番外編 ― 4

 私立T大学最寄りの駅から電車に乗っておおよそ十五分程度。茶原宅の最寄り駅と大学の最寄り駅のちょうど中間になるその駅から徒歩でさらに十分。件の猫カフェはそれなりに人通りの多い路地に向かいあう場所に建っていた。三階建て程度の小さなビルの、二階フロアが丸ごと店になっているらしい。

 周囲はマンションが複数と、飲食店やコンビニがちらほら見えている。ベッドタウンとまでは言えないが、かといってオフィス街などと呼ぶことは到底できないような、中途半端な立地である。


「猫カフェ、キャットハウス……ねぇ。なんていうか、もうちょっとくらい捻ったらいいのに。名前」

「いやぁ、もう名前以前だろここは。母さんもよくまあこれ見て入ろうって思ったな」


 時刻はまだ昼の三時頃。茶原も桃宮も、この日は元々午後の講義が一つしかなかったので、大学を早めに出て調査に来ることへの迷いは特になかった。入口から少し離れた位置でその建物を眺める二人は、揃って渋面を作っていた。

 桃宮も大概だが、デフォルトが怖い顔の茶原がやると洒落にならない表情だ。自覚があるので日常生活においては意図的に表情を作らないようにしているのだが、これはさすがに度が過ぎる。

 黒ずんでところどころにヒビが入った、経年劣化の激しい壁。窓も中心は綺麗にしてあるがその四隅の曇りは明らかに加工や装飾のそれではない。さらに店内に入ったわけでもないのに少々臭う。

 店内に入る前から随分とげんなりさせる条件が揃っていた。少なくとも清潔な店ではない。


 母は昨日「こういうところが入ってみると案外穴場だったりすること、時々あるのよ」などと宣っていたがおそらく茶原には到底理解できない精神だ。

 今回のような外れを引いてもその発言を取り下げない辺り、母さんは猫好きや主婦である以前に博打うちの素養があるのかもしれない――そう考えると頭痛がしてきたので、茶原はそこについて考えるのを早々に放棄した。


「でも本当にここで見たの? なんか、迷子猫って聞くとむしろ路地裏とかに隠れてそうな気がするんだけど」

「俺もそう考えてたから、昨日母さんから話聞いて思い出した時はさすがに勘違いかと思ったんだけどな。まあ、実物見て確認するのが一番早いだろ。俺だって今確信百パーセントってわけじゃないんだ」


 写真でほぼ確実だろうとは思っても、さすがに実物を見もしないまま「迷子猫がここにいる」と決めつけるのは気が引ける。そんな理屈で二人はやって来たのだ。茶原がそう言って先陣を切ると、やや躊躇うような間があった後に背後から小さな足音はきちんとついてきた。


***


 収容所か、もしくは野戦病院。

 茶原の感じた第一印象はそれだった。少なくとも猫カフェに向かって投げるような評価と比喩ではない。

 外見である程度管理の悪さは予想していたつもりだったのだが、いざ入ってみると自分たちはそれでも甘く見ていたのだと言わざるを得なかった。


 狭くはないが極端に広いわけでもないスペースに、棚や猫の玩具を置いている結果として少しばかり雑多が過ぎるカフェ内部。なによりも目につくのは猫の数だ。

 大抵は十匹もいれば猫カフェとしては充実している方だと言えるはずだが、そんな程度では断じてない。適当に目算で数えただけでもおそらく二十は越えているだろう。


 こうなってくると「狭くはないが極端に広いわけではない」が途端に「狭すぎる」へと印象を変えてくる。単純に猫の密度が高すぎるのだ。

 加えてそんな密集地帯の猫はその多くが毛並みも整っておらず、目もぎらついている。

 入ってみて最初に足元にすり寄ってきた猫は、試しに抱えてみると茶原が地元で顔馴染みになった野良猫よりもやつれていた。


「ひっど……なによここ」


 桃宮がそう言って顔を窓の方へ背ける。茶原も気持ちはわかるが、顔をしかめたくなる点はそれだけでは済まない。


 眺めていると時折猫がくしゃみをしていたり、目ヤニが酷いものもいたり、明らかに健康ではない様子が目立った。そのまま観察を続けていると店内の棚の影に転がった目薬の容器や注射器型のシリンジまで見つかったので、茶原の中でもしやと思っていた疑いは確信に変わった。

 見つけたそれは病気の猫を治療する薬のためや、老いた動物に流動食を給餌するときにも用いるものだ。おまけにこの密集度を考えると、病気の猫は一匹や二匹では済むまい。衛生面は思いつく限り最悪である。


「本当にこんなところにいるの? 絶対ヤバい所でしょここ」

「俺もヤバい所だとは思うよ。さっき見たけどここの猫、去勢すらされてねえよ。そりゃこの数にもなるし、管理だって行き届くわけねえだろ。だから病気の猫だって増える。早い所飼い主に知らせて助けてやらないとな」


 そう言いながら茶原は、足元にいた猫のうち一匹をそっと抱き上げた。ボサボサに乱れた毛並みをしていて、写真で見たよりも毛の色がくすんでいるようにも感じられるが、間違いない。実を言えば店内に入って数十秒でおそらくそうだろうとアタリはつけていた。近寄って確認した美猫っぷりはやつれていても面影がきちんと残っている。

 茶原の手の中に納まったその猫を見た桃宮も、表情をより険しくした。

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