第4話 ― 4

「榎園君、悪いんだけどそれ、私じゃないんだ」


 視線を向けられた橙山も事の経緯を理解したらしい。呆れているような、面白がっているような表情でそう訂正された榎園が凍り付いたように硬直し、その手から先月号の部誌が滑り落ちた。


「では、この花桜夢子はどこに」


 そこで「でも外見がイメージ通りだから君でいいや」とはならないらしい。あくまでも彼が被写体に求めるのは花桜夢子ということなのだろう。難儀な性格だとは思うが密かに赤尾は感心した。

 そもそも先走ったイメージだけで動いてイメージ通りの存在を見つけたというのは間違いないのだから、ここで橙山をモデルに選ぶことを妥協とは誰も思わないだろうに、この依頼人は良くも悪くも筋の通った芸術家肌のようだ。


 橙山からの返答は、左右に首を振るという動作だった。


「私もね、知らないんだよその人」

「でも文芸部の部誌に書いてるんっすよね? 見たことくらいは」

「これが全然無いのよー。姿も本名も完全に謎。部誌用に書いた原稿を印刷して纏めようかって言ってた日に、部室のドアノブに紙袋ぶら下がっててさ、今月の部誌にお使いください、ってメモ書きと一緒に入ってたUSBメモリにあったのよねこれ。見つけたの茶原だったはずだよ」


 だよね茶原、と橙山が先ほどから一言も発さない筋肉塊に話題を振る。

 が、茶原はまるで聞こえていないかのように無反応だった。怪訝そうな顔をして、橙山が再度名を呼びながらその肩を軽く叩く。横から見ている限りではごく自然な、特に力一杯叩いたというわけでもなさそうだったのだが、茶原はまるで電流でも流れたかというほど大げさにびくりと肩を跳ねさせた。


「あ、ああ、なんですか」

「なんですか、じゃないわよー。寝不足なの?」


 花桜夢子ってどこにいるんだろうねって話よ、と橙山に再度言われてようやく茶原は話の流れを理解したらしい。わざとらしいくらい大きな咳払いを一つ。そして、


「まあ、いない人間を探すのも大変じゃあないですか。橙山先輩さえよければ、榎園先輩の依頼を任せても」


 普段の素で凶悪な眼光はどこへやら、茶原の視線が頼りなく右に泳ぎ、左に泳ぎ、さらに窓を見て、出入り口を確認してとせわしなく動く。


「いやしかし僕は――」


 花桜夢子を、と榎園が言おうとしたところに、


「どうですか橙山先輩! これも立派な人助けだと思って!」

「……ま、まあ、私は別にいいけどさ」


 鬼気迫るような勢い、というのはこういうことを指すのだろう。実際にその表情を向けられているわけでもない赤尾ですら一歩引くような必死さで、肺活量と図体に任せて主張する茶原に、橙山は露骨に三歩ほど後ずさった。


「榎園先輩もどうです、外見のイメージ自体は合っているんですよね」

「え……まあ、うん。でもなぁ」


 なおも渋る榎園に、横で眺めている赤尾はいよいよ畏敬の念すら抱いた。現状の必死過ぎる茶原は部活でいい加減慣れてきた赤尾や、少なくとも一年以上の付き合いがあるはずの橙山ですら気圧されるというのに、一歩も引かないこいつは本当に人類なのだろうか。

 ともあれこのままだと話が纏まらない。赤尾はそう判断して茶原と榎園の間に「じゃあ、こうしましょう」と割り込んだ。


「その花桜夢子とかいうのは一応探します。でも見つけられるとも限らないですし、橙山先輩にモデル自体は任せてもらえればいいんじゃないっすかね。実際見つけたら会ってみて、橙山先輩よりも理想のモデルだと思うんだったらその人に改めて頼んでください」


 そもそも写真に撮る被写体としては橙山先輩が理想ドンピシャなんでしょ、と榎園に言うと、ようやく彼は首を縦に振った。


「じゃあ、そういうことで。依頼としては受けときますんで、撮影の打ち合わせとかは橙山先輩のほうにお願いします」


 これで話はおしまいだ、と赤尾がその場の話を纏めて切り上げる。すぐ後ろの筋肉塊が深くため息をついたが、それが安堵なのか別の何かなのかはその瞬間の赤尾にも量れなかった。


***


「なるほど、依頼があった経緯については分かった」


 ここまでの長い説明を、赤尾の古くからの友人である竹沢はパスタを頬張りながら聞いて頷いた。今日も食堂は利用できず、二人の昼食場所は人の少ない学内カフェである。そして一拍置いてから、赤尾を見て一言。


「で、それで何故お前はそう死にかけ状態になってるの」


 金髪の親友が視線を向けた先にいる赤尾は、昼食を食べるでもなく、ただただテーブルに突っ伏して虚ろな目をしていた。

 榎園からの依頼を受けて既に三日が経過した昼休み。日に日に赤尾がやつれていくのが目に見えて確認でき、今日はとうとう寝坊して午前中の講義を丸ごと欠席。いよいよ見かねた親友が食事ついでに事情を聞き出したところである。


 己を心配してくれる友人の存在は非常にありがたく、そのことは赤尾も理解しているし感謝だって惜しむつもりはないのだが、話す気力もなかなか湧いてこない相手に「事情を聞いてやるから飯奢れ」はいかがなものかと正直思う。体育会系の昼食を遠慮なく頼まれたことによる経済的打撃も、今の赤尾が生ける屍と化している一因だった。

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