尋問
「………囲まれています」
「相手はなんだ? 魔物か? 獣か?」
「分かりません」
四人はお互いに背中合わせになって警戒した。呼応しあうような鳴き声は複雑さを増して、今や何かの言葉のようになって暗い森の木々の間を飛び交っている。
「どうするんだ、ウルリチ?」
アントンが不安そうに尋ねた。
「このままゆっくり来た道を戻ろう。獣なら、縄張りから出さえすれば襲っては来ないかも知れない」
「獣じゃなかったら?」
「……獣じゃなかったと分かった時に考えるさ」
その場の誰もそれ以上の名案は持っていないようで、ウルリチは先陣を切って来た道を戻る方向へ、そおっと一歩を踏み出した。
途端に、辺りは嘘のように静まり返った。
うるさいほどに響いていた謎の声も、何十と感じた何かの気配も消えてなくなり、夜の帳の降りた森は、しん、と沈黙の空間へ姿を変えた。何一つ、木の葉の擦れる音一つしない、真の静寂の暗闇に。
「はは、奴らどうやら逃げたのかな」
互いの顔もよく見えない闇の中、隣のアントンが震える声で言った。
「そりゃそうだよな。大の男が四人いて、一人は巨漢の怪力傭兵で、一人は剣の達人の元騎士だ。森の獣だか妖精だか知らないが」
アントンはそこで黙った。
「アントン?」
ウルリチは彼の名を呼ぶ。
返事はない。
すぐそばに感じていた、彼の気配がない。
「アントン? どうした?」
返事はない。暗闇と沈黙。
「アントン! どこだ! 返事をしろ!」
消えた。アントンは、消えた。
「松明だ!」
「ええ!」
タリエが屈み込んで背負っていた道具袋から松明を出し、油筒から油を掛けて火打を打ち掛けた。だが焦っているためか、中々火は燃え上がらない。
「早く! アントンが!」
「分かっています!」
三度目。四度目。
火は着かない。
五度目。六度目。
火はようやく着いて、辺りを明るく照らした。
「うわっ、ああああああッッッ!!!」
巨漢の傭兵が情け無い声を上げながら垂直に宙に登った。
「ノヴォーコ!」
タリエの松明は恐怖の表情を貼り付けて暗闇の森の空へ消えてゆくノヴォーコを照らし出した。
「んっ!」
タリエが松明を取り落す。
その隣に羽帽子がふわりと落ちた。
短い吐息の響きだけを残して、吟遊詩人も消えた。
ウルリチは、恐怖と戦っていた。
死ねない。
自分はまだ死ねない。
あの人にもう一度会うまでは。
あの人に気持ちを伝えるまでは。
あの人に、好きだと言うそれまでは。
呼吸を整える。震える足を拳で叩く。
全力で走るのだ。あの松明を拾って。
さあ、今!
ウルリチは素早く燃える松明を拾い上げ、身を翻して来た道へ駆け出そうとした。
松明をかざした行先の視界を埋め尽くす、手、手、手、手、手……!
数え切れない人間の手が、布で包むようにウルリチの全身に巻きついた。声も出せない。身動きもできない。息も……。
(グリステル……! グリステル……!)
ウルリチは恋した美しい女騎士の名前を念じながら、上も下も分からない暗闇の中で意識を失った。
***
『……かも知れないぜ? だったら……』
「……し、逆にそのせいで……を……」
複数の人物が何かを相談しているその気配で、ウルリチは目を覚ました。
暗闇。寝かされている。土と草の匂い。手も足も固く縛られている。起き上がれない。目が見えない。顔に、目に何か巻かれているのか。一人や二人ではない気配。自分は目隠しをされ身動き出来ないほどに縛られて、少なくとも十人以上の人物に囲まれ、芋虫のように地面に転がされている。
絶体絶命に変わりはなかったが、ウルリチの胸を安堵が満たした。
生きてる。
自分はまだ生きている。
生きているなら、まだ彼女に、グリステル・スコホテントトに会うチャンスはまだある!
