第11話 ― 8

「例えば赤尾くんさ、この前の叔母さんの件あるでしょ」


 口調の中に呆れを隠そうともしないまま滲ませて桃宮が隣で切り出す。つい最近の事ではあるが自分も桃宮も好んで口にしたい話題でもないはずだから、と極力触れてこなかった件を平然と持ち込まれて赤尾は面食らう。

 その反応を知ってか知らずか、桃宮は構わず続けた。


「あの時人を集めて、叔母さんがあたしに脅しをかけられない状況を作ってくれた赤尾くんが、あれは他の人達のおかげですとか最後に叔母さんに立ち向かったのは桃宮先輩自身ですとか言って、大したこと何もしてませんって澄まし顔したらあたしは怒る」


 えっ怒るんですか、とうっかり口が滑って慌てて手で押さえる。ちらりと視線を横に向けると桃宮の表情は笑顔だ。初対面で赤尾がうっかり誰かの妹だと勘違いして接した時の、噴火直前の火山を連想させる類のものである。


「思ってたんだ?」

「いや、あの、まあ……事実最後に立ち向かったのは桃宮先輩自身ですし。あ、でもあの時は俺自身も前に出てたから今回よりは自分が頑張った感じもありますけど」

「同じようなもんじゃない。あたしはあの時、赤尾くんが止めに来てなかったら本当に退学する羽目になってたわ。光汰くんも多分同じ。赤尾くんが助けに来たって言ったから今あの場所にいるのよ」


 そう呟いた桃宮の視線は本人の宣言通り確かに不機嫌そうで眉間にうっすらと皺も寄っている。しかしそれと同時に、どこかうっすらと面白がっているような雰囲気も赤尾には感じられた。真逆にありそうな感覚を同時に感じ取るというのは、どことなくくすぐったいような、居心地の悪いような気分になる。

 試合の方は四人目を倒した後の休憩時間に入っており、今は注視しておらずとも好い状態だ。


「だいぶ前に、現実で正義のヒーローって何やればいいんだろうって話した事あるでしょ」


 赤尾は小さく頷いた。自分が仮入部で文芸部に顔を出していた頃の話だ。川に落ちたお守り探しをする桃宮から聞いた事をはっきりと記憶している。


「正義のヒーローだからって直接攻撃に出るわけにいかないあたし達にできる事って、最終的には今の赤尾くんみたいなことだと思うの。サポートして応援して、折れた人間にもう一度立ち上がる場所を用意すること。光汰くん今凄まじい強さしてるけど、だからって放っておいてもいずれ一人で立ち直っただろうなんて考えるのは大間違いよ」


 ――あのちびっ子にとっては立派な正義のヒーローでしょ、俺が助けたって胸張んなさい。

 そんな言葉と共に背中にとん、と小さな手のひらの感触。軽く手を添える程度の軽さで触れられたそれは、思いのほかすんなり赤尾の首を縦に振らせた。桃宮の言葉が腑に落ちた後で思い返せばなるほど、自分が光汰に向けて言った言葉はあまり良くなかったかもしれないなと、そう思った矢先だった。


「というわけで」


 落ち着いて言い聞かせるような、珍しく外見ではなく実年齢に見合うような口調をしていた桃宮が唐突に声の調子を変えた。どちらかというと勢い任せな行動をするときによく聞く声のトーンだ。主に楽しんでいるときや冗談を言う時、あとは周囲に無茶ぶりをする直前に何度か聞いたことのあるような、


「今回の依頼最後にヒーローっぽいこともう一回、やってきなさい赤尾くん」


 そんな言葉と同時に背中に添えられた小さな手が自分を力いっぱい押した。

 体格差を考えると普段なら到底その程度で揺らぐことはないはずだが、なにせ不意打ちである。押し出されるまま一歩前に踏み出して――足元のバランスを崩したまま正面のそれに気づいた。

 

 まだ光汰は休憩中だ。余計なことをされないようにと少しだけ距離を空けた位置に茶原と橙山が控えており、光汰と二言三言会話をしている。赤尾と桃宮が立っていたのは三人とは反対側、つまり虐めっ子側の五人がいる方向だったのだが。

 赤尾の目の前でその五人のうち一人が、防具を脱ぎ始めているところだった。今まさに脱ぎ始めた所のようで、取り外してあるのは小手だけだがその手の動きに迷いは感じられない。

 まだ脱いでいない腰のたれに刺繍された名前は韮崎にらさきで、これから試合をするはずの五人目のものだ。面をつける前の顔も覚えている。光汰とのメッセージで特徴を聞いていた「蛇みたいな顔の先輩」だ。


 何を考えているのか、即座に理解した。同時に桃宮の意図も。これ以上動かれる前にと、背後の桃宮を確認する手間すら省略して赤尾は一歩前へ踏み出した。


「よう。光汰くんに負けるのがそんなに怖いのか」


 防具を外すのに意識を向けていたからか赤尾の接近には気付いていなかったらしい。一声かけた時点で背中に電流でも走ったかと思うほど盛大に肩を震わせる韮崎の反応はおそらく図星だ。


「別に。やる意味ないじゃんこんなの。俺たち別に才能マンと試合したいわけじゃないし。あーはいはい強いですねー凄いですねー、だから? って感じ」


 がっしりした金属製の面越しに返ってきたくぐもった声は妙に早口で、本人はさも平静を装っているのだろうが、同じ年代を他者の反応や動きに警戒しながら過ごした赤尾に言わせればまったくもって不貞腐れた感情を隠せていない。自室で暗い目をしたまま寝転がっていた光汰の方がまだ手ごわかった。


「それ、四人試合してから言うセリフじゃないと思うけどな。あとは自分だけってなってから言い出したらただ尻尾撒いて逃げてるようにしか見えないよ」


 格好悪いなお前、とこれ見よがしに鼻で笑ってみせる。捨て鉢な口調で赤尾に答えながらも止まらなかった手の動きが、ぴたりと止まった。

 さあて来るぞ、と赤尾が腹をくくるのと、離れた位置にいる光汰の視線がこちらを向くのとは同時だった。

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