第1話 ― 5

 思ったより広いし綺麗だな。

 文芸部の部室について抱いた赤尾の第一印象はそれだった。

 部屋の広さはだいたい十畳くらいだろうか。それなりに古い外観の割に内装は新品同様だし、棚や机といった備品も汚れやくすみは一つも見当たらない。机の上に置かれているノートパソコンは確かそのメーカーが扱っているかなり新しい型だったはずだ。同じものを竹沢がつい先月購入したと自慢していたのを覚えている。

 隣の部屋に繋がるドアまである。部室って一つの部活に一部屋というのが相場なんじゃないのか、と不思議で仕方ないが、今の赤尾にそれを尋ねるような余裕はなかった。部室の端の方で今は身を縮めて正座するのが精一杯だ。


「……おい一回生」

「はい、何すか」

「顔上げろって」

「……うす」


 すいません無理っす怖いっす。とは思っても言えたものではない。

 正座して俯いたまま、おそるおそる視線だけ上に向ける。ベージュのカーペットに胡坐あぐらをかいて座った大きな足がまず目に入った。全体的に成人男性の平均的体格の赤尾と比べたら多分二回り以上は大きいだろう。靴のサイズなんて想像つかない。

 巨大な脚から伸びたデニム地も太くがっしりしており丸太のようだ。そのまま視線を上へと動かしていくと、薄手のシャツ越しでも鍛えていることがよくわかる胸筋と太い二の腕。アスリートやボディビルダーもかくやといった具合で、力比べでもしようものなら赤尾のようなインドア人間に勝ちの目はまずないだろう。


 これだけでも正直「なんで文芸部にこんな筋肉塊が」と言いたいところだが、赤尾だってその程度のことでここまで萎縮はしない。


 逆立った短い髪と、三白眼。低く野太い熊のような声。眉は見事に逆八の字を描いて出会う人全員に「やんのかコラ」と喧嘩を売り歩いているとすら錯覚する。眉間にもきっちりと皺が寄り、口はきつく引き結ばれている。誰がどう見たって不機嫌顔だ。

 部室に入ってきた赤尾を出迎えるために一度立った時に、身長は赤尾より頭一つ以上抜けている事は確認済み。一応百七十センチ後半なんだけどな俺、と内心で呟く。これでこの身長差ということはこの男、下手をすれば百九十センチはあるのではないだろうか。身長だけでも十分すぎる威圧感だ。


 と、じわじわ上に向けていた視線が三白眼とぴったりぶつかった。真一文字だった口元が片方だけ緩み、口角が上がる。ちらりと覗いた犬歯が鬼や猛獣の牙にしか見えない。


 要約すると鬼だ。筋骨隆々の鬼か蛮族かというような男が、文芸部の部室内で圧倒的オーラを放っていた。鬼と目が合ったやばい殺される、と再び俯いて限界まで身を縮めていると、ふっ、と笑う気配がした。


「ごめんな、怖がらせて。別に取って食ったりしねえって」


 鬼から出たその一言で、場の空気が緩んだように感じた。


「地の顔がどうしてもコレだからさ、やっぱ初対面皆同じような反応するんだよな。一応笑顔の練習もしてみたんだけど……どうだった?」


 さっきのは笑顔だったのか。尋ねられて初めて分かった。鬼だと思ったのはちょっと不器用なだけの男なのかもしれない、と思ったら赤尾の方の力も抜けた。


「正直、腹を空かせた虎とか熊と目が合った気分でした」

「あー、やっぱダメか。やっぱ逆に怖いよなあ笑顔。桃宮ももみやの言うこと真面目に聞いた俺が馬鹿だったわ。あ、桃宮ってあいつな、お前をここに連れてきたちびっ子」

「ああ、あの人ですか」


 部内でもちびっ子扱いなんだなあの人、と思わず苦笑してしまった。

 赤尾をこの文芸部に連れてきたあの外見中学生な少女は、子供と思われていたことに腹を立てながらも律儀に文芸部まで案内した後、今は飲み物を買いに行っている。最寄りの自販機まででも徒歩で往復五分くらいはかかる。敷地の端っこはこういうとき不便だ。


「改めて、文芸部へようこそ。茶原凛太朗ちゃはら りんたろうだ。文芸部副部長をやってる。……似合わないのはわかってるから、言うなよ?」


 どうやら気にしているらしい。口調や表情には気恥ずかしさが見え隠れしている。

 赤尾が自己紹介を返すと、茶原は入部か見学かと訪ねてきた。見学と答える赤尾に、そうか、と短く頷く。桃宮というらしいあのちびっ子は赤尾をここに連れてくるなり茶原に向かって「しばらくこいつ見張っておいて! お茶買ってくるから!」と部室内に赤尾を蹴り込んで、そのまま何の説明もなく去っていったのだ。


「あいつなんの説明もせずに行ったからなぁ。悪いんだけど、まあもう少し待ってくれ。部長がいなきゃ部の説明も何もあったもんじゃない」

「部長さんは、いつ頃来ますか」

「ん? お茶買ってくるだけだし、もうそろそろじゃねえかな」


 そんなことを話していたら、部室の外で階段を上る音が聞こえてきた。足音は赤尾達がいる文芸部に向かっている。噂をすれば影というやつらしい。お茶を買いに行っていたのが部長である、ということはつまり。

 赤尾や茶原が見ている前で部室のドアが勢いよく開き、つい先ほども顔を見たばかりの女子が顔を出した。茶原が言っていた言葉の通りなら名前は桃宮といったか。


「おう、ちょうどお前の話してたとこだ。おかえり部長」


 まだ不機嫌そうな顔をしたままの桃宮を出迎えて、茶原は苦笑いの表情でそう言った。

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