その為には? 今のこの状況は?
「……気が付いたか?」
声!
この声は! この声は彼女の!
目隠しを取ってくれ、という言葉をギリギリでウルリチは飲み込んだ。それが最適のもの言いだろうか。自分は捕虜で、彼女とその仲間……「春光の兵団」に捕まったのだ。恐ろしい森の妖精。次々と闇に消えた仲間。だが、自分がこうして生きているなら、他の仲間も生かされている可能性が高い。ならば、向こうの警戒心を解いて、生きて全員で帰るには……。
「あなたがたは……どなたです?」
「さあな。それはこちらの台詞だよ。よもや道に迷った旅人だなどとは言うまいな。馬車を見つけ、足跡を追ってここまで来たな? 何が目的だ? 君たちは、何者だ?」
「春光卿! その声は春光卿! グリステル・スコホテントト様ですね⁉︎」
少し離れた所でタリエ=シンの声がした。その声は、と言うことは彼もウルリチと同じ目隠し芋虫の待遇らしい。
「私です隊長! 羽帽子のタリエ=シン! お探ししておりました! ああ、神よ感謝致します! 生きておられた! 春光卿!」
「タリエ……羽帽子のタリエ=シンか」
「騎士団にお戻りください。戦の為に志ある騎士たちは皆命を散らし、王党派は自分の息のかかった有力貴族の子弟を騎士団の要職に据えて、騎士団を実効的に私兵に貶めています。春光卿が……隊長がお戻り頂かなければ、栄光ある神聖騎士団は……」
「その呼び方はよせ」
グリステルはきっぱりと言った。
「久しいなタリエ=シン。会えて嬉しいよ。だが、私はもう春光卿でもなければ君たちの隊長でもない。もっと言えば、騎士ですら。街道まで送る。私のことは忘れて、王国に尽くせ」
「隊長!」
「くどい。帰って任務を果たせ。家名を穢すような真似をするな」
「いいえ帰りません! あなたが隊長でないなら命令を聞く筋合いもない! それに私も今は騎士ではありません! 今の私は自らの心の声に従い、あなたを探す旅人。何があったのですグリステル様。なぜ……騎士隊に戻らず、妖魔の森で悪霊を束ねる頭目のような真似を……?」
「……さあな。話せばタリエ。君も悪霊の仲間に引き入れることになる。妖魔の森で見た亡霊だと忘れろ。話は終わりだ」
それでも何か言い募ろうとしたタリエの声がウーッと言う唸りに変わった。誰かに
「僕は!」
アントンの声だ。ウルリチは親友の無事な様子にホッとした。
「僕は商談に来た! あなた方は変わった金貨を持っているだろう? だがそのままでは王国で買い物はできない。勝手に鋳造した金貨を使えばすぐに足が付きウグゥー、ウー、ウーッ!」
アントンも猿轡を噛まされたようだった。その話の内容は、ウルリチが交渉に使おうとした内容と重なる部分が多く、金貨をダシにした商談ではこれ以上彼女の興味は引けないだろう。
「グリステル・スコホテントト。
スコホテントトは本当の姓ではありません。あなたは、本当の親を知らない……戦災孤児だった」
ウルリチは静かに語りだした。
「バイツェンマンシェルの神の恵みと図書の教会。あなたを引き取り名前を付けたシスター・ドリスに会って来ました。彼女は元気にしていました。十三の時、給仕係として教会で修道女をしていたあなたは百年戦争に巻き込まれ、神父様と共に戦い、生き延びて、騎士に取りたてられた」
ウルリチは今まで彼女について調べたことを、時系列にそって整理して順に話して行った。咎める声も、猿轡もやっては来なかった。
「八年騎士を務め隊長にまでなった。二年前、ナターラスカヤの戦いで罠に落ち仲間の目の前で大きな爆発に巻き込まれ、死んだとされていた。事実愛馬は死体で見つかり黒焦げの腕があなたとされて、故郷である神の恵みと図書の教会に埋葬され、あなたのための墓碑が作られた」
「……そうか。やはり、ライトニングは死んだのか」
