第3話 ― 4

「っていうか赤尾くん、講義は? もしかしてサボり? だめだよ、学生の本分は勉強なんだから」

「あんたが言うな、あんたが」


 朝から大学に顔すら出していない桃宮がもっともらしいことを言っても説得力は皆無である。どうにも雑になりがちな赤尾の口調だったが、桃宮は特にそれを気にした様子もなく、赤尾の足元に置かれた自分の荷物を漁り始めた。


「あ、レーナちゃんからメッセージ来てた」


 もうお昼だったのかぁ、とスマートフォンを取り出して呟く。レーナちゃん、というのは誰かと思って、そういえば部室にいた先輩の下の名前がそうだったなと思い至った。今の今まで時間すら全く把握していなかったらしい。一体どれだけ探し続けていたのか。


「お守り探し、どれくらい進みましたか」

「あー、まだ半分くらい? 橋の上から投げたって言ってもそんなに遠くには行ってないはずだし、この辺雨でも降らない限りは物が流れるほどの勢いもないし、橋の下を中心に探してるんだけどね」


 苦笑いを見せた桃宮が手で促すのに従い、赤尾も川のほうに視線を向けた。川岸からもう反対側の岸までの距離はざっと十五、六メートルくらいだろうか。川の下を中心にとはいえその前後も多少含めて考えれば、探す範囲は広大とまで言わずとも決して狭いものではない。

 昨日三人がかりでも探しきれなかったのだ。小柄な桃宮一人で探すことの途方もなさは想像するに容易い事だった。


 だというのに、なぜだろうか。おそらくは部室にいた橙山という先輩とメッセージのやり取りをしているのだろう、その場にしゃがみこんでスマートフォンを操作している小柄な先輩の表情を赤尾はじっと見つめた。口元は柔らかく笑みを浮かべ、目じりも力が抜けている。穏やかな表情だった。

 補導されかけていた時こそ不機嫌そうだったが、それ以外は、いやその時でさえ、彼女の表情には一貫して諦めや、倦怠感といったネガティブなものは見受けられなかった。


「先輩」

「んー?」


 ごめんちょっとだけ待ってね、とスマートフォンを少し操作してから桃宮はその童顔を赤尾のほうに向けた。きょとんとした表情が、すぐに真顔に変わる。自覚こそないが、赤尾はそれくらいには険しい表情をしていた。


「なんで、そこまでできるんですか?」


 口から出た言葉は、なんとなく拗ねた子供の台詞のように聞こえた。


「三島さん、お守り返ってこなかったのは残念だけど、トラブルは解決したって言ってました。そりゃ、それで万事解決なんて俺だって思いませんし、今日も探すっていうのは異論なんか全然ありませんけど。でも桃宮先輩がそこまでやる理由がわからないです」


 むしろ俺じゃないですか、と出てきた言葉は、桃宮が朝からここにいると知ってずっと頭の中をぐるぐると回っていたものだった。

 間が悪かったのは自分だ。暴走したのは自分だ。お守りが川に投げ込まれたのは、自分が原因だ。だから誠心誠意探す気でいたのは本当だ。まさか諸悪の根源が決意している以上の行動を、むしろ迷惑かけられた側の桃宮が既にしているのは少し悔しかったし、申し訳なかった。


 感情的な理由だけではない。依頼だのなんだのとそれらしい言葉を並べてはいても、結局のところその実態はあくまでも部活ではないか。ならば最優先は依頼人ではない。奇しくもつい先ほど桃宮自身が口にした通り、自分たちは学生で、学生ならば学業が本分だ。血も涙もないことを言うようだが、己の事が最優先事項のはずだ。


「講義や自分自身の事より優先して、警察にまで目つけられて、なんで平然とそんな顔して依頼を優先できるんですか、そんな、当たり前みたいな顔して」


 言葉を選んで吐き捨てながら、自分の中で頭の中の整理をつけていく。自分の口調が拗ねた子供みたいになっていた理由が、赤尾には分かってきていた。


 強きを挫き、弱きを助け。困っている人に手を差し伸べて。

 体を張って人のために努力して、見返りや自身の不利益など気にもしない。

 子供の頃に憧れた「それ」を重ねてしまうのだ。

 だから見過ごせない。我慢ができない。許せない。


「あたしさ、好きなものがあるの」


 そんな赤尾の、言葉にできない心境がどれだけ表情から伝わったのかはわからない。けれど桃宮は赤尾の瞳を真っすぐ見つめて、笑った。

 その目と笑顔は、赤尾が一昨日に感じたのと同じ、こちらの全てを見透かしているように感じられるものだった。胸の内側の奥深くに、厳重に隠している気持ちを、あっさりと見抜かれているようにも感じる目。

 それを苦手に感じるのは、見抜かれることよりも、見抜いたその言葉を聞かされることが嫌だからだ。


「小さいころからずーっと憧れててね、今でもそうなりたいって思ってる、大好きなもの。正直に言うと、文芸部を……っていうか、文芸部を隠れ蓑にしてこんな依頼を請け負うような部活を立ち上げたのも、それに憧れてたからなんだよね。困ってる人の声を聞いて、すぐに駆けつけて悪い奴をやっつけて助けちゃうの。対価なんか要求しようともしない。いつ見ても格好いいんだよね」


 そこまで言って桃宮は一旦言葉を切り、そうして。


「あたしの将来の夢はね、正義のヒーローになることなんだ」


 これ以上ないほどに眩しい笑顔で、八歳の頃の赤尾と全く同じその言葉を口にした。

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