馬屋の貴公子

突撃

 グリステルは被ったマントのフード越しに早朝の曇り空を見上げた。


 愛馬ダークネスがいななく。いななきは朝の冷たい空気に白い息となってほどけた。

 少し興奮してるようだ。

 彼女は手綱を保持したまま、どうどう、とダークネスのたてがみを撫でた。


 隣に、マントを羽織った巨漢の豚男が馬を寄せて来た。

 戦斧杖ハルバードを肩に担いだ男は眼下に広がる草原の両軍の具合を一瞥いちべつする。


 気合いの声。金属同士がぶつかる音。悲鳴と怒号。何かが砕け、倒れる音。そんなものが切れ切れに風に乗って聞こえてくる。


『予定通り……いや、ちょっと影の民が押してるかな』

「ああ。だがその方が好都合だ」

『羽帽子と大剣は?』

「上手くやっている。中央の激戦区。王党派の子息連中は左右と後方。戦ってるふりだけしていたいようだ。今日も明日も。その先もな。……皆の様子は?」

『今日が初陣のエルフの若い連中が緊張してガチガチだ。それが伝わって馬たちが耳を回してるぜ。早駆けで突撃したらそれだけで全員縺ぜんいんもつれてコケそうな勢いだ』

「ふむ」

 彼女は馬首を巡らせて、隊列を組む人間、妖精、人間たちが「魔物」と呼ぶ北方民族「影の民」が混合する「春光の兵団」の元に戻り、その兵たちを見渡した。戦場で助けた人間、エルフの志願兵たち、戦火を逃れて来て、だがグリステルたちに賛同し、戦うことを選んだ影の民たち。数は三十一騎。確かにエルフの新兵の列からは頻繁に馬のいななくく声が上がっていて全体に落ち着きがない。

 グリステルは被っていたフードを脱いで、隊列に向き合った。


「間も無く我らは王国軍の援護のため、眼下の戦場に突入する」

 グリステルの声は朝靄あさもやを突いて良く通った。

「作戦の目的は撹乱。敵陣に雷轟弾を投石紐スリングで投射。爆発で混乱した所を我々が隊列を組んで駆け抜ける。いいか、駆け抜けるだけだ。斬り掛かられたら防御に徹しろ。敵を討つ必要はない」

 作戦前のブリーフィングの内容を、グリステルはもう一度兵たちに確認した。

「我々の突入に呼吸を合わせて、王国軍の協力者が敵主力を叩く算段だ。駆け抜けたらそのまま平原の向こうの森に入ってテガンゼの湖まで移動。集合して休憩したら我々の寝ぐらに帰る。まあ単純な作戦だ」

 グリステルは肩の力を抜いて笑って見せた。

「貴君らに期待するのは早駆けの手綱の技と、鬼神が来たかと敵が錯覚するような大声だ。敵が驚いて怯めば怯むほど、勝利は確実になる」

 グリステルは一人一人に目線を送りながら落ち着いた調子でそう語りかけた。

「安心しろ。今日は雷神日だろう。私は八年騎士をしていたが雷神の曜日に部下から死者を出したことはない。私が洗礼を受けたのが雷神日。叙勲したのが雷神日。副隊長のザジが生まれたのも雷神日で、彼が結婚したのも雷神日だったそうだ」

 ザジは黙ったままウンウンと頷いた。

「だから今日、我々の隊から死者も落伍者も出ない。諸君が、訓練通りに馬を操れば。そして死神を払うほどに大きく叫べば。さあ練習するぞ。息を大きく吸って腹から声を出せ。……我々は勝つ!」

 我々は勝つ、と皆が言った。

「足りないな。それでは死神を払うどころか呼び寄せる。もっと大きく。天の使いがラッパを落とすような声を出せ。今度は三回行くぞ。遅れるな」


 グリステルも大きく息を吸い込んだ。


「我々は勝つ!」

「我々は勝つ!」


「我々は勝つ!!」

「我々は勝つ!!」


「我々は勝つ!!!」

「我々は勝つ!!!」


「よし! 間もなく突入だ。その時も今の勢いを忘れるな!」

あぶみと手綱をもう一度確認しろ。ちょっと待ってなんて言われても待てねえからな!』


 グリステルは再び戦場を見渡せる高台に向かう。ザジがその隣に馬を付けて付いてきた。


「これでいいか?」

『誰が雷神日の生まれで誰が雷神日に結婚したって? お前この前は美神の日に洗礼受けて美神の日に叙勲したって言ってたろ。そもそも俺たちの部族に曜日なんて風習はねえ』

「責めるならもっともらしく頷いてたきみも共犯だぞ。馬の耳は皆、前を向いた。文句はあるまい」

『飛んだ騎士サマだぜ。出鱈目で部下を鼓舞していいのかよ』

「今は騎士ではない。気負って妙な手出しをして馬脚を乱すなよザジ。きみが深追いしても私は駆け抜けるからな」

『こっちの台詞だ。せいぜい爆発する道に気を付けな。落とし掛けたお前の命、二度は拾ってやらねえぜ』

「無論そのつもりだ。殿しんがりを頼む。新兵の援護を」

『任せな。やれやれまたガキたちのお守りか』

「誰でも最初は鼻垂れ小僧さ」


 戦場から角笛が三回聞こえた。


「よおし、行くぞ。雷轟弾点火」

 火薬玉と革ベルトの投石紐を装備した雷轟隊が配置に着き、次々と導火線に火を点ける。投石手はそれぞれ、火の付いた雷轟弾を投石紐でグルグルと回して勢いを付ける。

「放て!!!」

 グリステルの号令で、十二の雷轟弾が微かな煙の尾を曳きながら放物線を描いて眼下の戦場に吸い込まれて行く。


「全隊突撃! 真実は我にあり!!!」

 おう、と覇気のこもった返事と共に皆がグリステルとともに拍車を掛ける。三十三騎は一体となって矢頭の陣形で敵陣の横腹に突っ込んで行く。砂塵が上がり幾重にも重なった馬蹄の響きが唸りのように聞こえる。前方で撃発した火薬の玉が轟音と火柱を上げ、突然の事態に敵の馬は暴れ兵は混乱し隊列は乱れた。


「抜剣! 恐れるな! 春光の兵団には勇者のみ!」


 グリステルも抜剣して雄叫びを上げた。眼前の、混乱して右往左往する魔族の兵たちが彼女たちの突撃に気付いて悲鳴のような声を上げる。重なった春光の兵団の雄叫びが一つの轟きのようになって戦場に響き渡る。


 グリステルは漆黒の愛馬で最先陣を駆けながら今日の作戦の成功を、彼女たちの勝利を確信した。

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