第4話 ― 7

 扉を開けて入ると、やはりそこには茶原がいた。筋肉質で全体的にサイズの大きい体はそれほど狭くない部室だというのに圧迫感が必要以上にある。決して胴長短足というわけではないはずなのだが、それでも座高が立った赤尾の腰を越えている辺りいつ見ても文芸部員という肩書が似合わない。


「お疲れ様です、茶原先輩」

「よう、赤尾だったのか。今日は撮影無しだってよ。って、もう連絡届いてるか」


 講義おつかれさん、と言いながら茶原はこちらに視線を向けた。

 座っている彼の目の前には小さな座卓があり、その上にはかなり新しい型のノートパソコンが開いた状態で置かれていた。見かけにそぐわぬ文学青年な彼は、こうやって暇なときに部室に入り浸っていると高確率でパソコンを開いている。後ろからまじまじと覗き込んだことはないが楽しそうにキーボードを叩いており、どうやらオリジナルの小説を執筆しているらしい。

 それにしても、と執筆活動を切り上げた茶原がこちらを気遣った目で見てくる。


「大丈夫だったか、昨日は。ほら、ペンキ結構かかってただろ」

「ええ、問題ないっすよ。別に頭から丸ごとペンキまみれってわけでもないですし。服が一着ダメになっちゃったのは残念でしたけど、今回の件で犯人が分かったら弁償させればいいだけですし」

「結構神経太いよな、お前」


 そう言いながら手元に置かれたペットボトルのお茶をあおる茶原は、大きな図体と怖い顔に反してところどころ繊細なメンタルをしている。これは入部する前からそうではないかと睨んでいたが、入部して三日しないうちに予想は当たっていたと確信した。

 その繊細なメンタルがあるからこそ、今回のようなことが起こるのだ。赤尾は思い切って爆弾を投げ込んだ。


「花桜夢子って茶原先輩っすよね」


 ぶふぅ、となかなかに間の抜けた音をさせながら茶原が盛大にむせた。飲んでいる最中だったお茶が思いっきり気管に入ったらしい。派手に咳き込むその過剰な反応が答えだ。


「お前、な、なに言ってるんだ⁉ 急に何を言ってるんだ⁉ そんなわけないだろう‼」

「や、あの、そういうのいいんで」


 否定すればするだけボロが出ますよ、と容赦なく追い打ちをかけると茶原もさすがに逃げ場がないと悟ったらしい。顔面蒼白になりながら何度か口を開閉したあと、小声で「なんでわかった?」と一言だけ返ってきた。


「逆に茶原先輩、本当に隠す気あります?」


 ちょっと考えるだけですぐわかりましたけど、と指摘した通り、赤尾から見ているぶんには実にわかりやすかった。

 目の前でその名前が出るだけで依頼の話を聞き漏らすくらいに硬直し、ろくに話をしないうちから「いない人間を探すのも大変だから」と捜索しない方向へ誘導し、おまけにその間目はあちこちへと泳ぎっぱなし。最終的には露骨にごり押して撮影モデルを橙山にして依頼を片付けようとした。

 ここまでくると逆に自分がそうであると喧伝しているようなものなのに、それに気づかない榎園にこそ驚いたほどだ。橙山は同じ部活で付き合いも長いので何か感づいているかもしれないが。


 遠慮も容赦も一切ない赤尾の発言にがっくりとうなだれる茶原。もしかして本当にあれでごまかせていると思っていたのだろうか。入部当初から常々思っていたが、つくづく蛮族のような外見と内面がそぐわない筋肉である。


 ついでに言うと態度だけが判断基準ではない。

 もしかすると自分が深読みしているだけかもしれない、茶原本人ではなくあくまで茶原の知人を匿っているだけかもしれないという可能性も一応あったので、赤尾は先月号の部誌を橙山に譲ってもらい中身を読んでみたのだ。

 文章というのはどうしても書いた人間の癖が端々に出るものである、とは誰から聞いた知識だったか。先月号に載っている「花桜夢子」と、公に茶原のペンネームとなっている「あしなが本屋」はちょっとした言いまわしや文章の切り方、登場人物の口調などに決して偶然では済されまない数の類似点が見受けられた。


 ――ああ、桃宮先輩や橙山先輩の気持ちもわかるわこれ。

 それらを順に指摘するたび肩幅が小さくなっていくようにも見える茶原を見て、赤尾は妙に納得する。あの二人と相対すると赤尾も大概ではあるが、文芸部内でいわゆる「弄られキャラ」の地位を確立しているのはこの茶原である。

 わざわざこの蛮族のような外見を弄りにかかる理由として二人が以前口を揃えて言ったのが「外見の割に時々小動物みたいになって面白いから」だった。聞いた当時はその感覚が理解できずに女子ってこえぇ、と思っていた赤尾だったが、なるほど今ならその気持ちもわからなくはない。


「赤尾、頼む」


 そんなことを考えていると、俯いて沈んでいた茶原が唐突に顔をあげた。その表情は完全に追い詰められて命乞いをするかのように悲壮なものだ。頼み事が何なのかは聞く前から想像がつく。


「わかってますよ、別に言いふらしませんって」


 もとより茶原を貶めるためにこんなことを言い出したわけではない。なんだかんだでこの部活において文芸部らしい活動ができるのは全面的にこの先輩のおかげでもあるし、それなりに本を読む立場の赤尾にとっては共通の趣味で話ができる貴重な相手だ。

 部内の先輩三人の中で最も気を許している相手をわざわざ傷つけるような趣味は、赤尾にはなかった。

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