番外編 ― 3

***

 茶原が記憶の糸の端を捕まえたのは、結局その日帰宅してからだった。


 昼休みに桃宮から逃げるようにして別れ、午後の講義も一通り済ませる間。帰路でバスと電車に揺られる間。実家の敷居をくぐって自室のベッドにゆっくり座るまでの間。茶原は常に頭の隅で猫を見かけた場所がどこなのかを探していた。

 律儀なことだと自分でも呆れるが、なにせ持って生まれた性分である。たとえ目撃情報を聞かせてくれと頼んできた相手とカフェで数十分程度のお喋りをしただけであっても、自分が関わった出来事を中途半端にしておくのは気持ちが悪い。なまじ「見た」という点だけは自信を持ててしまうものだから、茶原としては何としても答えを見つけてやりたいところだった。


「迷子ってことは誰かの家にいるわけでもなさそうだしなぁ」


 呟きながらスマートフォンを操作していく。機能性よりも「ごつい自分の手が持って浮かないようなモデルを」と求めた少し古い型の機種は予想外にカメラの性能が高く、またデータ容量も大きかったので野良猫撮影には心強い味方だった。

 ざっと百はある猫の写真を流し見していると、ドアをノックして入ってきたのは母だった。


「凛太朗、もうご飯できるから来なさ――あら、まぁた猫撮影してきたの?」

「猫だけじゃねえよ。犬とかも撮影大丈夫そうな子だったら撮ってるって」

「胸張って言う事でもないでしょう、それ」


 茶原家と付き合いの長い人物はこの家の長男を見て必ずと言っていいほど「中身はお母さん、外見はお父さんに似たんだね」と評する。説教臭い口調をしておきながらスマホの画面を母が覗きに来るのは、要するに撮影した猫の写真に興味があるのだ。

 案の定画面を少し横にずらして母が覗き込みやすいようにしてやると、嬉しそうにその画像の数々を眺め始める母。夕飯ができたから呼びに来たのではなかったかと突っ込む前にふと思いついたことがあった。


「母さん、この辺で見慣れない猫とか見てないか? こう、白くて細身の、結構美人な感じの猫なんだけど。歳は三歳で、雌らしい」

「なによそれ、迷子猫? あんた大学でそんなこと相談されるような相手いるの?」

「まあ……そんなところだけど。別にいいだろそこは。見たのか見てないのか」


 返ってきた質問をはぐらかしたのは、後半が気まずかったからだった。あくまでも張り紙を見たところから始まった話であって、その猫探しをしている飼い主と茶原には直接の面識がない。自分が相談されたと頷くのは後ろめたさが勝ったのだ。

 茶原のそんな心情を知ってか知らずか、母は特に迷いもせずにすぐさま首を振った。横にだ。


「あんたと違ってね、お母さん基本的には猫カフェ通いが中心なの。街中の野良猫が集まる場所とか別に把握してないんだから、迷子猫なんて見かけた事ないに決まってるでしょう」


 茶原家では唯一動物が苦手な父への配慮により、猫好きが二人いながらもこの家で猫は飼われていない。茶原の場合はその猫への感情を道端の野良に向けているが、母のベクトルは猫カフェでの交流へ向いていた。わかってはいたが念のため、程度ではあったので予想できた返事であった。

 そうだよな母さん悪い、と話を畳もうとして――脳裏で電流が走ったような感覚があった。


「そういえば母さん。この前の日曜日に新しくできたっていう猫カフェ、行ってたよな」


 話題に挙げた日は出かけた母に代わって掃除や洗濯を茶原が引き受けたのでよく覚えている。その日の帰宅後に母が見せてくれた「成果」も記憶の中には五、六枚ほど。


「あー、あの店ねぇ。日曜日にも言ったけど駄目よあれ。猫たちの毛並みも悪いし、あんまり正しくお世話されてない感じで。猫そのものは多いんだけど、店員側が管理しきれてる感じじゃなかったわね」


 そう、確かに日曜日も母はそんな感じの感想を述べていた。そこはそこで重要なのだが、今茶原が求めている情報はそこではない。


「その時の写真、もう一回見せてくれないか」


 真剣な表情で母にそう頼み込む。外では怖がられたり喧嘩を売っていると誤解されたりするので絶対にできない表情だ。母親はそのことを知っていて、怪訝そうな顔ではあったもののすぐさまその願いを叶えてくれた。


***


 翌日の昼休み、カフェの出入り口付近にて桃宮は本当に待っていた。

 時刻は昼休み開始のチャイムから十分と経っておらず、まさにこれから昼食を取ろうという学生によって少しずつ客足が増えていくタイミング。息切れが遠目にも激しく、また肩も頻繁に上下していることから講義の終了と同時に駆けてきたのだろうと想像がついた。

 学食は既に盛況だが、カフェのほうは人の出入りが少なく落ち着いている。中学生のようなサイズの桃宮だがそのおかげで人ごみに埋もれることもなく、近づくと即座に目が合った。


「ちゃんと逃げずに来れるんなら最初から逃げたりしないでよね」

「悪かったって。そこは突っ込むな。それより」


 ――見かけた場所、思い出したぞ。

 相手を真っすぐ見据えて口にした茶原の言葉に、小柄な体に不釣り合いなほどの強気な目をした少女の口角が、ゆっくりと上がった。

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