鍛治

 鹿毛の馬に跨るグリステルが河沿いの廃村に戻ってくると、戦いは既に終わっていて、仲間たちは倒した敵の死体を弔う準備を進めていた。


「グリステル様!」

「メロビクス。良く助けに来てくれた」

「グリステル様! 良かった! グリステル様!」

 エルフの少年は落涙しながら笑っていて、グリステルは正直ちょっと気持ち悪かったが、それもまた彼の真面目さと主人を思う真剣さ故だと思うと微笑ましく、またありがたくもあった。

 グリステルは馬を降りて手綱をメロビクスに預け、繋いでおくように頼んだ。


『終わったか?』

 ザジがそう言いながら近づいて来て、革の水筒を投げて寄越した。

「ああ。馬をありがとう。お陰で私自身の手で決着を付けることができた」

 水筒の中身はワインで、グリステルは自分の喉がカラカラだったことに気がついた。

『坊やのグリステルもいい動きだったぜ。あいつ、ちゃんとした訓練を受けてるな?』

「さあ……私も良く知らないんだ」

『一晩を共にしたのにか? 誰なんだよ』

「一夜の恋人に直接聴いてみよう」


***


 クロビスはすっかり疲れ切って、木の根元に座り込み、ぼんやりと目の前の光景を眺めていた。エルフとドワーフとオークが、倒した魔物を名乗る人間の悪党の遺体を並べ、手を胸の上で組ませて、埋葬の下準備をしている。


 これは現実か? という要素が多過ぎる。

 彼は昨夜までの「いつも通り」が何処か遠くに去ってしまったことを実感していた。


 見ていた景色を遮るようにすぐ近くに水筒が差し出された。


「一つ提案がある」


 グリステルだ。


「改めてお互いに自己紹介しないか? 私はグリステル。グリステル・スコホテントト」

「クロビスだ」

「クロビス。クロビスか。開祖王クロビス・テューリンゲンと同じ名を貰ったのか。由緒ある良い名前だ。すまなかったな。最初から本当の名前を告げないで」

「お互い様だ。私が君の立場でもそうしただろう。それに……そこはさして重要じゃない」

 クロビスは渡された水筒の中身を飲んだ。水かと思ったがワインだったのに少し面食らったが、酒の方が好都合だった。とても素面ではいられない。


「グリステル・スコホテントト」

「なんだクロビス?」

「君は……何をしようとしてる? 何故こんなことができるんだ?」

「こんなこと、とは?」

「エルフとドワーフは争い合う仲だろう。両者とも高慢で人間を嫌っている。それにザジ将軍の一族……魔物は人間の敵だ」

「そうだな」

「それを一つの兵団にまとめて戦うなど……。どうやったんだ? その兵団で何をしようと言うんだ?」

 グリステルはクロビスの隣に座った。

「きみを侮るわけでも、馬鹿にするわけでもないんだが、クロビス」

 グリステルはクロビスの手を取った。

「その問いへの答えを、今きみに告げることはしないでおこうと思う」

「何故?」

「その答えを告げることは、きみを苦しめることになるからだ。それは呪いだ。私自身がかけられ、今まさにその中にある」

「グリステル。その答えで……呪いで、この先一生苦しむことになっても構わない。教えてくれ。君が何を背負っているのか。呪いとはなんなのか」

 グリステルは黙ったままだったが、クロビスの手を握る指に、きゅ、と一瞬力がこもった。

「駄目だ」

「グリステル」

「きみにはまだ、その準備が出来ていない」

「君の命を救ったぞ」

「お互い様だ」

「友だろう」

「友だから、だ」


 グリステルは潤んだ瞳でクロビスを見た。その瞳はクロビスを突き放すことに苦しむ彼女の苦痛が滲んでいた。


「君には、この戦いの外側にいてほしいんだ」

「……まさか、まさか君は」

「デーック!」


 グリステルは手を離して立ち上がると、作業していた誰かを呼んだ。ドワーフがこちらを向いて、手を振って分かった旨を示し、こちらに歩いてくる。


「紹介しよう。こちらは私の命の恩人で友人のクロビスだ」


 ドワーフはジロリとクロビスを見た。

 クロビスは立ち上がり会釈をした。


「クロビス。こちらはドワーフの戦士にして最高の鍛冶屋でもある。デック・アールブだ。その剣を打ったのが彼だ」


「悪いが握手はせんぞ。我々ドワーフは、気安く相手の身体に触れる風習はないんだ」


 不機嫌そうにそう言うデック・アールブという名のドワーフは、近くで見てもやはり手足の生えた樽にヒゲだらけの頭を乗せたような男だったが、クロビスはそう感想を述べるのは思い留まった。


 クロビスは傍に立てかけていた剣を手に取った。


「初めまして。デック・アールブ師。私はクロビス。あなたの打ったこの名剣で命を救われたものです」


 つまらなそうにそっぽを向いていたデックが、ぴくり、と反応した。


「良く斬れるだけじゃない。振っては軽く、突いては鋭く、受けてはしなやかで剛い。儀礼用の煌びやかなだけのお飾りとは違う優れた剣だ。それに不思議な刃ですね。峰と刃とで鋼の色が違う」

