き、雲雀ひばりが鳴く。

 静かだった。

 今が戦時であることを忘れさせるほどに。


 グリステル・スコホテントト

 安らかな眠りを

 光と安らぎが満ちる天の花園で


 簡単な墓碑銘。生没年はない。


 グリステルはふと、自分がその墓碑銘のままに天に召され、穏やかな魂だけの日々を送っているような錯覚に陥った。

 いっそその錯覚のままに、このままここで辺境の修道女として暮らすのも悪くない、という考えが頭をよぎる。


「次は、戦没者の碑ね」


 そう誘うシスター・ドリスの声が、グリステルの淡い想像を中断させた。


***


 グリステルの墓碑から更に進んだ墓地の一番奥に、黒大理石の大きな板が、咲き誇る花々に半ば埋もれるようにして横たわっていた。


 中央に、暮石全体に比してとても小さな字で「百年戦争で命を落とした全ての死者」とだけ書いてある。

 その手前に同じ黒大理石に浅く四角く窪みを穿った供え台があり、グリステルは暮石に水を掛け、供え台に山査子を供えて膝を降り、手を合わせて死した仲間たちの為に祈った。


 目を閉じたグリステルの瞼の裏に、今まで失った彼らの姿が去来する。


 髭面の山賊あがり、ダムゴダ。狐のような風貌の無口な騎士、コーエン。東方から来た難波船の生き残り、ジュウナイ。数少ない馬頭族の若者、フワカツェ。平民の孤児で、誰よりも戦争を憎んでいたマセマー。逆に戦いを愛したドワーフ女性、ティケッツネー。エルフの親友同士、モトークとキャナマール。

 先の戦いで帰って来れなかった者たち。騎士隊の中で、一緒に爆発に巻き込まれた者たち。これまでの戦いで命を散らして行った、志を同じくする彼ら。


 そして。


 巨漢の、ぶっきらぼうな豚男。


 暗闇の中に、いつもと変わらぬ様子で立ち、跪くグリステルを見ている彼。


 ザジ──。


 グリステルは彼に語り掛ける。


 ──私は、今まで、全力で駆け抜けて来た。

 この馬鹿げた戦争を終わらせる為に。

 きみとの約束を果たす為に。

 きみに救われたこの命を、大義の為に使う為に。

 だがきみは──いなくなってしまった。

 私の前から。永遠に。

 何かが切れてしまったよ。


 笑ってくれていいが、元々私は……騎士なんて柄じゃないんだ。団長だ隊長だというような器でもない。辺境の教会で、炊き出しをするくらいが精々の、つまらない女なんだ。神父様が亡くなって騎士になり、きみに命を助けられて春光の兵団を率いる立場になったが、神父様は生きていて、きみはいなくなってしまった。

 私は……分からなくなった。

 私のして来たことはなんだったんだ。

 このふざけた戦争の発端となったのは、間違っているのは人間の方だ。

 神父様が、影の民に味方するのは正しいと思う。

 そうして、影の民を勝利に導いて、戦争を終わらせるのが……いや、終わらせたところでなんになる?

 一緒に平和な時代を目で見て、耳で聞いて、肌で感じる筈だったきみは既にいないというのに……。


 豚男は何も言わない。

 ただ、いつものように片足に体重を載せて立っているだけだ。


 グリステルの閉じたままの左目から、涙が一筋、頬を伝った。


 彼女はかなり長い時間そうしたまま、その場所を動かなかった。



***


 グリステルが仲間との、死者との対話を終えて目を開いた時、辺りは既に夕焼けに赤く染まっていた。


「長々と、ごめんなさいシスター」


 グリステルは付き合わせたシスター・ドリスにそう謝罪した。


「いいのよグリシー。まだ、ここに居ても」

「もう充分です。亡くなった者たちに幾ら語りかけても、彼らは何も言いませんし」

「……そうかしら」


 シスター・ドリスのその返事の意味をグリステルは掴みかねて、彼女の顔を見た。


「日は暮れて来たけれど、もう少しだけ私に付き合ってグリシー。あなたにもう一つ、見せたいものがあるの」

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