商談

「大丈夫か?」


 返り血と武器に着いた血を手拭いで拭き取りながら、黒いマントの女騎士は呆然と立ち尽くすウルリチに近づいて来る。つい今までの凄まじい戦いの手際とは裏腹に、ウルリチに対する態度はだった。


 その声に、はっ、と我に返ったウルリチの目に改めて周囲の状況が見えて来た。


 死体、死体、死体……そして血溜まりと夕焼けの中に立つ二人の戦士。一人は黒いマントの女騎士、一人は豚顔の大柄の魔物だった。景色が細かく震えている。いや、震えていたのはウルリチの左膝だった。


「気の毒なことをしたな。アーガスバーグからか? プファルッツの物見への補給商隊か。ここらは最近コボルトの遊撃隊が巡回していて、前線への補給線を妨害しているんだ。亡くなった者たちに、神の恵みがあるように」

 女騎士は綺麗な公用語でそう言うと、胸元で印を切って短く祈った。

「護衛は二人? 不用心だったな」

「ごっ……五人いたのですが、三人は逃げてしまいました」

 ウルリチはカラカラに乾いた口からなんとかそう言葉を紡ぎ出した。

「逃げた? 隊長は誰だ?」

「確か……ポーチェスタ卿と」

「ポーチェスタの弟が隊長か……神聖騎士団も人手不足と見える。手綱は取れるか?」

「え、手綱……はい、一応は」

「ザジ」


 コボルトと人夫たちの遺体を路傍に並べて、その手を胸で組ませては見慣れない印を切っていた豚顔の魔物が振り返る。「ザジ」とはどうやらこの魔物の呼び名のようだ。


馬車馬ばしゃうまを一頭外して、ダークネスのくらを付けてやってくれ」

裸馬はだかうまで帰るのか?』


 豚顔の魔物が少しなまりのある公用語でそう答えたことに、ウルリチは衝撃を受けた。


「私とダークネスなら大丈夫さ。もう戦いもなかろうし。逆にこの坊やは鞍が無ければ夜道を馬では帰れまい」

『あいよ』


 ザジと呼ばれる豚顔の魔物は馬車に武器を立て掛けると、一頭の馬を選び手際よくくびきから外し始めた。

 女騎士はウルリチの手を取った。彼はドキリとして女騎士の顔をまじまじと見た。女騎士は取った彼の手に革袋を持たせた。その革袋は大きさの割にズシリと重かった。


「荷馬車は我々が買い取ろう。値段が釣り合わないかも知れないが、今はこれしか持ち合わせがない。このまま打ち捨てるより益もあるだろう。不足分は生き残った貴君の命のかたの傭兵代で埋め合わせにさせてくれ」

「あっ、あのっ……!」

「ん?」


 何か言わなければとそう声を出したものの、女騎士の瞳に正面から見据えられるとウルリチの言葉を生み出す神経は一片に焼き切れて用を足さなくなった。だが、このまま阿保のように言われた通りして別れるわけには行かない。三男坊とはいえ自分はモイテングの後継者の一人で、商人なのだ。その矜持でなんとか自分を支えて、彼は女騎士との「商談」を始めた。


「ま……まずは御礼を言わせてください。私はウルリチ・モイテング。お察しの通りアーガスバーグのモイテング商会の三男にして、このキャラバンの長でした。危ない所を助けて頂き、まこと感謝の念に堪えません」

「いいさ。こちらの目的のついでのようなものだ」

「あの……失礼かとは存じますが、あなたは、どういう……」

「正体の知れぬ相手には物は売れないか? お若い商人殿」

「い、いえ。物を売り、四十八ダナリウス以上のお代を頂いたからには帳簿を付けなければならないと商法が定めております。取引き先が空白になります。それに我々の荷は、小さな城なら七日はもつ量の食料とワインです、これをお一人、いやお二人でどうなさるのか……」

「育ちざかりの森の妖精をたくさん養っていてね」

 女騎士は冗談めかしてそう言ったが、近くの茂みがそれに応えるように一斉にざわざわとさざめいて、ウルリチはゾッとした。

『鞍は移したぜ』


 「ザジ」の言う通り、ウルリチの帰る手段としての馬の準備は整っていて、彼はそれを引いて来ていた。


「こ、この方は……?」

「ああ、オーク族のザジだ。私の……」

 女騎士は言葉に詰まり、神妙な顔でザジを見た。

「きみは私のなんだ?」

『俺に訊くなよ。仲間とかでいいんじゃねえのか』

「それでは少し弱いように思う。そうだな……彼は私の、契約見届け人だ」

『んだよそりゃ』

「間違ってはいまい」

『まあな』


「……エスト・ミヒ・リンガ・グラカ・サン」(それは私にとってグラカ語だ)


 次々と起こるウルリチの理解を超えた出来事に、彼は思わず愛読するリンガラティンの叙事詩の一文を引用して「訳が分からない」と言う意味で呟いた。


「リデント・ストリディベルバ・グラカ」(愚か者はグラカ語を笑う)

 女騎士は、「理解できないものを、だからといって愚弄するな」という意味のリンガラティン語の警句を返した。


 ウルリチはそんな機知に富む答えが返ってくるとは思っておらず絶句した。女騎士はそんな彼の様子に悪戯っぽく微笑んで見せて、馬に乗るように促した。

「さあ答えを得たなら急げモイテング殿。じきに暗くなる。ここは離れた方がいい。道が見える内に少しでも街への距離を縮めて、馬が立ち止まったら野宿して、夜が明けてからまた出発するんだ」


 そう急かされて気が付けば、夕陽はもう半分以上を遠くの山々の稜線に沈めて、時分は夕方から夜に差し掛かろうとしている。

「良い取引きだった。貴君が生きている内に間に合って良かったよ。代金を落とすな。夜道は無理に馬を操らず、馬に任せた方が安全に帰れるだろう。一刻も早く帰りたいだろうが、焦れば道を外して馬を潰すぞ」

「気を付けます」

「我々も行こう、ザジ」

『馬車はどうすんだよ』

「森の妖精たちに任せよう。私は馬車の手綱は慣れん。ダークネスを置いても行けないしな。肩を貸してくれ」

『へいへい』

 女騎士はザジの手と肩を借りて真っ黒な裸馬に跨った。その後、ザジはどこかに繋いでいた自分の鹿毛の馬を連れて来て彼もそれに跨った。

「ではお別れだ若き商人殿。道行みちゆきに災いがなきように」

「あ! 待ってください! 私はまだあなたの! あなた方のお名前を聞いていません!」

「名前? 名前か……」

 女騎士は馬に軽く拍車を掛けた。

 馬は一声、いなないて、暗くなり始めた北へ伸びる一本道を走り出した。

「我々は春光の兵団。帳簿にはそう書いておけ」


 ウルリチがそう聞き取った直後、女騎士とザジの馬は速度を上げて、あっという間に見えなくなった。


「春光の……兵団……」


 一人その場に残されたウルリチは、夢魔に化かされたような心地で彼女たちの名前を繰り返す。


「春光の兵団……」


 彼は女騎士と過ごした短い時間を心に反芻はんすうしながら、その名をもう一度呟いた。

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