第9話 ― 3

「赤尾が本気で二度と正義のヒーローって言葉を聞きたくないなら、はっきり今ここで言ってくれ。俺はそれ以上この件に干渉はしない。部長さんの件はすっげえ後味悪いし納得いかないけど、それでも俺は部外者でしかない。けどさ、俺にはそうは見えないんだよ」


 お前、本当はまだ正義のヒーロー好きじゃん。憧れたままじゃん。滅茶苦茶意識しまくってるじゃん、正義のヒーローってやつをさ。そう言われて、即座に違うと否定してやろうとして、咄嗟にそうできない自分自身にどきりとした。


「あの部長さん、定期的に俺の方まで文芸部でのお前の事聞かせに来るんだよ。多分お前がバレてないと思ってることまで律儀にな。写真部でのことは本当に、聞いてて嬉しかったんだぜ俺」


 どのことを指して話しているのかは心当たりがあった。茶原からも「ナチュラルボーンで素質あり」などと言われた自分の行動だ。自分の口から桃宮には伝えていないはずだから、茶原か橙山から桃宮まで話が通っていたのかもしれない。

 そういえばあの時桃宮は別の依頼があるからとあまり姿を見せていなかった。竹沢に報告をしに行ったのもその「別の依頼」とやらに含まれていたのだろうか。


 自分が思い描いた通りのヒーローがいないなら、自分がその第一号になってしまえばいいと茶原に言われたことも記憶に新しい。そんな話をして少し後から見るようになった変質した夢も、連鎖的に記憶から引き出されていく。


「覚えてないんだ、俺」


 気がつけば、そんな言葉が口から漏れ出ていた。


「夢で何度も、あの小学校の時の作文の事を見て、俺が作文を読み上げようとするところまでは覚えているのに、俺何を書いたか覚えていないんだ。将来の夢は正義のヒーローですって、なぜなら僕はって言ってそれからあとの続きがもう俺わかんないんだよ。なんで俺がヒーローやりたかったのかも覚えていない。消しちゃってるんだよ記憶から」


 今までこの親友にも、他の誰にも話した事のない、悪夢について。

 自分の口がそれの内容を口走っていると理解した時にはもう、言葉にブレーキが掛けられない状態だった。


「もう俺はヒーローが好きとか嫌いとかじゃないんだよ、そうなりたい理由を捨てちゃったんだよ。どうして昔の自分がそう思ったのかも全部思い出せないし、どうやってその夢を追いかけたいかもわからない」


 なれるもんならなりてえよ、正義のヒーロー。呟いた自分の声が震えていたと気付いたのは、少し間が空いてからだった。

 竹沢からは返事が返ってこないまま、重い空気がしばらく続いた。やがて赤尾がその沈黙に耐えられなくなった丁度その時。


「格好良かったからです。後は……また笑顔を見るために、格好いいヒーローになりたいです」


 そんな言葉が赤尾の方へ投げかけられた。随分とわざとらしく子供っぽい口調を作った、親友の声だ。怪訝な顔をして顔を見ると、彼は「確かそんな感じだったはずだ」と笑顔だ。


「俺もさすがに正確に全部覚えてるわけじゃないけどさ、お互い作文の提出前に見せ合いっこしただろ俺ら。その時に俺が見た内容はそう書いてあった。理由の一発目が格好いいからです、って始まってたのが個人的に面白くてなあ、案外思い出せるもんだな」


 言われてからその言葉を記憶に差し込んでみると、確かにそれは違和感が無くて――いやそれ以前にちょっと待て。


「十年と少し前の、しかも自分以外の作文だぞ⁉ 怖ぇよお前の記憶力!」

「ああいう年ごろの記憶って案外どうでもいいような内容が長く残ってたりするだろ。大体常に覚えてたわけじゃねえし、そういやなんだっけなって考えたら出てきただけだ」

「俺が何カ月その『そういやなんだっけな』で悶々としてたと思っていやがる! だいたいお前、格好良かったからって! 薄っぺらか八歳の俺!」


 声を震えさせて「ヒーローになりたい理由を消しちゃってるんだ」などと言った数秒前の自分をこそ消してしまいたい、と真剣に思った。何を真面目にウジウジと。蓋を開ければここまで馬鹿馬鹿しいというのに。


「ガキの頃の夢に複雑さを求める方が間違ってる。それに重要なのはもう一個後ろじゃね、たぶん」


 また笑顔を見るために。竹沢の記憶にはそうあるらしい。また、ということは作文を書く以前に最初の一回目があるはずだが、赤尾自身にそんな記憶はない。竹沢の方もさすがにそこまで鮮明に記憶しているわけではないらしく、首を傾げられた。


「けどまあ、今そこはいいんじゃね。理由そのものは出てる」


 笑顔が見たいから。その理由を繰り返して竹沢はいつもと同じく人懐っこい笑顔になった。


「いいじゃん、シンプルで、ヒーローっぽくて。正義のヒーロー目指す理由としてこれで相応しくないって事はないだろ」


 これで全部出そろった。親友の言葉で赤尾もそのことに気付いた。

 ヒーローへの憧れはまだ残っていた。ナチュラルボーンで素質ありなどと弄られる程度に。

 ヒーローになりたい理由も掘り起こせた。思っていたよりシンプルで、だが確かにヒーローらしい動機だった。

 正直まだ赤尾自身の気持ちや覚悟が決まったと言えるわけではない。抱え込んでいたトラウマが消えたわけでもない。なにせ今さっき全て揃ったばかりだし、そのほとんどは今の赤尾の物ではなく、八歳の自分のものだ。

 それでも、せっかく全部思い出せて状況も整っているのだから、あの頃の自分に報いてやってもいいか、くらいの気持ちにはなっていた。


「ちなみに、お前のとこの部長は今日まだ大学にいる。ババアがまた大学に来るのは夕方くらい。多分そのタイミングで退学の書類でも出して、その足でお見合いに向かうんだろうな。これもお前が恐れる親友の諜報能力だから信頼していいぜ」


 何かするなら今がラストチャンスだ、と笑う竹沢。

 この場合、ヒーローが助けるべきは桃宮で、その桃宮の笑顔を見たいのであればどうすればいいか。少し考えて――浮かんだ。


「竹沢、ちょっと頼みがあるんだけど」


 先ほどまでとは別人のように真っすぐな視線を向けられた親友が、嬉しそうな表情で頷いた。

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