死者
「これは……」
それは墓碑だった。
墓地の外れに。ひっそりと。黒い飾り気のない四角い暮石に、名前と没年だけが小さく掘られていた。
墓碑銘はバルサミ・クレェァ。
グリステルはシスターを振り向いた。
「戦没者の方々とまとめても良かったのでしょうけど。なんて言うか……けじめと思って別の墓碑にしたの」
「神父様のお墓……」
「冷たいようだけれど、グリステル」
シスターはグリステルの隣に進み出て膝をおり、印を切って墓碑に祈りを捧げた。
「あなたは何か救いを求めてここに来たのかも知れない。あるいは、迷った道の道しるべを。けど、そのどちらもここにはないわ」
グリステルは短く息を吸い込んだ。
「私も、亡くなった神父様も、神様ですら……あなたがどうするべきかの答えを持ちません。けれど、あなたが何かを決めたなら、未来に向かう無数の道の一本を選び歩き出すなら、その決断を受け止め、見守って、可能な手助けはしましょう。私たちの信仰における互助とは、そういうものなの」
「シスター・ドリス、神父様は生きていらっしゃったんです。我々人間の、王国の敵として」
シスターはかぶりを振った。
「それは神父様かしら」
「間違いありません……お顔を見ました。私を、小さなグリシーと呼んで……」
「あの方は、優しい方だったわ」
シスターは祈りを終えて立ち上がり、夕焼けに赤く燃える空を見上げた。
「私たち女や子供、お年寄りにだけじゃない。野山に生きる小さな生き物。川に泳ぐ魚。花や草。地に満ちるあらゆる命を大切になさっていた。歌が好きで、本を読むことが好きで、知性と礼節を重んじ、声を荒げて怒るようなことは決してなかった。人前で溜息をつくようなことさえも。そんな神父様だから、あなたは……好きだったんじゃなくって? バルサミ・クレェァ神父のことが」
「…………」
グリステルは言葉に詰まった。
「私はそうだった」
「……シスター」
「でも……私の好きだった神父様は、いなくなってしまったのだと思う」
「…………」
「あなたの話を聞いて、初めは喜びもしたけれど。あなたが戦場で出会ったのはバルサミ・クレェァ神父じゃない」
一陣の風が吹いた。
「亡くなった神父の身体に取り憑いた、戦争の亡霊だわ」
グリステルも空を見上げた。
赤く燃える空に筋雲が何条も走る。
目を閉じた彼女は自分に問い掛けた。
余計なものを一つ一つ取り除いて、どうするべきかを問い掛けた。
何が真実なのだ。
何が正義なのだ。
誰に答えることができよう。
誰に答えることができよう。
たった一つ、はっきりしていることがある。
私はまだ、約束を果たしていない!
グリステルは目を開けた。
真っ赤な空。燃えるような空だ。
「シスター」
「なあに」
「ありがとう」
「お墓を案内しただけよ」
グリステルは踵を返して歩き出した。
「行くの? もう日暮れよ」
「仲間が待っている」
「そう……次は仲間の方と帰ってらっしゃい。何人来ようと徹夜でお料理してでも全員に空豆のポタージュを振る舞ってあげるから」
***
グリステルは馬を駆り、すっかり日の暮れた暗闇の街道を北に向かっていた。
迷いは晴れた。
鴉頭の将軍が死者ならば、私もまた拠り所のない死者だ。殺し殺され、どちらかが再び死んだとして如何ほどの意味があろう。生きても死んでもなんの差もない死者ならば、せめて友との約束のために、この仮初めの命を使おう。
戦争を止めるために。
これ以上の悲劇の拡大を、理不尽な暴力と死の連鎖を、止めるために。
黄昏を経て辺りは闇に包まれたが、すぐに大きく明るい月が道を照らして、並足程度なら危険はなさそうだった。
ザジ。きみと一緒に今までの私は死んだ。
そして、生まれ変わったのだ。
もう泣かない。もう迷わない。
私のできる限りを尽くして、約束を果たそう。
きみと、きみの家族と、今までに散った仲間たちのために。
先を急ぐグリステルの馬の行く手に、小柄な人影が立った。
旅人だろうか。
グリステルは馬速を落とした。
だが近寄るに連れて、その人影がある一点から動いていないのが分かった。
夜の街道にたった一人立ち尽くす影。
グリステルは訝しみ、緊張した。
更に近づくと月明かりに照らされたその人物の輪郭や目鼻立ちがはっきりしてきた。
グリステルは、ほっと安堵した。
その影は、グリステルがよく知る人物だったからだ。
グリステルはその人物に声を掛けた。
「メロビクス。迎えに来てくれたのか?」
エルフの少年は答えない。
「メロビクス?」
少年は冷徹な視線をグリステルに向けた。
そして淀みのない動作で彼女に向けて弓を構えた。半分に切った竹の導管に番えられた短い弓矢。導管矢「マエグ・グワエウ」だ。
「何をするメロビクス! よせ!」
かんっ
グリステルの制止を全く無視して、メロビクスは一瞬の躊躇もなくエルフの秘矢を放った。
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