赤尾雄一:リスタート

第1話 始まりは錆の色

 思うに自分の見当違いな復讐劇の始まりはここだったのだろうと、赤尾は後から思い返すことになる。


 その夢を見た日の朝は、いつも寝起きが絶望的に悪くなる。小学校や中学校時代なら布団の上でぼうっとしていても母親が起こしに来てくれたものだが、高校生になってからはそう甘やかされるわけにもいかず難儀したものだ。

 高校の三年間全てを費やして編み出した赤尾なりの対処法は「諦めてぼうっとする」この一点に尽きた。


「ははあ、要するに気に入らない夢を見て寝起きが非常に悪かったと」

「そうだ」

「で、お前なりの対処法とやらで時間を三十分も余計に費やしたから今朝の一限目をサボることになったわけだ」

「そういうこと」


 横一面がガラス張りのおしゃれな食堂で、赤尾は返ってきた答えに短く頷いた。仏頂面で腕組みをし、露骨なまでに「俺は今機嫌が悪いです」と全身で語っているその様子に、テーブルをはさんで向かい合った金髪の青年は苦笑する。


「赤尾、お前ね……もうちょっと自分の行いを反省するとかないのかよ」

「ない。夢が全部悪い」

「俺らもう大学生だぜ? 小学生の言い訳じゃないんだからさぁ」


 呆れ口調でそう言われて、赤尾も少し言葉に詰まる。

 実際正しいのは目の前の友人のほうだ。正直言い逃れや開き直りができる理由じゃないことくらい赤尾自身が一番よく知っている。どれだけ目覚めの悪い夢だろうと、それを見たことに関しては誰が悪いわけでもないし、寝起きにぼうっとしたのは赤尾自身の意思だ。

 使うはずのなかった三十分を無駄に垂れ流し、目の前にいるこの金髪の友人が言う通り、今朝の講義には完全に出遅れた。おまけに機嫌が悪いままだったものだから遅刻が避けられないと分かってかなりヤケクソな気分になり、じゃあもういっそのことサボってしまえ、なんて思考にたどり着いたのは他ならぬ赤尾自身である。

 本当ならば欠席扱いになるところを、何の連絡もしていないのに気を利かせたこの友人が勝手に赤尾の分まで出席確認の返事をしてくれたのだからもう頭も上がらない。


 つまるところ赤尾の不機嫌は別に嫌な夢を見たことでも、そのことで友人に苦笑されていることでもない。もうかれこれ十年以上の付き合いになる目の前の友人、竹沢真一たけざわ しんいちに助けられたことによる気恥ずかしさと申し訳なさ、あとは自分の不甲斐なさなんかが混ざっているのだ。

 ここで笑顔になって助かったよありがとう、などと言えるほど赤尾の神経は太くない。


「まあほら、機嫌なおそうぜ。せっかく食堂の特等席確保できたんだから、そのラッキーに免じてさ」

「そう、だな。ごめん竹沢、今日はほんと助かった」

「へへへ、いいって。たかが出席の代返くらいで気にしすぎ」


 赤尾と竹沢が今年から通い始めたこの私立T大学は、決して学力が高いわけでもなければ他の大学にはない唯一性が大学カリキュラムの中にあるわけでも、全国大会に出るような運動部があるわけでもない。にもかかわらずそれなりに高い倍率を誇り、いわゆる人気大学の称号を与えられている最大の理由が今二人のいる食堂である。

 何といっても定食からラーメン、そばやうどんまで美味しいものが多い。そして安い。それに加えて壁の一面が総ガラス張りになっており、屋内カフェテラスのようになっているお洒落さ。

 一部の女子に聞いた話では「SNS映えする大学ランキング」とやらに三位くらいで紹介されたことがあるとかなんとか。


 そんな理由から昼休みの食堂は混雑の極みにある。赤尾も今まで訪れるたびにその混雑度合いから食堂の使用を諦めることが何度もあったが、今日は混雑し始めるよりも先に席の確保ができていた。しかもガラス張りのすぐ側、一番景色が良くて人気の高い激戦区である。この大学に入学しておよそ二カ月半経つが、確かにこんな幸運は初めてだ。

 このラッキーに免じろと、他ならぬ竹沢に言われれば赤尾とて無碍にはできない。


「結局なんなんだよ、赤尾が言うその気に入らない夢ってさ。俺もうかれこれ七、八年くらい前からその夢とやらの存在聞いてるけど、いまだに詳細教えてくれねーからもう気になって気になって」

「……夢の内容とか、覚えてるわけないだろ。内容は覚えてないけどなんかすっげー後味の悪い夢とか、ほらあるじゃん」


 嘘だった。実際のところ夢の内容は目を覚ましても薄れることなんてほとんどない。何度も何度も繰り返し見ているせいか、夢の中の情報が記憶を補っていって、見るたびにむしろ鮮明になっていくくらいだ。

 だからといってさすがに竹沢に向かってこの夢の詳細を話してみようという気にはなれない。なにせ彼自身もその夢の中には出ているのだ。


 小学校でお前と同じクラスだったころに書かされた将来の夢作文で、色々と嫌な思いしたのがいまだに記憶から薄れないんだよ、なんて。

 たとえ気心知れた間柄でもわざわざ言うものではない。


 やや不貞腐れ気味な顔でカツ丼定食を食べ始める赤尾を見て、竹沢は苦笑いのまま「まあいいか」なんて言うと自分の昼食を食べ始めた。ここで無理やり踏み込んだり野次馬根性を出さない辺りがこの金髪の友人の良い所だ。お世辞にも人付き合いがいいタイプではない自分がこの男と長く友達をやっていられる理由の一つがこれだよなぁ、と常日頃から思っていることを赤尾は再認識した。

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