正義のヒーロー、文芸部
水城たんぽぽ
§1
第0話 ヒーローの夢は氷と共に
正義のヒーローが好きだった。
強きを挫き、弱きを助ける正義の味方。子供なら一度は憧れるものだと思う。悪に屈することは決してなく、自分の信じた道を進むその姿のようになれたらと何度思ったことだろう。
今は、正義のヒーローなんて大嫌いだ。反吐が出るほど嫌いだ。
その理由は、好きだった理由全てがイソップ童話で言うところの「すっぱいぶどう」に化けたからに他ならない。
***
「だから、大きくなったらプロのサッカー選手になってたくさん活躍したいっていうのが、ぼくの将来の夢です!」
明るい日差しが差し込む小学校の教室で、小柄な男子が作文を読み上げていた。くりっとした強気な目と、癖の強い短髪にちょっと日焼けした肌。いかにもクラスの中心でたくさんの友達に囲まれていて、昼休みには仲のいいグループと一緒に校庭を駆け回っているタイプ。
実際彼はそのイメージ通りの存在で、当時は「物静かで大人しい子」の評価を貼られていた
教室の黒板には大きな文字で「将来の夢」の文字。
普通に書けばいいものを当時担任だったおばさん先生はわざわざ黄色のチョークの側面で太字になるように書いて、ご丁寧にその周囲を白いチョークで描いた花のイラストで囲っていた。その手間を「面白くて素敵な先生」と考える生徒と「そんなこと別にやらなくてもいいんじゃないの」なんて可愛げのないことを考える生徒のどちらも教室にはいて、今作文を読んでいた彼は前者、自分は後者だったなぁと赤尾は思い出していた。
これは、夢だ。赤尾にはそれが最初から分かっていた。
昔から夢の中で「これは夢だ」と自覚できるのが明晰夢を見るようになる第一歩で、それさえ出来るようになれば自分の見ている夢の中身を自分の意思で好きなように操作できるなんて話をよく聞くが、少なくとも赤尾にとってそれは嘘だ。その証拠に赤尾は今見ているのと同じ夢を何度か見て、そのたびに「これは夢だ」と理解しているのに、この後の出来事を変えられた事はただの一度もない。
「はぁい、素敵な作文でした! みんな、竹沢くんに拍手しましょう!」
丸々と太った体格に作り物みたいな笑顔を貼り付けた先生がそう叫ぶなり力いっぱい拍手をする。クラスメイト達も、当時の赤尾もそれに従った。当時と違うことと言えば、あの頃の純真無垢な赤尾少年に比べて、この夢を見ている赤尾の心境はどんより重たい灰色で染められていることだけ。
「では、次は赤尾くんの作文を読んでもらいましょう! さあ赤尾くん、立って立って!」
「は、はい!」
――おいやめとけ、よせって。お前が持ってるその自信作を読むな。
そんな叫びが夢の中の自分に届くことはなく、当時まだ八歳だった赤尾雄一は自信満々に立ち上がってしまう。
「さあ、それじゃあ赤尾くん? あなたの、将来の夢はなぁに?」
もう名前も覚えていない、あの頃のおばさん担任教師はそう尋ねる。この作文発表会の最初のひとりからずっと続く、ミュージカルもかくやと言うようなわざとらしいそれが、生徒たちが作文を読み上げるタイミングを決めていた。
「ぼくの……ぼくの将来の夢は……正義のヒーローになることです!」
あーもう、やめとけって言ったのに。
当時は気付かなかったけど、夢で繰り返し見た今ならわかる。この瞬間、クラスメイトの頭上に一斉にクエスチョンマークが浮かんでいた。でもそれ以上にこの時、常にニコニコしていた担任教師の笑顔は露骨に引きつっていたのだ。
「なぜなら、ぼくは――」
「赤尾くん? ちょぉっと待ちましょう?」
そんな周囲の事になんて全く気付かないまま続きを読み上げようとした赤尾の言葉をかなり強引に担任は遮った。当時はそのことが理解できなかったけれど、今の赤尾にはこの反応こそが正常だと分かっている。
「先生が言った作文のタイトル、もう一回言ってもらえるかしら?」
「え、しょ、将来の夢で」
「そうよねぇ、将来の夢よねぇ。じゃあ赤尾くんが書いたのは?」
担任は幼い赤尾の言葉を上から塗りつぶすように言葉を重ねてくる。お前の言葉には最後まで聞く価値などない、と言わんばかりの勢いだった。担任の表情はいつもと大して変わらない笑顔だったはずなのに、この時初めてその笑顔を「気持ち悪い」と思った。
「正義の、ヒーロー……」
「それは、遊びよね? 作り物のお話でしょう? 実在しないものにあなたは将来なりたいの? 本当にそんなのなれると思っているの?」
「あの、えっと」
「サッカー選手になりたいっていう竹沢くんの作文はちゃんと聞いていたの? お花屋さんになりたい西島さんの作文は? お父さんの仕事を将来手伝いたいっていう磯崎くんの作文もとても立派だったでしょう? しっかりと自分の将来を考えた、大人になった自分をしっかりと思い描いた内容だったわよね? ねえわかるかしら?」
ありもしない夢物語を語って、現実を見ていないのはこのクラスであなただけよ。
気持ち悪い笑顔を顔に貼り付けたまま言われたその言葉は、氷でできたナイフのように八歳の自分の胸を冷たく刺した。
その事が、その感触が。その時感じた、頬を涙が伝う感触が。刺された心が冷たく壊死していくような「何かが壊れた感覚」が、赤尾雄一にとっては、この夢から抜けだす毎度お決まりの合図でもあった。
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