グリステルの声は少しだが確かに寂しさを帯びていた。
「次にあなたは謎の黒騎士として世に現れた。エルフの魔法を操り魔物の下僕を使役し、ドワーフの金貨を残して去る魔物退治の漆黒の狩人として」
『魔物の下僕ぅ?』
男の声は抗議の意志を含んでいた。
「ふ。良く調べているようだが、そこは間違いだな。彼は私の下僕ではない。対等な……守るべき約定の締結の相手だ」
少し笑ったような雰囲気で、グリステルが訂正する。
「さて、私のことをそこまで調べ危険を冒して妖魔の森深くまで訪れた君は何者だ? 気を付けて話せ。見えないだろうが、エルフの矢が君に狙いを付けている」
「エルフの……矢?」
「
グリステルは脅しとしてそう言ったのだが、ウルリチは抱えていた疑問が幾つか解消してスッとした。そういうことか。あの場にいたのはグリステルとザジだけではなく、エルフの弓兵が隠れていたのだ。身体に埋まる短い矢。だから見えない。だから彼女が食料の馬車を得た時エルフたちは木を揺すって喜んだ。自然、彼の頬は緩んだ。
「何がおかしい?」
「いえ……私の顔に覚えがありませんか? グリステル様」
「顔? 目隠しを取ってやれ」
目隠しが解かれた。
ウルリチは素早く辺りに視線を走らせる。
夜の暗闇。松明が彼を囲んでいる。集落の中央の広場のようだ。変わった衣服の金髪碧眼の村人たちが手に手に松明を持って興味深そうにウルリチとその仲間に注目していた。
正面に腕を組んで真っ直ぐに立つ女騎士。彼女に寄り添うようにして立つ巨漢の豚顔の魔物。彼は手に松明を掲げていた。
グリステルとザジだ。
「……どうした? 何故泣く?」
「いえ……少し、感極まって……」
「感極まっている所すまないが、やはりこうして顔を見ても私は君のことを覚えていない。君は誰だ? 何をしにここに来た?」
「私は……私はウルリチ・モイテング。十五日ほど前、キャラバンがコボルトに襲われ、全滅する所をあなたとザジ様、エルフの方々に救われたアーガスバーグの商人です」
「ウルリチ・モイテング」
グリステルの唇がウルリチの名前の形にゆれて、その声が彼の名前を奏でた。ウルリチはそれだけで今までに感じたことのない喜びを感じ、天にも昇るような心地だった。
「ああ、護衛のポーチェスタの弟に逃げられて、帳簿がどうのと言っていた……。何故戻って来た? 折角拾った命を危険に」
「好きだっっ!!!」
「 ⁉︎ 」
グリステルだけではない。
その場にいたウルリチ以外の全員が揃って「 ⁉︎ 」だった。
「あなたが好きだ! グリステル・スコホテントト。戦うあなた。微笑むあなた。私の名を呼び、私を問い詰めるあなた。どのあなたも、私が知る限り神が創りたもうたこの世界の、宇宙のあまねく事物の中で最も貴重で最も美しい! 私は、私の心はあなたの虜だ! あの日、あなたが私を助けてくれたあの日を境に、私の人生は変わったのだ! 私は生まれてきた意味を知った! 私は生きる理由を得た! 生涯を賭け、それを捧げ、奉じて敬い、愛するべき価値のあるこの世で唯一の絶対のもの! 戦いの乙女! 美を体現する女神! 愛の泉の
それは絶叫だった。ウルリチは涙でぐちゃぐちゃになりながら、想いの丈をありったけの言葉に込めて力一杯に絶叫した。
何かを言い掛けた形に口を開けたままそれを聴いていたグリステルは、そのまま時が止まったように絶句して固まっていたが、ザジが、ぴうー、と口笛を吹くと石化の呪縛は解けてウルリチの言葉の意味がようやく脳に到達し、挙動不審な有様で顔を真っ赤にしてウルリチを三度見した。
「あ、アのっ……」
次にグリステルから出た声は裏返っていて、妙に甲高いものだった。
「好きです……好きなんです……あなたが……あなたが……」
