言葉

「こちらは、私の友人のペルガー・ペデルセン師だ。語学と歴史学、妖精や魔術の専門家」

「初めまして。ペデルセン師。アーガスバーグの銀行家の息子、アントン・ヒューガーと申します」

「私は同じくアーガスバーグの商家の息子、ウルリチ・モイテングと申します、ペデルセン師。お会いできて光栄です」


 翌日。

 約束の時間にボッカム邸を訪れたアントンとウルリチの二人に、ボッカムはペルガー・ペデルセンを引き合わせた。

 彼はボッカムより年配で、小柄な枯れ枝のような老人だった。だが、ボッカムが交友し敬意を持って接している以上、ひとかど以上に偉大な人物であることは疑いなかった。


「ヒューガーにモイテング。この国の経済を捏ねて焼く二つの腕が、今この部屋に集っているのですね」


 老人は漏らす息の音で笑いを表現した。


「で、魔術を見たのは……」

「私です。ペデルセン師」

「成る程。話はボッカム師から伺っています。あなたは魔女に恋をして、その正体を探っていると」

「はい」

「ふむう……」


 ペデルセンは唸った。

 彼は茶を一口飲むと、ウルリチに向き直った。


「私はあなたに伝えたいことが二つあります、ウルリチ・モイテング」

「はい」

「一つは、その魔女を追う恋は……これはあなたには受け入れ難いことでしょうが、やめておきなさい、ということ。無理にその恋を追うならば、あなたは今の満たされた幸福な暮らしを失って不幸になり、下手をすればその恋の為に、一つきりの命すら失うでしょう」

「…………二つ目は? それは私が求める答えですか?」

「心は変わりませんか? その恋は、今のあなたの持つもの全てと、引き換えにする価値のある恋ですか?」

「失礼ながら、ペデルセン師」


 ウルリチは静かな声で言った。


「恋をしたことは?」


 ペデルセンは目を一度閉じて、何かを思い出すような表情をした後、再びそれを開いた。


「エルフ語です」

「エルフ語……? 森に住む妖精の、あのエルフですか?」


 ペデルセンは頷いた。

 ウルリチの隣で、アントンも小さく「エルフ語……」と呟いた。

 ペデルセンは革表紙の古い書物を取り出し、注意深くそのページをめくった。


「今から百年程前、トマス・エルセルドゥーンという男がエルフの国へ迷い込み、その王女に見初められ、二年の月日をその国で過ごしました。二年目の春、老いた母を案じたトマスは自分の村に帰ったが、村では三十年が過ぎており、住民は入れ替わり、母は亡くなっていた。悲しみに暮れたトマスは失意の内に病を得て天に召されました」


 ペデルセン師の手が、あるページで止まった。


「この本は、トマスの病床の言葉を、エルフの国での暮らしを聴き取り、書き起こしたものです。リンガラティンは?」

「読めます」

「ここです。『彼らが使う"マエグ・グワエウ"は恐ろしい。貫く風、という意味だ。目に見えず、びゅうと音がしたかと思うと獲物が死ぬ。それは死の天使の矢だ』」

「貫く……風」

「死の天使の、矢」


 ウルリチとアントンはごくり、と喉を鳴らした。


「では……では彼女は、僕が見た魔法騎士はエルフだと?」

「マエグ・グワエウを使って敵を倒したんですよね」

「ええ、しかし……」

「荷馬車の食料を、一城の兵を一週間養える量のそれを、森の精霊に捧げる、と言った」

「はい、ですが……」

「彼女の言葉に、森の木々がざわめきで答えた」

「………」

「正直、その魔法騎士がエルフかどうかは分かりません。しかし、エルフとなんらかの関わりがあるのは確かでしょう。エルフの術を操り、森の精霊を使役している」

「それは……その通りです」

「驚くべきは、エルフの精霊魔法と同時に、魔物を使役する召喚魔法を行なって見せた点です。精霊魔法と召喚魔法を、我々は便宜上同じ魔法という言葉で括って呼びますが、二つはその歴史も術理も全くことなる。どちらも同時に操るとなると、エルフかどうかすらも疑わしい」

「……では、なんだと言うのです?」

「得体が知れません。エルフ語を操る何か、としか」

「…………」

「だから、おやめなさいと言うのです。ウルリチ・モイテング 。あなたほどの方なら、良家の子女でも、貴族の息女でも他に幾らでも縁談はありましょう。幸せを捨て、命を失うことになりますよ」

「あなたは偉大な賢者です。ペデルセン師。しかし恐れながら、今回に限っては二つ間違えていらっしゃる」


 ウルリチは微笑んで言った。


「第一に、彼女に出会うまで、僕は幸せなんて感じたことはなかった。満たされたこともない。他人から幾ら恵まれて生きているように見えたとしても、私は川に捨てられた空っぽの樽のように流されるまま虚ろに暮らしていただけだったのです。

 第二に、彼女に出会うまでの僕に命も魂もなかった。それは彼女に出会い、彼女を知ったあの日に生まれたのです」

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