坑道

「暑いな」


「ええ」


 隣を歩くグリステルの言葉にティタは同意を示した。


「何か臭いませんか?」


「そうか? 私には分からないが」


 グリステルは急拵きゅうごしらえの背負子しょいこにオベルを括り付けて背負っていた。ザジが何処からか見つけて来た梯子はしごを材料にその場で作ったものだ。ティタは担架を作って二人で運んでは、と提案したが、松明たいまつを持つことや何かあった時のことを考えると背負子にして一人が背負った方がいい、と却下された。


「ザジ。何か臭うか?」


『臭う? どんな臭いだ?』


 グリステルがティタに視線を送る。


「え……その、何かが腐ったような」


 ザジはキョロキョロと辺りを嗅いでみたようだが、一頻り嗅ぎ終わると肩を竦めた。


 結局、一行はないかも知れない出口を探して坑道を探索することに決めた。さっきまではグリステルが先導しザジがオベルを背負っていたが、今は交代してザジが先頭を務めている。


 彼女たちはティタを不思議がったようだが、ティタには彼女たちこそ不思議だった。


 隣を歩く女戦士。


 ティタにとっては女で戦士であることがまず信じられない。エルフの村では、一部の例外を除けば、戦いや狩りは専ら男の仕事だったし、女に求められるのは基本的には慈しみや優愛で、強健さや暴力ではなかった。

 歳の頃は二十歳前後だろうか。

 汗や埃に煤けてはいるが、整った顔立ちで言動も野卑なものではない。在野の戦士というよりは宮舘の貴族を思わせる雰囲気で、実際腰に下げた剣は装飾の施された高価な剣に見えた。だが纏う鎧は薄金を打ち出した粗野で武骨な物で、そもそも彼女の体格に合っていないのか、脇腹のベルトをギリギリまで締め付けて無理矢理に着ている感じだ。

 立ち振る舞いやこの状況下での落ち着きぶり、また初対面の折にティタを襲う蛇を斬り捨てた時の剣捌きから推して、場数を踏み経験を積んだ戦士と思えた。


 そして長柄の先に斧のような刃が着いた武器を担ぐ豚顔の魔物。


 姿形は、ティタが親や長老連中から聞く魔物「オーク」そのもので、連れ合いのグリステルも当の本人も魔族であることを認めているから、やはりそうなのだろう。しかしその気性と言うか、グリステルやティタへの接し方がティタが抱いていたイメージとは全く違った。

 大人たちが語るオーク……魔物たちはヒュームと八十年に渡って血で血を洗う戦争を続けている残虐な殺戮者たちで捕らえたエルフを野菜のように喰らう、とティタは聞かされていたが、ザジという名のこの魔物は人語を話し、グリステルと穏健な関係を保って一連の状況に対処していて、とても血に飢えた野獣として語られる魔物と同一のものとは思えなかった。


 そう、穏健な関係!


 彼らは八十年をいがみ合う仇敵同士の筈だ。

 しかも見た所グリステルとザジの立場は全くの対等で、どちらかがどちらかを隷属させたり、部下として使っているのではないらしい。それがティタに取っては不思議を通り越して理解不能だった。二人の様子から察するに仲間ではあるようだが、恋人や単純な友人ともどこか違うようだし、二人で追われる身の上というのも意味が分からない。人間の戦士と魔族の兵隊が誰に追われるのか。追手が人間だとしても魔族だとしても片方は同胞だろう。なら、彼らは何故追われているのか。


「待て、止まれ」


 そんな事を考えながら歩くティタを、グリステルが呼び止めた。低い真剣な様子の声にティタは身を固くする。


「どう……」

「シッ」


 しましたか、と訊こうとしたティタの言葉を遮り、グリステルは滑らかな所作で剣を抜く。


「何を……」

「そのままだ!」


 グリステルは抜いた剣をゆっくりとティタに近付けると、素早い動作でその肩口の辺りを払うように振り抜いた。ぼとっ、と音がして何かが地面に落ちる。

 息を飲んで固まるティタのすぐ隣で、グリステルはその小さな毒蛇の頭を踏み潰した。


「ふう……」

「あ……ありがとうございます」


 礼を言うティタに、グリステルは腰から短剣を鞘ごと外して差し出した。


「持っておくといい。いつも私が先に気が付くとは限らない」

「いえ……私は……」

「刃物を使ったことがないわけではあるまい」

「……生き物を殺すのが……苦手で」


 グリステルはきょとんと虚を突かれた顔をして、少しだけ笑った。


「成る程。でもまあ一度差し出したものだ。やはりこれは君に進呈しよう。蜘蛛の巣を払ったり、調理に使うこともできる。刃物自体に罪はない。要は使い方だ。そうだろう?」

「……分かりました。有り難く頂きます。申し訳ありません。命は慈しむもの、と教えられて育って来たもので」

『そんな悠長なこと言ってられないかも知れないぜ』

 ティタとグリステルの会話に、前を行くザジが割って入る。

「どういう意味だ?」


 グリステルが問うのと、ティタがひっ、と息を飲んだのは同時だった。答える代わりに、ザジは地面の一角を松明で照らした。


『この穴倉にゃ、どうやらとんでもねえのが潜んでる。それぞれ自分の身は、自分で守るんだ』


 そこには真っ二つに千切られて、断面からぽたぽたと血を滴らせる、半分になった鹿の死体があった。

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