第6話 ― 9
***
撮影も榎園の満足がいくものが撮れたとのことで、依頼は完了となってから一週間ほど経った日の事である。
赤尾が部室へ行くと、中にいた茶原が嬉しそうに白い封筒を見せてきた。
「今日部室に来たら、ドアの内側にこれが入ってたんだよ。俺はこれが見たくて首突っ込んだからさぁ、嬉しくてさぁもう」
文芸部の部室入口のドアには投函口などはついていない。おそらくドア下の隙間から差し込まれたのだろうその封筒の中には、一枚の便箋と写真、それから諭吉が一枚入っていて赤尾は驚いた。なんの金だこれはと思いながらも茶原に促されるまま便箋に目を通す。
「お世話になりました。やった事の後始末を頑張っています。ペンキの件は特にごめんなさい」
丸く整った女性っぽさを感じる文字で一行だけ書かれた便箋には木崎の名前が添えられていた。写真のほうは、荒らされた花壇を直している木崎の姿が写っており、裏面には「撮影・榎園」とだけ、こちらは殴り書き気味な素っ気ない署名だ。
写真のなかの木崎は、カメラの方をみて微笑んでいる。柔らかいその表情は、明らかにカメラを持っているその人物に向けられたものだろう。二人の関係性は明記されていないが、写真を見る限りでは少なくとも悪いものではなさそうだ。
お金については、便箋を見る限りだと赤尾の服の弁償用だろうか。
そういえば服の事をすっかり忘れていた、と呟くと目の前の茶原が吹き出した。
「やっぱりそうだろうと思ってたよ、あれだけお気に入りの服がって言ってたくせにさ」
「だからって笑うことなくないですか」
「いやいや、笑うとこだよこれはさ。あんだけ色々言っててもナチュラルボーンで素質ありってことだし」
何のことか、と少し考えて――すぐに赤尾は渋い表情になった。
「体を張って人のために努力して、見返りや自身の不利益など気にもしない……だっけか? 途中こそ一度やらかしてたけどな、今回のお前見てると確かになって思うよ」
「その途中のやらかしでたまたま頭から飛んでただけです。適当なことを言わないでください」
吐き捨てて、半分投げつけるように封筒と写真を茶原につき返した。お金も一緒に渡したのだが「たまたま頭から飛んでただけって言うならせめて受け取れよ」と面白半分に言われて結局押し切られた。
にやにやと笑う茶原の視線が耐えられずに踵を返し、結局逃げるようにして部室を飛び出そうとしたとき、背後から茶原の声が追ってきた。
「赤尾、前に言ったことだけどな。正直ちょっと楽しみに待ってるよ俺は」
――もしなりたいなら、なりゃあいいじゃねえか、自分が。他にヒーローがいないなら自分が思い描いた通りのヒーロー第一号になってやればいいだろ。
茶原が指しているのがその言葉だというのはすぐにわかった。
「無駄に決まってるじゃないですか」
背中越しにそう切り捨てて、それ以上の追撃を避けるために赤尾はそのまま部室を出た。後ろ手にドアを閉めて、部室棟から出た辺りで今度は、髪を二つ括りにした中学生のようなシルエットに出くわした。
曲がり角での遭遇だったため、あやうくぶつかりそうになるのを直前で避ける。茶原のように大柄ではないが赤尾と桃宮の体格差でぶつかれば怪我をさせかねない。きゃあ、という悲鳴の後で向こうも相手が赤尾だということに気付いたようだ。
「危ないなぁもう。気を付けて歩きなさいよね全く」
「すいません」
「まあ、怪我もないしいいんだけど……赤尾くん、しばらく見ないうちに顔つきとかちょっと変わった?」
そう言いながら赤尾を見上げる位置で彼女は赤尾にそう尋ねてきた。撮影モデルの依頼に取り掛かっている間、そういえば顔を合わせる機会がほとんどなかったなと思い出す。桃宮は桃宮で別の依頼をこなしていたらしい、というのは茶原辺りから聞いていたのだったか。
そういえばまだ聞いてなかったけど、と桃宮が話題を投げてくる。赤尾の顔つきの変化を見つけ出すのは早々に飽きたらしい。
「茶原を見ててどうよ、何か勉強になった?」
こちらの心の奥まで見透かしてくるような、仮入部の時と同じ視線。口調や口元を見る限り観察しながら完全に面白がっている。これは話が筒抜けか、と察した。話したのは茶原か、橙山か、あるいは両方か。
「いいえ全く、何も!」
頑なな口調で半分怒鳴るように吐き捨てて、赤尾はその場を逃げ出すように立ち去る。
もしなりたいなら、なりゃあいいじゃねえか。あの言葉に首を縦に振ったら自分は負ける。誰にかと言われればそれはあのちびっ子先輩と、過去の自分だ。
立ち去りながら足音が荒くなったのは、自分が意地を張っているだけなのだと理解しそうになったのをかき消すためでもあった。
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