第1話 ― 4

「えーと、あの……」


 なぜこんな子供が大学の敷地内に。附属中学校とかあっただろうかここ。いやない。そもそも近所に他の学校はない。あるのは畑とバス停ばかりだ。

 どう見ても高校生か、ともすれば中学生と言われても納得してしまいそうなその外見に反して服装はかなりラフな感じの私服だ。赤尾のイメージ通りの年齢だとしたら、よほどの例外でもない限り平日の日中なんて制服を着ているものだろう。通っている学校が創立記念日で休みだというのはまあ有り得ない話でもないが、納得できる理屈としては少々弱い。


「ねえ、ちょっと?」


 目の前の少女がためらいがちに声をかけてきて我に返った。思考を巡らせることに集中しすぎてすっかり無意識だったが、無言でたっぷり十秒以上も凝視していたらしい。最初は親切心がそのまま出ていた彼女の表情も、気が付けばすっかり警戒の色に染まっている。

 不審な少女を疑問に思っているのはこちらのはずだったが、この状況をもし第三者が見たらどうなるか。見るからに年端もいかない少女をただただ無言でジロジロと見つめる不審者扱いは免れない。これはまずい、と赤尾は慌てて子供向けの笑顔を作った。


「あ、ああ、ごめんね。急に声をかけられたから驚いちゃったんだよ」

「……ふーん」


 可能な限り警戒されないよう、安心してもらえそうな笑顔を意識してみたのだが思いのほか不評だったようだ。少女の視線に含まれた刺々しさがどんどん鋭くなっていく。

 このまま警戒されっぱなしなのも良くないなぁ、けど笑顔以外にどうしたらいいんだろうなぁ、なんて考えながら笑顔はどうにか維持する。手のひらや背中は既に冷や汗が流れ始めていた。


 と、笑顔のにらめっこを続けていると突然――


「まあ、いいか」


 そんな言葉を言うのと同時に、ふっと少女の表情筋から力が抜けた。警戒の表情から一転して笑顔になる。


「こっちこそごめんね、お兄さん! 私ね、お兄さんが何か困ってるのかなって思って声かけたの! ここの部室になにか用事でもあるの?」

「ああ、うん、ちょっと、部室見学にね」

「そうなんだー! それで、どの部の見学に来たの?」

「文芸部だよ。二〇一号の部室はどこか、ちょっと探してたんだ」


 文芸部、という単語を口にしたとたん、少女の目が露骨に輝いた。


「文芸部に興味あるの? だったらあたし案内できるよ! あたしも今から同じところに行くの!」

「同じところって……文芸部に?」

「うん!」


 文芸部に用があるってことは、部員の誰かの妹とかその辺りだろうか、と赤尾は内心で合点がいった。じゃあ悪いけど案内してもらおうかなと、さっきよりは無駄な力の抜けた笑顔で助けを請うと、彼女は何のためらいも見せずに首を縦に振ってくれた。


「ところで、お兄さん」

「ん?」


 もうすっかり少女と打ち解けたものだと安心していた赤尾は、呼びかけてきた少女の声がさっきまでと少し違うトーンになっていることに気付かなかった。返事をして、彼女の顔を見る。

 何の気構えもなく顔を見て、さっきまでの笑顔が嘘のように少女から消えていることと、ぱっちりとしたその目がまっすぐに自分の目をとらえていることに怯んだ。


「さっきからね、ちょっと気になってたことがあるんだけど、いいかな?」

「……なに、かな」


 この目はなんだか知っている。身に覚えがあるような気がする。なんだったか、と思ってすぐに答えが出た。十年来の友人が、自分を心底心配して、お節介を焼こうとするときによく見せる目だ。つい数時間前にも見た、こちらの目を真っすぐ射貫くように見据えている目だった。

 もう隠したりごまかしたりするまでもない事実だが、この視線が赤尾は苦手だ。なんだか胸の内にどれだけ厳重に隠したことも、こうやって真っすぐ見据えてくる視線の前ではあっという間に見抜かれてしまう気がするのだ。

 こんな視線はあの友人だけしかしないと思っていた。


「あたし、何歳に見える?」

「へぁ?」


 ちょっと拍子抜けしたせいもあり、赤尾の喉からは普段出さないような裏返った声が出た。身構えて、視線に気圧されていたところに投げかけられた問いは、なんだか思っていたものとは違っていた。

 何を言い出すのかと彼女の顔を見ると、直前まで感じていたような鋭い視線は嘘のように消えていた。目の前の、髪を二つくくりにした少女の表情はまたも笑顔。真顔でこちらを見つめていたのは赤尾の気のせいだっただろうかと本気で思って、


 いや待て。


 笑顔は笑顔だ。間違いない。目の前に立ってこちらを見る彼女は紛れもなく笑顔なのだ。なのになんだろう、噴火前の火山を見ているような感覚というか。わけもわからず戸惑っていると、少女は持っていた小さなバッグから財布を取り出し、そこから小さな板切れのようなものを――赤尾が持っているのと同じ、学生証を取り出して見せた。書いてある生年月日は赤尾のものより一年古い。


「あたし二回生。文芸部の部員で、去年からこの大学に通う大学生なんだけど。あたしの事、何歳だと思って接してたのか教えてもらっていい?」


 もともと笑顔とは生物にとって、友好の意を示すものより攻撃的な意味合いが込められたものであるとは何処で聞いた知識だっただろうか。今目の前にある笑顔を見てふと赤尾はそんなことを思った。

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