面会

「アーガスバーグで人に会う? 私がか?」


 彼女たちの新たな拠点、隠れ里「グリステルスタッヅ」の広場で、新兵の剣術修練を監督していたグリステルは、ウルリチからの意外な依頼に、少し間の抜けた返事を返した。


「ザジ!」

『ああ?』

「監督を代わってくれ。基礎の型をもう二十回。終わったら木剣で左右の打ち込みを五十ずつ」

『見とく意味あんのかよ。自分たちでやらせとけばいいだろうが』

「きみならその状況で真面目に練習するのか?」

『木剣を石に擦り付けてやったことにするだろうな』

「訓練で流す汗の量が戦場で流す血の量を少なくする。見てやって、なるべく死なずにすむように助言してやってくれ」

『へいへい』

「見るだけが暇なのならば、組手の相手をしてやってもいいぞ」

『そっちの方が俺向きだな』

「アザを作るくらいはいいが骨を折ったり殺したりするな。相手はようやく巣を離れた雛鳥だ」

『そういうのをな、魚に泳ぎを語るってんだ』


***


「これは私のミスなのですが」

 ウルリチは簡素な造りのローブを身に付けていたが、近くで見ると単純ながら生地は上等で薄く、緻密で、磨いた大理石のように艶があった。


「まさか我々の正体が知れたのではあるまいな。アンメアリ交易が、春光の兵団の表看板だということが」

 グリステルはリネンのシャツに革のズボンという出で立ちで、手拭いで汗を拭きながらウルリチに問い掛けた。


「滅相な……。そうではありません。本当の頭目が他にいて、私が仲介役だということが先方に知れてしまったのです」

「それと私が先方に会うこととどう繋がるんだ?」

「先方と言うのが、その……少し厄介な相手でして」

「厄介?」

「通商連合のヴィッラーニ師です」

「……名前だけは聞いたことがある。海運の帝王ヴィッラーニか」

「はい。私は今、アンメアリ交易の名義で小さいながら四隻の船を使って中継停泊地で荷渡ししながら東方の国とも取引しているのですが」

「そんなことをしてるのか」

「一時期に比べ廃れはしましたが昔からあるやり方ですよ。魔窟から採れる豊富な金と、恥ずかしながら親の七光りのお陰です」

「それで?」

「海運ギルドの集まりのあと、場を改めて船の旅程やその管理の仕方について話を聞きたいとおっしゃられて」

「海運王にか。それはいい話か?」

「おそらく。で、私が一応主人に確認してから、と口を滑らせてしまいまして」

「主人?」

「あなたですよ。私はあなたの下であなたの為に商う商人です」

 グリステルは軽くため息を吐いた。

「ウルリチ……君の働きは有り難い。実際君が我々に協力してくれ始めてから春光の兵団の規模や活動は劇的に変わった。君の仕事ぶりを、私は一人の人間として本当に尊敬している」

「もったいないお言葉です」

「だが、我々に上下関係はないはずだ。私とザジが同じ目的に向けてあぶみを並べる仲間ではあるが主従の関係ではないように、君にも取り決めた君の俸禄は与えているし、君の人生はあくまで君のものであって私や他の誰かのために捧げたりかしずいたりするためのものではない」

「承知しているつもりです」

「だったら……」

「なればこそ、私はあなたの下で働くと決めたのです。理由を説明しましょうか。まず私はあなたのことを」

「あー! 分かった分かった。その気持ちは有り難いし、年頃の多くの女性にとって得難い望みでもあるだろう。今の私たちには……私にはきみが必要だ。だがつまり……女としてきみの気持ちに応えることはできない」

「それも織り込み済みです。その妥協点として、私があなたの下であなたの配下として働くことをお認めください。ご安心を。飽きたら誰かに引き継いで身を引きますので」

 そう言うとウルリチは人懐こい表情でニコッと笑って見せた。


「…………」

(この男は………)


