第4話 ― 6
「そこまでくると事務局案件じゃねえの?」
「いや、俺も正直な話そう思うんだけどな」
まだ怒りが収まらぬと鼻息を荒げながら指摘してくる親友に、赤尾は深々とため息をついた。まさにその点が赤尾の精神的な疲れの源泉である。
「依頼人の意向で、これは内密にって」
序盤からおかしいとは思っていたが、はっきりそう言われたのは昨日のペンキ事件の直後だった。当然茶原や橙山は怒って理由を問い詰めたが、依頼人である榎園は申し訳なさそうに視線を左右へ逃がしながら「こちらで絶対に解決するから」の一点張りである。聞き入れる必要など無いと突っぱねた文芸部員一同だったが、いざ事務局へ向かおうとしたその進路上に回り込まれて土下座までされてはさすがに躊躇いもする。
足こそ止まったものの、何故そこまで庇うと先輩二人は激怒したのだが、それを「犯人が誰かっていう確信も証拠もないのに、行くだけどうせ無意味でしょ」と取り成したのは赤尾自身だった。こういう時は周囲が激昂すればするほど、実際被害を受けた本人というのは案外冷静になるものだ。
ペンキが撒かれたまさにその上で熱心に額を擦り付けて懇願する様子に全くほだされなかったと言えば嘘になる。だがそれ以上に、あのヒーローごっこ大好きな部長なら、こういう時どんな反応をするだろうと一瞬考えた。
妨害が発生するタイミングを考えれば、明らかな悪意を感じる嫌がらせをここまで複数受けるその理由は撮影者の榎園にあることくらい子供でも分かる。本人だってわからないはずがないのに、自身へ悪意を向けて、なおかつ周囲まで巻き込む相手をここまで庇うには何か事情があるのではないか――などと。
――事情を聞かせなさいよ。じゃなきゃあたしだって納得できない。
少なくともそういって首を突っ込むだろうことは明白だった。ならば赤尾にそこで引く理由は、正義のヒーローにわざわざ後れを取る理由はなかった。
ヒーローがヒーローたりえる理由で人助けをするよりも前に、俗な理由で、事務的な手段で、凡人らしく問題を排除してやる。ヒーローなんて大層なものがいなくてもどうにかなるのだと、涼しい顔で笑ってやる。
そのためには向こうより早く問題に首を突っ込む必要があった。
我ながら屈折している、と心の片隅で呟く声を赤尾は無視する。
「一応今日も撮影の予定だったけど、榎園先輩がこの昼休みを使って解決してくるから一度延期にしようって話だったからな。それで犯人の確証がとれるなら動くのはそれからでいいかなと」
結局竹沢には、そんな上っ面だけの理由を話すに留めた。
しばらくの間眩しそうに細めた目で赤尾を真っすぐに見つめていた竹沢だったが、やがて「お前がそれで納得してるなら、何も言えないけどさ」と不服そうではあったが矛を収めてくれた。言いたいことは山ほどあるだろうに、それでもこちらの意図を汲んで見守ってくれる良き親友だった。
「で、撮影モデルとアシスタントのほうはそれでいいとして、もう片方は?」
「もう片方って?」
「決まってるだろ、花桜夢子とかいう名前の作家探しだよ。部長のほうから何か話聞いてないのか?」
ああ、と切り替わった話の趣旨を理解する。そういえば撮影のほうにばかり話題が偏っていたが、そんな問題も話したばかりだった。
とはいえ、そちらについては赤尾の中ですでに半分以上解決していた。そう伝えてやると竹沢は相当驚いたようで、目をまん丸に見開いて固まってしまった。鳩が豆鉄砲を食らったような、という言葉がこれほど似合う表情を赤尾は他に知らない。
「え、マジで、もう誰かわかってるのか」
「多分だけどな。あとうちの部長も知ってる可能性が高い」
「じゃあその人を写真部の人に合わせようぜ、それで少なくとも依頼自体は解決するだろ」
目を輝かせる竹沢だったが、それはちょっとなぁ、と赤尾は煮え切らない態度を取るほかない。というのも赤尾の予想が正しいのであれば、榎園に花桜夢子を引き合わせるのはあまり喜ばしいとは思えないからだ。
「結局誰だったんだよ、花桜夢子って」
「それは俺の口からはちょっと」
本人の名誉もあるし、と竹沢の追求をのらくらとかわしていくうちに午後の講義が近づいてきたので、赤尾は半分逃げるようにしてカフェから立ち去るのだった。
***
とはいえ、いい加減見て見ぬふりは難しい。主に己の腹筋のために。
そう思った赤尾は午後の講義が終わった後の文芸部部室へと足を運んだ。
結局昼休みだけで榎園はトラブルを解決できなかったらしく、昼休みが終わって三十分もしないうちに「本日は午後も延期。撮影は明日必ず」とスマートフォンに連絡が入っていた。
こういう時は部室に顔を出すも出さないも基本的に自由となっており、赤尾も気が向いたら部室に足を運んで読書をしたりする。入部前に予定していたほどの頻度は望めないがバイトも近いうちに始める予定で、そうなったら部活との兼ね合いを考える必要があるが今はとりあえずその心配は不要だった。
本校舎から少し距離のある部室棟まで歩き、文芸部の部室前に立つ。橙山は暇だと来るときと来ないときが半々くらいだが、残る二人はほぼ毎日ここに居座っているはずだった。ドアをノックすると案の定「おう、開いてるぞ」と野太い声がした。
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