第11話 ― 2

「――と、いう事らしいですけど。どうでしょう」


 スマートフォンの画面を眺めながら説明を終え、赤尾は顔をあげた。

 講義の時間は既に終わっており、場所は文芸部の部室である。赤尾もいい加減通い慣れ過ぎてそろそろ第二の自室と認識し始めたその空間で、淡々と語る赤尾を眺める目は三人分。桃宮と茶原、それに橙山で、もれなく全員が豆鉄砲を食らった鳩のような表情をしていた。


「いや、どうでしょうも何もお前」


 たっぷり十秒は沈黙を挟んでから、最初に反応を示したのは茶原だ。前日の飯塚家訪問には参加していなかったものの、事の次第は桃宮や橙山から聞いていたらしい。部室に来て最初に口にした言葉が「昨日の依頼がどうとかって話、どうなった?」だったのは依頼に対して熱心なのか、初めて依頼に取り組む主軸を務めた赤尾を心配しているのか。

 動揺していないときはとことん表情が読みづらい強面こわもてから赤尾が慣れで読み解いた比率は前者一、後者三といった具合か。


 余談だが昨日の用事とは何だったのかをそれとなく尋ねてみたところ、何故かメッセージアプリ経由で猫の画像が十枚ほど送られてきた。

 茶原曰く「詫びだ」とのことだが、結局何がなんだか赤尾にはさっぱりわからなかった。そもそもからして犬派の赤尾には詫びとしての効果も薄い。


「確か桃宮からは、様子を見に行ったけど本人からは話が聞けず、練習試合のDVDだけ確認して帰ってきたって話を聞いてたと思うんだが。その……光汰とかいう中学生の部活でのトラブルはどこで聞いたんだ?」

「そりゃもう本人から、メッセージ越しにですけど」


 そう言いながら手に持っていたスマートフォンの画面を見せる。そこには赤尾がつい先ほどまで語っていた内容がそのまま書いてあった。

 一番最後のやり取りは赤尾側からが「話してもらった内容を俺が信用する人にだけなら相談していいか?」であり、それに対する返答は「大丈夫」の一言である。


「でも確か、挨拶に行って手酷く追い返されたとか聞いたが」

「ええ、まあ、そうなんですが」


 そこに関しては返答の歯切れがどうしても悪くなる。一応メッセージの連絡先を交換する程度には打ち解けたが、だからと言って心の傷が即座に癒えるほど赤尾の構造は単純ではない。


「帰り際にもう一度話しかけに行って、DVDで気になった事もあったのでその時に色々尋ねて、あとは……えーっと」


 ――正義のヒーローを名乗りました。

 言えるわけあるか馬鹿野郎。


 脳内でシミュレートした単語は到底口にできるものではなくて、思わず言葉が詰まった。一条の一件以来例の嫌な夢を見ることも無くなり、赤尾自身も過去の夢と向き合えたという自覚はある。

 だが過去の自分の言動を全てひっくり返して開き直れるかどうかは別の話だ。何より冷静に思い返すとその言動自体が恥ずかしいにもほどがあるではないか。


 ちらり、と視線を桃宮の方へ投げかける。

 面白がるような、からかうような色合いを含んだ目が笑いをこらえているのが見て取れた。相変わらず味方においても厄介なほど勘が鋭い。


「まあ、とにかく信用してもらうことに成功して、状況を教えてもらいました。部内でのいじめで間違いないと思いますけど」


 桃宮の目から逃げたくて強引に話を畳む。

 幸い強引に話題を掘り返されることはなく、赤尾の言葉に応じたのはまたしても茶原だった。


「部内で目立つからっていう後輩いびりだなぁ。いるんだよな時々。自分より少し出来がいい奴はすべからく敵だと思って叩きのめしたがる子供って」

「でもそうなると、やる気を取り戻させるっていうの結構大変じゃない? 一番手っ取り早い方法、絶対にやっちゃダメなわけでしょー?」


 赤尾は頷いた。

 依頼人である兄の飯塚慧は「弟の燃え尽き症候群を何とかしてほしい」と依頼してきたわけだが、その依頼のきっかけとなっているのは剣道部員だった光汰のサボりが目立つようになった事である。

 一番わかりやすいのは「剣道部への復帰」ということになるが、剣道部での事情が分かった以上それだけは絶対にできない。肉食獣の檻から命からがら逃げだしてきたものを捕まえて再び檻に投げ込むに等しい行為だ。


 要は何かにやる気をもう一回燃やしている姿が見られたら満足なんだろうけどな、と赤尾は思うが、それは外部から適当に与えてどうにかなるものでもない。やる気が出るかどうかは、実際にそれに取り組む光汰自身の興味次第であって、そこに他者が入り込む余地はない。

 たとえ適当に何か代わりの趣味を教えても、三日坊主では依頼達成とは言えないだろう。


「メッセージの方でなんかそれらしい会話はしてないのか、新しく趣味にするならこういうのがいい、みたいなの」

「会話の中では、そういうのは出てないですね。剣道部内でのやり取りしか聞いてませんし」


 でも、と続けながら赤尾が思い出したのは、帰る間際にもう一度訪れた光汰の部屋での光景だった。

 年頃の男子らしく適当に散らかった部屋の片隅。そこだけはまるで不可侵の聖域であるかのように、竹刀袋の立てかけられた一角はゴミも汚れも漫画も転がっていなかった。そして何より、赤尾の嘘に騙された時の手の動き。自衛のためと言えばそれまでかもしれないが、竹刀周辺の片付きようと相まって赤尾が抱いたイメージは少し違う。


 追い詰められた時、逃げ場を無くした時、きっと彼が最後に縋るのはあの一本の竹刀なのだ。それは例え相手が剣道部の先輩でなくとも、どんな存在であろうと、実際に振るうのではなく心の支えとして光汰が求める物なのだとしたら。


「一つ、いい手があります」


 視線を向けた先は茶原でも橙山でもない。面白がるような色は消えて、童顔を強調するそのくりっとした瞳は真っすぐに赤尾の目を見つめ返してきた。


 さあ、どうする新生ヒーロー?

 挑んでくる視線に込められたそんなメッセージを真正面から受け止めて、赤尾は。


「ちょっとお行儀は悪いですけど、いい感じに光汰君が燃えてくれる方法に心当たりがあるので、先輩方全員に手伝ってもらっていいですか」


 そう言って不敵に笑った。

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