背中
「では、我々はこれで。神の威光と共にあれ」
「待ってくれ」
日が暮れ、辺りが闇に包まれると、ポロヴェツ砦を救った春光の兵団は隊列を整え、次の戦場へと旅立とうとしていた。最後の挨拶をした春光の騎士を、エレンシュタトは呼び止めた。
「私は……ずっと貴君に……謝りたかった」
見送りはエレンシュタトと副隊長のディバーラの二人だ。エレンシュタトは、最低限の見張り以外は早く休むように指示を出していた。
「謝る?」
「そうだ。四年前。ナターラスカヤの会戦。ドーラフェンヘルスの山。私の隊の者の不手際の割を食わす形で、貴君は……罠に落ちた」
「ああ」
「私があの時、手柄にはやる部下を掌握できていれば、貴君は軍団から落伍しなくて済んでいた筈だ。済まなかった」
「戦場の一つの場面の中で起きたことだ。気にしなくていい」
「騎士団には戻らないのか?」
「戻らない。私には、彼らと共にやるべきことがある。それは騎士団ではできないことだ」
「理由を説明してはくれないのか?」
「一度我々の秘密を聞けば、貴公を我々の都合に巻き込むことになる。貴公はそれを望むのか? 一歩間違えれば、我々は逆賊として騎士団と戦うかも知れない立場だぞ」
「私は……!」
貴君と共にゆきたい! 春光の兵団に加えてくれ! 今朝の戦い! 貴君とともに駆けた戦場! 血が滾った! 心が踊った! 貴君と共に戦えるなら、爵位などいらぬ! 貴君の信じる正義に、我が剣と命を捧げよう!
「私はっ……ここを預かる、隊長だ。今朝貴君の言った通り、歴史あるエレンシュタトの家を継ぐ立場でもある。力になりたいのは山々だが……」
「賢明な判断だ伯爵。それでいい」
「私の立場から、何か手伝えることは?」
「二つ頼む。一つ。もう間もなく、私の兵団の別働隊がもう二つ、合わせて百騎余りがここを横切る。咎めずに通してやってくれ」
「分かった。通すことはできないが、気付かないことはできる。もっとも気付いても、咎めることができるほど力は今の我々にはないが。……もう一つは?」
「いつか……私は王に直接進言をする」
「進言?」
「この戦争の停戦をだ」
「停戦……!」
エレンシュタトは理解した。今や死亡者扱いで、公には騎士でもない身分の者が王に進言するのは、通常なら確かに畏れ多い行為であり、叛意ありと取られても文句の言えない非常識な行いだ。下手をすれば逆賊、というのは単なる方便ではないようだ。
それにしても。
「貴君という幽霊は……この戦いが続けば続くほど、それだけ長く英雄で居られるのだぞ。それを自ら絶ってどうする? 自伝でも書くのか?」
「この戦争で死んだ者たちの霊を慰めて暮らすさ」
「春光卿、それは……!」
「とにかくだ。私が王に停戦を進言した時、貴公がその場に居合わせたら、賛意を示して欲しいのだ」
「……引き受けよう」
グリステルは漆黒の馬に無駄のない身のこなしで跨った。
「エルンスト・エレンシュタト殿」
「ああ」
「貴公は一度も、私を女だと言って侮ったり見下したりすることがなかった。そういう度量のある仲間は、私には救いだったよ。ありがとう。昨日の戦いで貴公を助けられて良かった」
「騎士として、いずれ爵位を継ぐ者として至極当然のことだ」
「それを当然と言える貴公が当然ではないのだ。あ、それからもう一つ」
「注文が多いな。台帳にして納めてくれ」
「これが最後だ。もし、クロビスという名前の若い貴族と関わることがあったら、力になり、支えてやってくれ」
「分かった。クロビス?」
「そうだ。頼んだぞ。さらば戦友。貴公の行く道に春光の溢れんことを!」
グリステルは鐙を打った。黒馬は嘶き、駆け出した。五十の勇士たちが、それに続く。
「エレンシュタト隊長、お話があるのですが……」
ディバーラが思い詰めたような様子でそう言った。
エレンシュタトは鼻を鳴らして、微笑んだ。
「行け。戦場で行方不明になったものに、留まるよう命令できる隊長がどこにいる」
「はい!」
馬を取りに走り、十数えるほどで愛馬に跨り戻ったディバーラは、エレンシュタトに別れの挨拶をした。
「ありがとうございますエレンシュタト隊長! お元気で!」
「武運を祈るニコラス・ディバーラ、名誉と誇りとが剣に写るように」
「はい!」
若い副隊長は愛馬を駆って疾走した。
春光の兵団を、春光の騎士を追いかけて。
エルンスト・エレンシュタトは、その背中を見送りながら、彼のその向こう見ずな若さを心から羨ましく思った。
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