「……クロビスと言ったな」

「はい」

「グリステル。こいつは若いのに中々見所があるじゃないか」

「当然だ。私の友だぞ」

「クロビスとやら。その剣はわしが今試行錯誤を続けている新しい手法で打った剣の七本目だ。他の六本は使い物にならなかったが、その七本目でようやく思った効果を得ることができた。剣の質は、その材料の鋼に寄るところが大きいのは分かるだろうが、その性質には一長一短がある。細かく言えばキリがないが、武器として使う中で一番その剣の威力に影響するのは打ち鍛えた後の刃の硬さだ。鋼が硬ければ硬いほど、薄く磨いて鋭くすることができるが、ただ鋭く硬いだけの剣は欠け易く、折れやすい剣になってしまう。さりとて弾性に質を傾ければ欠けたり折れたりはし難くなるが、今度は斬撃の対象に対してもしなやかな甘い剣になってしまう。ご存知『オイン=グローインの苦悩』というやつだな」


 クロビスはデックが引用した「オイン=グローインの苦悩」について全くご存知ではなかったが、さも知っている雰囲気で相槌を打ちながら聞いていた。


「そこでだ。刃の最外縁が硬質の鋭利な鋼になるように、弾性の高い鋼を折り畳んで挟み込むようにし、一緒に熱して鍛えるのだ。すると一振りの剣身の刃は硬質でありながら、それを支える剣身そのものの剛性は高く、しなやかで折れ難い理想的な剣を打つことができる。だがこの工程がまた難しい。何故なら硬質な鋼と弾性の高い鋼では、含む含有物の違いから柔らかくなる温度……融点が違うのだ。叩いて剣の形にした時点で硬質の刃部分は小指一本分ほど露出し、他は剛性の高い鋼で覆われていることが望ましい。だが熱し、叩き、伸ばしながらそれを行うには打つ前の地金の時点で経験に基づいた緻密な計算が必要だ。融点の高い硬質の玉鋼はあまり伸びないが、融点の低い弾力のある鋼は叩くと比較的よく伸びる。そこを計算して、本打ちをする前に、事前に玉鋼の芯となる部分とその覆いとなる軟鋼とを一度相応しい形状に整形してだな……」

「デック・アールブ。クロビスはきみの鍛治の弟子じゃないぞ」

「それはそうだが……なんの話だったかな」

「自己紹介の途中だった。私が言いたいことはこうだ。この剣を彼に、クロビスに譲ろうと思うが構わないか?」


「グリステル……」

 クロビスは驚きの表情をグリステルに向けたが彼女は微笑んでそれを受け止めた。


「わしはその剣をお前さんにやった。その先はお前さんの自由だわい。ただ、この変わり者の人間ヒュームのお嬢ちゃんより、この若者の方がこの剣の真価を分かっていると見える。剣も喜ぶだろうよ」

「銘はあるのか? この剣の名は?」

「そんなもん一々付けとりゃせんわ。好きに呼べ」

「そうだな……じゃあこうしよう。この剣は今日から『グリステルの剣』だ」

「フン。工夫のない名だの」

「いいんだ。私たちにピッタリの名前だ。そうだろ、クロビス」

 そう言ってグリステルはウィンクした。クロビスは何か熱いもので胸が一杯になるのを感じながら、ただただ頷いた。


 グリステルが鞘をクロビスに渡そうとすると、デックがそれをパッと横取りして裏返したり匂いを嗅いだりしながら詳しく確認し始めた。

「グリステル。鞘を水に浸けたな?」

「ああ……うん。少しな。雨が降っていたから」

「嘘だな。そんな濡れ方じゃあない。鞘に納めた剣ごと水に沈めただろう?」

「そうだな……わざとではないが、一瞬だけそんな状態があったかも知れん」

「すまんなクロビスとやら。この通りこのヒュームのお嬢ちゃんは剣とその装具の扱いを心得ておらん。この有様じゃ下げ緒はともかく鞘本体が内側から傷んで剣もダメにする。短い間ならいいが、持って帰ったら剣は乾いた布で拭いてよく乾かし、この鞘は捨てて新しい物を用立ててくれ」

「分かりました」

「全く……剣が最高の状態を保ち、持ち運びを容易にし、使いたい時にすぐ使えるのは、剣に合った装具あってのことだと言うのに。鞘を剣という幹に茂った葉っぱくらいに考えおって。どんな大樹も葉が落ちれば枯れるということをまるで解っておらん。ああ、それからこの剣は研ぐのにも数打ちのそこらの剣とは違う要領がいる。斬れ味が鈍ったらわしの所に持って来い。わしが研ごう」

「あなたの所?」

「黒い森。魔窟の底のわしの工房だ」

「ま……魔窟の底?」

「安心せい。魔窟に巣食うておった忌々しい邪竜はこのお嬢ちゃんが倒したし、生える草のように湧いていた蛇たちも今では殆ど駆逐したからの」

「はあ……」


 クロビスは覚えておきます、と返事をしたが、多分行くことはないだろうな、と思った。それとドワーフは寡黙なイメージがあったが、得意分野についてはよく喋るのを目の当たりにして意外に感じた。


 そんな二人のやり取りを見て、またグリステルがくすくすと笑った。

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