 鍛えた手勢と一緒に居れば、グリステルは千の敵を相手にしても怯まず戦うことがでる。だがその当千のグリステルも、交渉ごとにおいてはこの商家の三男坊に全く敵わなかった。飽きたらやめるなどは方便で、彼は一生をグリステルに捧げる気だろう。そう言えばグリステルが首を縦に振りやすいだろうという無意識の計算で息をするようにそう付け足したのだろう。恐ろしい交渉能力と言えた。


「……で、何故私が海運王と会わぬばならん?」

 彼女はこれ以上、ウルリチを説得するのを諦めて、話題を元に戻した。

「ヴィッラーニ師は人、物、金の商売の三原則の中で特に人を重視することで有名な方。彼は商人としての私に一目置き、その才を買ってくれている訳ですが、私に主人があると知り俄然興味を持たれてその人柄を確かめたいと仰られ、近日に一席設ける約束をさせられてしまって……」

「成る程な。だが私は今の立場を明かす訳には行かないし、商売の話は分からないぞ」

「元騎士で、訳あって今は私の航路の輸送船の一つを取り仕切る男勝りの女船長、ということにしてあります。世間話に調子を合わせて、不敵に微笑んで時々相槌を打ってくだされば、あとは私が上手く場を回します」

「上手く行くかな……」

「春光の兵団を一つの船と考えれば、変に嘘をつかなくても、そこまでおかしな問答は起きないと思います」

「春光の兵団が、一つの船……」

 グリステルはその例えが気に入って、なんだか上手く乗せられているような気持ちもしないではなかったが、ウルリチの提案を受け入れることにした。

「分かった。任せよう。だが私はきみの知る社交界のご婦人たちとは違う。ホホホと笑って高貴な方のご機嫌を伺うような真似はできないからな」

「あなたがそんな音高いだけの空樽ならば、海運王に引き合わせようとは思いませんし、そもそも私が愛するようになったりはしませんよ。では、次第が決まりましたらまたお報せに参ります。ご機嫌よう」

 そう挨拶するとウルリチは恭しくお辞儀をして、自らの馬に向かいさっさと行ってしまった。

 顔を赤くして何かを言おうとしたまま固まるグリステルを残して。



***



 グリステル・スコホテントトは酒場で人を待っていた。


 アーガスバーグの「良き再会亭」の二階席である。

 彼女の後ろには若いエルフの戦士が一人、護衛に付いていた。

 メロビクスと言う名の少年と言ってもいいような顔立ちの彼は、グリステルが協力関係にある北のエルフ族の国リョーサルムヘイムの王女ティターニアの側近であるオベルの弟で、エルフの隠密戦士の中では抜きん出た才を示しているが実戦の経験はなく、良い機会だから、とティタとオベルの勧めで今回の護衛に借りたのだ。

 尖った耳を狩猟帽子で隠した彼は緊張した面持ちで油断なく辺りを警戒し続けており、再三に渡る座ったらどうだというグリステルの勧めを再三をなぞって断るのだった。


 グリステルは、今日は勿論戦いのための鎧支度ではなく、旅人のようなズボンと麻のシャツ、革のベストとジャケットを着て、トリコーン帽を目深に被り、万一彼女を知る人物と会ってもすぐには正体を悟られないようにしていた。腰には剣を帯びていたが、勿論いつもの名工クイジナートが鍛えたロングソード「シャベーリーン」ではなく、魔窟に戻ってきたドワーフ族の一人、デック・アールブという名の鍛治が打ったスモールソードと呼ばれる小振りの細身剣で、グリップとハンドガードには控え目ながら優美な装飾がされており、小さく輝く赤い宝玉も含めてグリステルはその風情を気に入っていた。


 彼女が、そんな変装のような真似までして首都に戻って来た理由は、春光の兵団の影の支援者として物資や装備の準備に奔走するウルリチが商業界の有力者、海運王として名高いヴィッラーニ師と彼女とを面会させる段取りをしたためだった。


