第4話 ― 8

「そもそもなんでこんな手の込んだことしたんですか。ペンネーム複数用意するのもそうだけど、わざわざ女性っぽい名前にまでするから後々必死に隠す羽目になるんですよ」

「いや、まあ、その通りなんだがな、ああ」


 白状する気になったのは間違いないようだが、やはりそれでも歯切れが悪い。いい加減往生際が悪いですよと促すと、茶原はがっくりと肩を落としてぽつりと一言。


「似合わないだろ、こんなん」


 軽い口調のようではあるが、その実いやに重みのあるため息と短い答え。その一言でおおよその理由が察せられた。もともとその図体で読書家というだけでも十分なギャップのある大男である。

 もう一つのペンネームで書いている作品は先月号と今月号のどちらも男性主人公視点の青春ものや少しギャグを織り交ぜたものだが、花桜夢子名義で書かれた作品は完全に女性視点の純愛ドラマだ。これを茶原が書いたと考えると確かにその似合わなさは凄まじいものがあった。


「今のところは、赤尾以外に誰も気づいていないはずだけどな。バレたらあの二人にどれだけ笑われるか分かったもんじゃないだろ」


 そんなわけあるか、と思いっきり突っ込みそうになったのをどうにか喉元で抑える。思うところがあって黙っているのかもしれない、と予想を立てていた橙山は先月号の部誌を渡してくれる時、含みのある笑顔で「いやあ名探偵だねえ赤尾君」などと言っていたのでほぼ確定で気付いている。桃宮のほうもあの外見に騙されがちになるが、あれで勘の鋭さは一級品だ。赤尾が初見で見抜けるものをあの部長が見落とすわけがない。

 茶原の指す「あの二人」が意外なほど律儀に気付かないふりをしてやっているところまで含めて本当に腹筋に悪い。気を抜くと横っ腹が痛くなるまで笑い転げてしまいそうだ。


 聞けば茶原がこのように普段と異なるペンネームを持ち出すのはこれが初めてではなく、赤尾が入部するまでにもだいたい隔月ペースでやっていたという。本人は「たまたま執筆の調子が良かった時だけ多めに書いている」などと言っているがその割にはあらかじめスケジュールを組んでいるかのように隔月ペースが守られている。

 素直に「部員三人だと部誌として薄くなりがちだからもう一話書きたくて書いた」と言えばいいだろうに、つくづく往生際が悪い。


「まあそんなわけだからさ、花桜夢子探しは諦めてくれよ赤尾」


 両手を合わせて頼み込んでくるのは、依頼を受けた時に「探してみます」と最初に言ったのが赤尾だからだろう。


「そうですね、仮に見つけたとか言って榎園先輩に話しても、モデルの変更は無いでしょうし。世の中には知らない方がいい真実もあるってことで」

「お前結構ズバズバ言うよな」


 追い詰められて小動物と化していた筋肉が少し威圧感を取り戻してきた。少し笑顔が怖く感じたので、赤尾は視線を横に逃がしつつ話題を変えた。


「それにしても茶原先輩も災難っすね」

「災難?」

「文芸部が文芸部らしい活動してるの、ほとんど茶原先輩オンリーの活躍じゃないですか。話を書くのも読むのも好きなはずなのに、文芸部の主軸はあくまでも桃宮先輩のお悩み相談窓口なわけですよね」


 ああそれか、と茶原は話の趣旨を理解したらしい。せっかくなので赤尾は、前々から気になっていたことを尋ねてみることにした。


「茶原先輩、一個質問いいすか」

「おう、何だ?」

「自分でちゃんとした文芸部を立ち上げよう、っていうのは思わないんですか?」


 入部した直後から、いや体験入部の時からずっとそれは気になっていた。この文芸部を立ち上げたのは桃宮で、その実態は文芸部とは程遠いものの隠れ蓑だ。桃宮本人が「人助けのための部では設立が認められなかった」と言っていた。だから当時存在していなかった部活を隠れ蓑に仕立て上げる必要があったのだと。

 その宣言の通り文芸部としての活動も最低限行ってはいるが、桃宮の言動からは文芸部というのはあくまでも仮の姿、という認識が見え隠れしているのも事実だ。


 対して茶原のほうはと言えば、これまでに見てきた活動態度や本人の趣味からして正当な文芸部としての活動が主軸になっている。彼自身が動かなければ文芸部は文芸部としての体裁をほぼ保てないほどだ。そのことに、思うところが一つもないと赤尾には到底考えられなかった。


「俺が体験入部するときも、茶原先輩自身が言ってましたよね。この文芸部に文芸部としての活動を期待しているなら逃げた方がいいとか。じゃあ茶原先輩は逃げないんですか。文芸部としての活動を期待できる文芸部を新しく作ろうとか思わないんですか」


 彼の部活に対する態度や執筆クオリティならそれは決して不可能ではない。

 大学の文芸部で短編集の発行など、今のご時世でやったとしても本来なら大半の生徒に見向きもされないほうが一般的だろう。一部のコアなファンが付くことはあっても、設置した部誌が翌月までに全て無くなるような人気は得にくいだろうと赤尾にも想像がつく。

 それがこの大学では設置した二日後には三つあった部誌の束が一つ消えている。数カ月の大学生活で新しくできた友人や竹沢経由の情報でも「あしなが本屋」の短編が読みたくて毎月楽しみにしているファンは決して少なくないのだ。


 それを知っているからこその赤尾の問いに、しかし茶原は申し訳なさそうに口元を歪めながら、首を横に振る。


「そこに期待してくれてるんなら申し訳ないけどな、赤尾。俺にはそのつもりは一切ないよ」


 その表情が申し訳なさそうにも、困っているようにも、ただの苦笑いにも見えて、結局どれか赤尾には判別がつかなかった。判別がつかないなりに、その口調には強い意志を感じて、結局赤尾はそれ以上突っ込んだ話はできなかった。

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