第6話 ― 8

 茶原からの回答は単純明快で、


「うん、俺はわからん」


 と、たったそれだけであった。赤尾が思わず脱力し、その場に座り込みかけるところをどうにか精神力で耐える。ここで座り込んでしまうと橙山や木崎からは見えるし、今は撮影のために赤尾達には背を向ける格好になっている榎園にも連鎖的に気づかれるだろう。

 撮影の手伝いをしている途中に何度も深呼吸をしては口の中で小さく何やら呟いている木崎を見ていると、ここで撮影を一時中断させて水を差すのはさすがに気が引ける。


「一応ね、俺は今真面目なことを先輩に聞いたつもりだったんですけど。シリアスなつもりだったんですけど」

「いやいや、俺だって至極真面目だよ」


 この前の証拠ムービーとかその辺の件だろと、明確に赤尾から言葉にはしていなかったが茶原の読みは的確だ。


「逆に聞きたいが赤尾はどうしたかったんだ?」


 そう言われて考え込む。眺めている先では木崎がもう何度目になるかもわからない深呼吸をしていた。

 あの時はあくまでも「悪いのは向こう、正しいのは自分だ」という言葉を言い訳のように使って、嫌がらせの犯人を追い詰めることしか考えていなかった。そこに赤尾がどうしたかったなど考える余地は残っていなかった。

 しいて言うなら、言うことを聞けば動画は消してやると、脅迫ついでに差し出した条件がそうだろうか。考えて首を横に振った。妨害を止めたかったのも先輩達に謝ってほしかったのも決して嘘ではないが、それは勝利宣言の代わりでしかなかったように自分で思う。少し考えてから赤尾は口を開いた。


「脅迫とかじゃなくて、もう少し堂々と格好よく解決したかったかもしれません」


 文芸部は正義のヒーローじゃなかったのか、とは今ちょうど顔を真っ赤にしている木崎に糾弾されたのだったか。それと同時に格好悪いという罵倒も自分の胸の内側から投げつけられて、自分はヒーローなんかじゃないから格好よく誰も彼もを助けることなどできないと言い訳のように語った。

 自分にはできないと思いながらも、やりたかった事は多分それだ。

 そう言うと、茶原が隣で笑う気配がした。


「じゃあ、そうすればよかったんだ」

「簡単に言わないでくださいよ」

「簡単ではないかもしれないけどな、そうしたいならそうするべきだった。ムービーで脅迫なんて手段を使わず、正面から堂々と名乗り出て、みんな笑って終わるような格好いい解決をすればよかったんだと俺は思うよ」

「それができれば苦労はしません」


 それはなんでだ、と端的に尋ねてくる言葉は、赤尾が考える時間をちゃんと待ってくれている。一歳上なだけでこの精神年齢の違いはどこから来るのか、やはり橙山の言っていた空手だかなんだかの稽古を続けていたことが影響しているのだろうか。


「俺は正義のヒーローなんて御大層なもんじゃないからです」


 いっそ拗ねた子供のようにも聞こえる赤尾の回答に、茶原が「あーそうだそれそれ」と軽い口調で乗っかってきた。自身の髪の毛をくしゃくしゃとかきながら、少し言葉を探すような沈黙を挟んで茶原が口を開く。


「ちょくちょく自分に言い聞かせるみたいに言ってるそれな、聞いててずっと不思議だったんだよ俺。正義のヒーローなんて存在しません、俺は正義のヒーローになれませんってやつな」


 赤尾がヒーロー嫌いなこととそれが桃宮に知られた経緯は文芸部内で共有されており、橙山も茶原も知っている。そのため赤尾も殊更に隠そうとする動きはせず、反対に桃宮は事あるごとに正義のヒーローを熱く語るため、それの対抗意見として赤尾がぶつかりに行くときなどに口に出す機会も時折あった言葉だ。


「いるかいないかは俺には何とも言えないよ。桃宮って前例は見てるけど他に見た事あんまりないし。一応赤尾に合わせて居ない前提で話すぞ。前例としてヒーローが居ないことと、自分がそうはなれない事はイコールか?」


 そう言って、隣に立って同じ方向を眺めていた茶原は赤尾の方に改めて向き直る。


「もしなりたいなら、なりゃあいいじゃねえか、自分が。他にヒーローがいないなら自分が思い描いた通りのヒーロー第一号になってやればいいだろ。それってそんなに難しいか?」


 少なくとも俺は一人、それを実践してる奴を知ってるぞ。

 事もなげにそう言われてしまうと、なんだか本当に簡単そうに聞こえてしまうのがずるい。大柄でどっしり構えているように見える茶原の雰囲気がそうさせるのだが、なんだか返事をするのも悔しくて赤尾はだんまりを決め込んだ。

 何かを言いたくはなかったが、桃宮が勉強になるなどと言って茶原に任せた理由が少し読めたような気がして、それも少し悔しい理由である。


 視線の先ではようやく撮影がひと段落したようで、木崎が真っ赤な顔のまま榎園と向かい合って話をしているところだった。少し離れた位置にいる橙山に視線を向けると、無邪気な子供のような笑顔でこちらにVサインが返ってくる。

 撮影モデルの依頼も傍迷惑な恋愛事情も、どうやら今日中にまとめて片付きそうだ。そのことだけが、悔しくて不貞腐れ気味になっていた赤尾の心の中を多少だが晴れやかにしてくれていた。

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