足跡

『あの鹿の残骸は熊の喰い残しだったって訳か』


 ザジは松明で熊の足跡を辿りながらそう感想を述べた。

 グリステルがその後に続き、その後ろに有り合わせで作った松葉杖をつきながら歩くオベルと、彼に肩を貸しながら歩くティタが続く。


「ああ。邪悪な竜などいない。伝説など確かめて見ればこんなものだ」

「……だといいのですが」


 グリステルの言に、控え目に反論したティタはどこか釈然としなかった。

 一族の伝説を簡単に間違いだと思えない気持ちだけではない。熊や鹿、猪のような森の獣はティタたちエルフにとっては隣人も同然。熊を見て竜だと言うような者がエルフにいるだろうか。しかも一族の伝説は去年や一昨年と言った最近生まれたものではない。彼女の祖父、少なくとも三世代以上前──六、七十年は前から伝わる話だ。その間、熊がずっとこの穴を根城にしていたのか疑問だ。瘴気落としの奈落に落ちたあの熊はこの冬をたまたまここで越しただけの、魔窟の主人あるじではなく言わば軒借りの客人なのではないか。グリステルが咄嗟の機転で倒したあの熊以外に、本当のこの穴の主人……「邪悪な竜」がいるのではないか。そんな気がしてならないティタはしかし、この魔窟からの脱出路の手掛かりを見付けて明るい気持ちになった一行に水を差す事を躊躇して、彼女の懸念をその小さな胸にしまった。

 脱出路の手掛かり。

 そう。蛇ならいざ知らず、熊がこの魔窟で生まれたとは思えず、その痕跡を逆に辿れば出口に通じているのかも知れないのである。


「不安なのは分かる。だがオベルも意識を取り戻し、外への手掛かりも見つかった。油断禁物な状況に変わりはないが、慎重になり過ぎて行動しないのは全員の命を縮める。食料はあと一日分しかない。座していては死を待つだけなのだ」

「それは……その通りです、グリステル様」

「グリステルでいい。歳もそう変わるまい。彼のこともザジでいいぞ。こっちもどさくさ紛れでティタとオベル、と呼んでしまっていたしな」

「オベルは十七、私は十五ですよ」

「そうか。なら私が少しだけ歳上だな。ザジは……ザジ、きみは幾つだ?」

『ああ? なんだ歳の話か? 四十二しじゅうに……いや、四十三しじゅうさんだな』

「もっと上かと思っていた」

『そういや歳の話になったのは初めてだな。嬢ちゃんは幾つなんだよ』

「三十五だ」

『嘘だろ?』

「ああ嘘だ。二十一だ。来月には二十二になるが」

『冗談が下手だぜ』

「私の冗談はどうだった? オベル」


 急に話を振られたオベルは驚きながら答えた。


「言って……良ければ」

『おう、言ってやれ言ってやれ』

「私はオークに名前があるのも、歳があるのも、こうして会話ができるのも驚きで、それ以外のことが心に入って来ません」

『俺かよ』

「我々もエルフに会えるとは思わなかった。お互い様だな」


 そう言ってグリステルは愉快そうに笑い、


『違えねえ』


 と言ってザジも笑った。ティタとオベルも釣られて笑った。ティタは笑うのを随分久しぶりに感じた。


 その時、ティタの前髪をふわりと撫でる風があった。


「風……。皆さん、風です! しかもこの風は森の……外の空気の匂いがします!」

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