ウルリチは声を上げて泣きながらグリステルへの愛の言葉だけを延々と繰り返し、取り付く島のない様子だった。
「そ、それは……困るっ、いや、君の気持ちが嫌なわけではないんだ、気持ち自体は嬉しいし、それとこれとは話が別で……つまり、だな。私は知っての通り修道女、では、今はないが、修道女だったし、騎士……でもないのはないんだが……その、恋とか、愛とかだな……そういう、あの……分かるか?」
グリステルは顔中にすごい量の汗を掻きながらしどろもどろになって何かを主張しようとしていたが、何を主張しようとしているかを彼女自身も理解していないようだった。
困窮し、泣きそうになった彼女は助けを求めるようにザジを見たが、彼は両手を拡げて肩を竦めただけだった。
「何やら興味深い風向きですね」
ザジの隣に美しい少女が現れた。
村人たちが
『ああ姫さん。この
「まっ!」
「助けてくれティタ! この若い商人が、私をからかうんだ! 美の女神だなんておべっかを言って!」
「おべっかなどではありません! 夕陽を背に、剣を振るうあなたの姿……! 叙事詩に聞く戦の妖精もあなたの前では色を失い逃げ出すでしょう! 白い肌、流れる長い髪、花のような唇と、高潔な魂を映すその瞳! 私は! 私は……!」
ザジがティタに言う。
『な?』
「まあ! まあまあまあまあ!」
ティタは口元を手で隠しながら、キラキラした瞳でグリステルを見た。
「あー、もう! 取り敢えず君はもう喋るなウルリチ・モイテング。ティタ、どうしたらいい⁉︎ エルフの知恵を貸してくれ!」
「どうするも何も、グリステルの好きにした良いでしょうに。逆に私たち、その他大勢がなんとかする話ではありません。ねえザジ」
『おう。これは二人の問題だ。他の三人は
「な⁉︎ 待て! 解散はまずい! こらっ、ちょ……行かないでくれみんな、二人っきりにするな! ザジ! ティタ! オベル! 待って……お願いだ! ああ神様……私を一人にしないで!」
グリステルの懇願を無視して、村人たちはやれやれといった空気でそれぞれの家に帰って行った。子供のエルフが一人続きが見たいとごねたが、母親が叱って、その子を抱き抱えていなくなった。ザジは振り向きもせず、ひらひらと手を振って去る旨を伝えている。
「き、君のせいだぞ、ウルリチ・モイテング! わ、私には大きな使命があって、それを成し遂げるまでは、恋だの愛だの言ってられないのだ! そりゃあ、それは君はそんなことは知らないだろうが……大体、モイテングと言ったら大きな商家の名門だろう! そこの子息がこんなどこの馬の骨とも分からない女に、ほっ、惚れてなんとする⁉︎ いいか? す、好きになる相手というのはだな、自分との立場や、相手の気持ちを考えて……」
真っ赤な顔で涙目になりながら自分に不思議な説教をするグリステル・スコホテントトを見ながら、ウルリチ・モイテングは知った。
彼女は、魔法騎士でも、妖精騎士でも、亡霊騎士でもない。
愛すべき純朴な女の子なのだ、と。
彼女を選んだ自分の目に、狂いはなかったのだと。
そして彼は、例え彼女と夫婦の契りを結べなかったとしても構わないと思った。
彼女に大きな使命があるというなら、ウルリチの知識と財産とでその助けになろうとも。
彼女が彼の名前を呼んでくれた。
その対価として残りの一生を彼女に、その使命に捧げても後悔はない。
それは彼にしては珍しい合理的な根拠のない全くの直感だった。
だが彼は、その直感に身を委ねようと決めた。
そして何かの言い訳のようにウルリチを責めるグリステルの説教をいつまでも、いつまでも聴いていたいと思った。
*** 了 ***
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