春光

 手枷が外された。

 グリステルはザジに背中を押されるようにして見張り小屋を出され、慌ただしく川への小道に向かった。


「なんだと言うんだ? ザジ! あの子供がなんなんだ?」

「あんたが見たのは確かに影の民の子供だが、ただの子供じゃない」

「何?」

「ゴブリンだよ。あんたたちの言うな」

「ゴブリン……あれが?」

「戦争の孤児を集めて訓練し、斥候や偵察や密偵に使ってるんだ。物心付いた時から密告で飯を食ってるガキどもだ。あんたを見たなら、嬉々として近くの詰所に告げ口に行っただろうぜ」

「……どうなるんだ?」

「ここには魔族の軍が調査に来る」

「ザジは、ザジは大丈夫なのか?」

「上手く言い逃れるさ、心配するな」

「嘘だ! バレれば磔だと言っていた!」

「声がでけえよ、お嬢ちゃん」

「こうするんだ。私がきみを剣で脅し、無理矢理言うことを聞かせていたと。きみは納屋で縛られて、何もできなかったと。そうすれば、きみが罰せられることはない!」

「できねえよ」

「何故だ⁉︎」

「お嬢ちゃんを送り出せば、戦争が終わるんだろう?」


 グリステルは絶句した。


「なら、俺が命を賭ける価値はある」


 小さな桟橋には、既に船が結わえつけられていて、荷物も積んであった。大きな袋。差し竿と小さな籠。籠の中には幾つかパンが入っていた。


「ザジ、なら、ならきみも……!」


 ザジはグリステルを船に乗せながら、ゆっくりと首を横に振った。


「一緒に逃げりゃすぐに追っ手が掛かる。俺がのらりくらり取り調べを長引かせりゃ、あんただけは逃げられる」

「ダメだ、ザジ!」

 

 ザジは手早く舫綱を解くと、船の側舷を蹴って押し出した。船は増水した川の流れに乗ってぐんぐん速度を増してゆく。


「ザジ!」

「剣や鎧はその袋の中だ。俺はもう人が死ぬのを見たくない。あんたは生きて、この戦争を止めてくれ。頼んだぜ」

「ザジ!」


 ザジの姿はあっという間に小さくなって宵闇に紛れて見えなくなった。


「ザジ!」


 グリステルは真っ暗な川辺に向かってもう一度叫んでみたが、勿論返事をする者はいなかった。


 戦争を止める。それは正しいことだ。恐らく自分がしなければ、他の誰にもできないだろう。できたとしても、その終わりは何十年も遅れて、その間にも沢山の命が失われるだろう。だが──!


 グリステルは葛藤した。


 ──ザジはどうなる⁉︎

 理不尽な戦災で妻を子を失い、今またその戦争を止めるために自らの命を失おうとしている。これで彼自身まで死んでしまったら、彼の生とはなんだったのだ。戦争に奪われ、戦争に翻弄され、戦争を止める祈りとなって死ぬ……そんなのは、哀し過ぎるではないか。


 その時、グリステルの目が、真っ暗な闇一色だった川沿いの景色に異質な物を認めた。


 ゆらゆらと揺れる松明の明かり。一つ、二つ、三つ……二十程の松明が、遠くから街道を遡ってあの見張り小屋に向かおうとしている。

 魔族の軍だ。

 

 グリステルは荷物の袋から鎧と剣とを取り出した。

 彼女のためにあつらえられた白銀の鎧には日の光が輝くような優美な装飾が施されていた。


「……何が春光の騎士だ!」


 彼女は吐き捨てるようにそう叫ぶと、差し竿で船を岸に寄せ、剣だけを掴んで飛び降りて、真っ暗な街道をザジの見張り小屋に向かって走り始めた。


 グリステル・スコホテントトは春光の騎士の名を捨てた。

 しかし彼女の胸の内には、春の陽射しのような明るい光が、彼女の行く先を照らすように輝いていた。



*** 了 ***

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る