エピローグ エンドロールは穏やかに

***


 ふと目を覚ますと、もう真夜中だった。

 明かりは完全に消えているがどう考えても自分の家ではない。寝起きの混乱する頭で記憶を辿って、十秒ほどでここが文芸部の部室であることを思い出した。どうも自分は窓際に寝かされていたらしい。差し込んでくる青白いかすかな光の角度でそう気づく。


 お祭り騒ぎだ、と橙山が騒いでいたことは記憶にある。ということはそこから部室で散々騒いだのだろう。静寂の中にはそれなりに濃いアルコールのにおいが漂っている。

 朝起きたら部室出るときは気を付けないとな、と心のうちに言い聞かせておく。部室の内側などある種の治外法権地域なので飲酒そのものが口うるさく言われることは無いだろうが、部室内に男女雑魚寝で夜明かししたなどと言うのはさすがにバレても黙認されるレベルを超えている。


 周囲を見渡せば、暗く静かな部室の中では数人の寝息が聞こえている。暗い空間に目が慣れてくると部室の中は案外ちゃんと見渡せるもので、大小それぞれな人影が部室のあちこちで転がっているのが見て取れる。

 ひときわ大きいのは間違いなく茶原だ。少し離れた位置にいるのは竹沢だろうか。二人の人影とは少し距離がある位置の人影は少し迷ってから、桃宮だとしたらあんなにシルエットが長くないと気付いた。消去法で橙山だろう。


 ――あれ桃宮先輩はどこだ、という疑問はどうやらうっかり口から出ていたらしい。すぐ横で身じろぎする気配がした。


「向こうで男二人から距離取ってる人影を、迷いなくレーナちゃんだと思った理由聞かせてもらえるかしら」

「……おはようございます、桃宮先輩」


 周囲を起こさない気遣いから小声だが、それでも夜中の寝起きに聞くには少々剣呑な声だった。どうやら向こうも少し前から起きていたらしい。あえて質問に答えるのを避けると、向こうも無理に追及してくる様子は無かった。


「ありがとうね、赤尾くん」

「どういたしまして。けど俺だけじゃなくてそこで寝てる人らにも朝に言っといたほうがいいっすよ。俺だけで動いたわけじゃないので」

「もうとっくの昔に言ったわよ。っていうか寝るの早すぎるでしょ赤尾くん」


 何のお礼ですか、とは聞き返さない。寝起きとはいえそこまで赤尾も察しが悪い人間ではない。代わりに赤尾の方からは言っておきたいことがあった。


「桃宮先輩」

「なに?」

「竹沢から依頼受けてたそうですね。ご迷惑おかけしました」


 バレたかぁ、と窓から差し込む月明かり越しに飛んでくる声は苦笑気味だ。


「バレたというか、あいつ自分から言ったんで」

「そっか。……言っておくけど、あたしが想定してた依頼の進め方とか仮入部の時点でぶっ壊されてるからね、誰かの爆発のおかげで」

「でしょうね」


 俺と勝負してください。そう吹っ掛けたのは赤尾の方だ。ちょっとコンビニまで、というような気軽さで頷いた桃宮も大概ではあったが。

 正義のヒーローなんて別に憧れるようなものじゃなかったと言わせてやる、と仕掛けた勝負は、少し前に決着がつきそうになって――自分が勝ってしまうと察した瞬間赤尾は逃げた。


「ちなみにもう負け宣言なんかしてあげないからね。せっかく赤尾くんが勝つチャンスだったのに、逃げちゃったし。あの時と状況も全然違うし。だいたい、正義のヒーロー失格だって言ったその本人があたしを正義のヒーローだって認めてくれちゃったわけだし」

「分かってますよ、わざわざ言わんでも」


 正直な所、それを認めた時点で勝敗は既に決しているのだろう。それでもあえて、赤尾は口にしたかった。


「先輩」


 うん、と桃宮の返事は短い。眠気の波が来ているのか、それとも赤尾の言葉を察しているのかは、薄暗い窓際では判別がつかない。


「やっぱり、正義のヒーロー最高っすね」


 返事はしばらく帰ってこなかった。少し待って、これは寝落ちしたんだなと判断する。

 ――せっかく負け宣言してやったのに、寝てて聞いていないのかよ。まあいいもう二度と言ってやらないからな。そんなふうに思って赤尾ももう一度寝ようと目を閉じた時。


「……あたしの勝ち」


 小さく、眠たそうにゆっくりと、しかし間違いなく勝ち誇った口調で、隣からはそんな言葉が返ってきた。だが赤尾だって負けっぱなしでいる気はさらさらない。


「その代わり、俺だって正義のヒーローに憧れてます。桃宮先輩なんか足元に及ばんくらい格好よくヒーローになりますから。負けませんから」


 返事は今度こそ返ってこなかった。それでいいと思った。これ以上は真面目な顔で話すにはむず痒さの方が勝ってしまう。いやここまでも相当なものだが。

 ヒーローが嫌いになった赤尾の、ヒーロー好きへの見当違いな復讐劇は、こうして赤尾の負けで幕を閉じたのだった。

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