 グリステルは商売のことはよく分からないが、ウルリチは海運会社を興してその代表に収まり、魔窟のきんのインゴットや魔窟に戻って来たドワーフたちが作る細工物を東洋の小国からの輸入品と混ぜながら王国に入れ、代わりに兵団の装備や馬の飼葉、リョーサルムヘイムの民の食料や生活品を購入し、或いは王国通貨に両替して活動資金に充てているようだ。

 ドワーフ族は疫病で数を減らしていたが、魔窟の竜が退治されたを知ると何処からか集まって来て、今では百人余りが魔窟で生活しながら、金を採掘し、火薬や武器を造り、貴金属を生み出して実に彼ららしく暮らしている。エルフ族との関係も良好で、両種族は互いに足りない資源や食料を補い合いながら、上手く共存の関係を築きつつあった。

 長らく深い森のエルフの国、リョーサルムヘイムに間借りしていたグリステルたちだったが、現在は潤沢になった資金でリョーサルムヘイムと魔窟との間の森の一部を開拓し、小さな集落を作ってそこで暮らしていた。


 春光の兵団の戦いにエルフたちを巻き込まないための配慮だったが、それでも事情を知るエルフたちの中には義勇兵として兵団に加わってくれる者もおり、また中には実戦で試しながら武器を鍛えたいというドワーフなども混じって彼らの持つ特殊な戦闘関連技術は兵団に取って頼もしい戦力となっていた。


 ウルリチはそれでも現状に満足しておらず、リョーサルムヘイムと拠点の街グリステルスタッヅ(ウルリチはグリステルが嫌がっても彼女たちの集落を頑なにこう呼んだ)、魔窟とを真っ直ぐに繋ぐ石畳みの街道(ウルリチはザジ街道と呼んでいる)を造り、また森の海側を切り開き水路を整備して広い耕地を確保しようと計画しているらしく、今はそのための技術者や資材、新しい道具や設備の準備を進めているらしかった。

 最終的にはザジ街道を海にまで通し、北部の海岸線に港を設けてそこを漁村と貿易の拠点とし、拓いた耕地には農民として漁村には漁民として種族の別を問わず戦争難民を受け入れて、彼ら自身で自給自足できるようにする、という構想だそうだが、それは新たに国を造るようなもので、彼の思い描くような理想の共栄圏が実現できるかどうかは怪しいものだった。


 グリステルは、でもそうなったらいい、と想いながら、木のカップのロッチデル酒を一口飲んだ。果実の濃い味が口の中に広がり発酵酒のアルコールの芳香が鼻に抜ける。

 外は雨。ウルリチはここを絶対に動かないとグリステルに約束させて、席を立ったまま未だ戻らない。彼女は久しぶりの酒に気分を高揚させながら、ウルリチが熱を持って語る彼の新しい国の様子の空想に、もう少しだけ酔うことにした。

 風に波打つ一面の実りの畑。

 立ち並ぶ粉挽きの風車。

 整備された街道を行き交う荷馬車や旅人は、人間も妖精も影の民も混じっているが、互いに挨拶したり道を譲りあったりして争うそぶりはない。

 立派な王女となったティタ。隣には髭を蓄えたオベルがいる。

 ドワーフの職人と貴金属の値段について相談するウルリチ。

 港町で大きな漁船に網を積み込むザジ。彼は若い影の民に指示を出して、出航を急かしているようだ。


 悪くない。

 いや、考えうる限り最高の未来かもしれない。

 だが、グリステルは、彼女自身はその想像の理想郷の中のどこにもいなかった。

 どこにも納まらない。身の置き所がない。


 当たり前だ。自分は例え戦争を止めるためとはいえ、陰謀で始まった戦いの犠牲者を、そうと知りながら積極的に増やしている咎人とがびとなのだ。仲間たちの、人々の幸せな未来に居場所があるはずがない。

