番外編 ― 5
「確定よね」
「ああ、母さんが撮った写真にちらっと写ってたのもこの子だな。実物見たから断言できる。やつれてるけど、絶対そうだ」
わかったわ、と言うなり桃宮が茶原の隣から離れた。猫たちの間をそっとかき分けるようにして、店の奥へと突き進んでいく。その進む先には棚がいくつかと「関係者以外立ち入り禁止」の札がかけられた扉が一つ。
茶原には完全に背中を向けているはずなのに、歩みを進めるちびっ子の視線がどこを向いているのかは一瞬で分かった。
「待てお前何を」
「ちょっと! 責任者出てきなさい! 一般のスタッフじゃなくて、責任者!」
お前何をする気だ、という言葉は間に合わなかった。激しくドアをノックし、桃宮が声を張り上げる。店内出入り口すぐの受付付近にも若いスタッフはいるが、突然の暴挙に状況把握が追い付かないようだった。唖然とした表情で、ドアをノックする桃宮に視線を釘付けにしたまま凍り付いている。
咄嗟に視線を左右へ走らせる。幸いと言うべきか当然と言うべきか、店内には他の客の姿はない。受付以外にはスタッフの姿が見えず、後は見渡す限りの猫だらけだ。
スタッフが少なすぎるのも、ここが悲惨な状況になってる理由の一つだろうな――そんなことを改めて感じたが今はそれどころではない。
「馬鹿お前マジでやめろってそういうの! 何考えてんだ⁉」
「あんたこそ何考えてるの? この状況黙って見過ごす気? その猫が自分からここに来たとでも思うの⁉」
慌てて近寄った茶原に対して噛みつく桃宮が示すのは、まさに今茶原の腕の中でぐったりしている件の迷子猫だ。
大学で見つけた張り紙の主がどのあたりに住んでいるのかは桃宮から既に聞いている。行方不明になったのは先週の金曜日で、母の写真にこの猫が写ったのは日曜日。数日の間に猫が単独で行動できる範囲と、この猫カフェはどうあがいても掠る事すらありえなかった。にも拘らずこの店にいる以上、それは人の手によって連れてこられた以外に考えられない。
――猫の誘拐でしょ、これ。
さすがにその一単語は扱いに気を遣ったようで、それまでの威勢と比べればかなり抑えられたトーンで桃宮はそう吐き捨てた。家から行方不明になったのが先か、連れ去られたのが先か。確かめようのない事ではあるが、事と次第によっては桃宮の発言も決して大げさではなかった。
だがそれにしたって事を荒立てすぎだろう、と茶原は気が気ではなかったが。ドアをそのまま叩き壊しかねないような勢いのノックから始まる話など、落ち着いたやり取りになるわけがない。
そうこうしているうちに桃宮が叩いていた扉の奥から人の気配がし、ドアノブが内側から捻られた。おそらく事務所であろう中から出てきたのは、小太りで無精ひげを生やした、中年の男性である。案の定、既に虫の居所は悪そうだ。
「なに、どちら様? 困りますよお客さん、騒がしくされちゃ」
「呑気な事言ってんじゃないわよ! あんたここの店長⁉」
「……だったら何かな、お嬢ちゃん。お店でそうやって騒ぐなってご両親には習わなかったのかい」
顔を出すなり激昂した桃宮に吠えられて、中年男性の眉の角度が急激に吊り上がる。喧嘩腰なうえに桃宮の外見も火に油を注ぐ理由だ。相手からすれば中学生にも見える子供が事務所のドアを激しく叩き鳴らして、顔を出すなり怒鳴りつけてきているのだからそれはそれで正常な反応である。
このままだと話がややこしくなる。そう感じた茶原は、抱えていた猫を一旦足元に下ろした。――ごめんな、もうちょっと待っててくれ。すぐに助けに来てやるからな。内心でその猫に詫びて、すぐさま背後から桃宮の口を塞ぎにかかった。
「もがっ」
「い、いやぁすいませんね、ちょっと目を離した隙に、興奮しちゃったみたいで。ちゃんと言って聞かせるんで」
「あ、そう。なに、おたくの妹? それとも娘さん? どっちでもいいけど、ガキの躾くらいちゃんとやってくださいよね。金払ってりゃお客様は神様って言っても限度があるんだから」
吐き捨てられた言葉に、抑え込んだ桃宮の動きが一瞬フリーズしてからより一層激しく暴れまわる。体格差もあるおかげで振りほどかれる心配はないが、抑え込んだ口元から漏れ出る唸り声は野犬や猛獣の類をも連想させるほど剣呑だ。どこに怒った。関係性か、ガキの躾呼ばわりか、ふてぶてしさすら感じるその態度か、それとも全部か。
茶原とて怒りたいところをぎりぎりで抑えている。今この場で長居をするのはよくなさそうだと残された冷静な部分がどうにか判断をして、お辞儀をしながら桃宮を引きずってその場を離れた。
「言いたいことは後で聞く。俺からも山ほどある。とりあえずこれ以上ここで騒いで変に思われる前に出るぞ」
中年男性が再び事務所の方に引っ込んだのを確認してから桃宮を解放し、返事を待たずに荷物を掴むとすぐに受付へ向かう。時間制で先払いだったが、予定より早く出ていくぶんには文句を付けられることもないはずだ。
その読みは当たっていたようで、受付に立っていたスタッフも騒ぎを起こした桃宮を怪訝そうな視線で警戒しながらも特に止めることなく送り出してくれた。背後から追ってきたのは、入店するときと比べて随分荒々しい足音だった。
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