 そう納得しながらも、彼女は改めて感じた遣る瀬なさに少しだけ表情を曇らせて、またロッチデル酒を一口呷ひとくちあおった。


 下の階から吟遊詩人の演奏が聞こえて来て、グリステルは彼女の気分が上向きになるように期待したが、曲が進むに連れて複雑な気持ちになって来た。

 歌は「春光の騎士グリステル」のサーガだったのである。

 これは後々、春光の兵団が戦争を止めるに当たって民意の支持が得られやすいように彼女の仲間の一人である「羽帽子のタリエ=シン」が考えた方策の一つで、彼はかつての吟遊詩人仲間に英雄グリステルの歌を作って伝え、その歌は今や酒場では定番の人気演目になっていると話には聞いていたが、大袈裟に誇張された言葉で自分を称えるサーガを直接聴くというのは正直あまり居心地のいいものではなかった。


 魔物の罠に山は砕けた

 炎を吹いて塵に還った

 グリステルは骨まで燃え尽き

 冥府の底でオークに出会った

 オークの名はザジ

 戦いに疲れ暴虐をやめた魔界の将軍


 雨の音。夜が更けてきた。酒場の客入りは最盛期を迎えたようで、その喧騒は今が戦時下だということを忘れたようだ。いや、戦時下だからこそ、人は酔い、騒ぐのかも知れない。


 地獄の底は混沌の魔窟

 二人はエルフの少女を助けた

 エルフの名はティターニア

 彼女を追うは闇エルフ

 毒の刃と魔法の矢

 ザジの呼ぶ火焔とグリステルの剣とが

 闇エルフの悪事を挫く

 

 ウルリチがグリステルに引き合わせようというヴィッラーニ師は、海運を仕切る有力商人の一人で、取り引き先の頭目と直接会って人となりを確かめたいとのことだから、ザジやティタを代理に仕立てるわけにも行かず、渋々彼女は実に三年ぶりにアーガスバーグに入った。


 魔窟の邪竜は地獄の大蛇

 七つの山と七つの谷に横たわる

 ザジは魔槍をグリステルに託し

 彼女は魔窟の底へ竜を追う


 だか良かったかも知れない。

 グリステルスタッヅでは彼女は隊長であり、村長でもある。護衛兼お目付け役はいるものの、こうして皆を離れて一人になるのは考えてみれば数年ぶりで、彼女はホッとしたような肩の力が抜けたような心持ちで、待ちぼうけのこの一時を、有り難く、貴重なものだと感じていた。


 ついに春光の刃が闇を断つ

 邪竜の首が宙に舞う

 流れ出た血は海を作り

 むくろは地獄の島となった


 雨の音。酒場の喧騒。

 そういった音に混じって、彼女は気になる音を聞いた。

 もう一度。これは声──女の悲鳴だ。

 外からか?

 ウルリチはまだ来ない。取引先の商人も。


 邪竜の住処は黄金の園

 ティターニアは王冠を取り戻し

 グリステルとザジは命を取り戻した

 かくて二人は今を戦う

 かくて二人は今を生きる


 ウルリチとの約束が頭をよぎり、呼吸一つ分だけグリステルは迷ったが、結局は悲鳴の事情を確かめるために席を立ち、椅子の背に掛けていた外套を羽織った。


「グリステル様、どちらへ?」

「メロビクス。呼び方が違う」


 エルフの護衛はハッとして言い直した。

「アンメアリ様。どちらへ?」

 その生真面目な様子に、グリステルは頬を緩めた。

「暇に任せて飲み過ぎた。花を摘んでくる」

「花を……ですか? ならばアンメアリ様はこちらでお待ちください。花ならば私が摘んで参ります」

 メロビクスは真面目そのものなのだが、その様子が更に可笑しさを助長して、グリステルは声を上げて笑ってしまった。若い護衛は訝しむような顔をした。

「すまない。君を笑ったのではないのだ。エルフにはそういう言い回しはないのか。厠だよ。こればかりは君に頼む訳には行かないだろう」

「あ、これは……失礼を……!」

「構わない。ついでに少し外の空気も吸ってくる。何か騒ぎが起きてるようだ。その様子も気になるしな。君はここにいてくれ。先方と入れ違いになったら失礼だろうし」

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