番外編 ― 2
女子と一緒にカフェに入って、テーブルを挟んで向かい合って食事をする。
茶原とてまだ二十歳になっていない青年であり、おまけに顔のせいで大抵の女性には初対面で「怖い」と避けられてきたせいでその手の経験はほとんどない。一応避けずにいてくれた相手は一人いるが、付き合いが長すぎてもはや一緒に食事程度でときめく方が難しい。
そう考えれば、字面に起こしてこれほど心の踊る状況もきっと他に無いのだろう。相手が中学生と見間違うような外見さえしていなければ、の話だが。
「あたしカフェ入ったの初めてなのよね。おいしいのかしら、ここ」
「あー、まあ、俺は気に入ってるな。普段は近くのコンビニで雑に食うけど、月に一回くらいはこういう洒落たもん食いたくなる。あとは味より雰囲気だな」
少なくとも食堂よりは混雑していないため、落ち着いて食事ができる。混雑していないとはそのまま人が少ないわけで、人が少ないとなれば自分の図体にぎょっとする他人の視線も少なくなる。混雑している場所に自分のような大柄な者がいるとそれだけで周囲からは不逞の輩扱いされてしまうこともあって、そこも茶原にとっては好都合だった。
明確に言葉にはしなかったその辺りも、どうやら向かい合う桃宮は察してくれた様子である。オレンジジュースを飲む合間に「大きいっていうのも大変なのね」と呟いた口調は初対面とは打って変わって穏やかなものだった。
そんな当たり障りのない会話をしながらも、茶原の視線はカフェ内のあちこちを泳いでいた。
自分のように大柄な男が、ちらりと見ただけでは中学生とも区別がつかないような少女を向かいの席に座らせて食事をしている光景がもし他で存在するならば、たとえ茶原自身がその場に居合わせたとしてもよからぬ何かを想像する。極力誰かに見られず話を済ませて手早く立ち去りたいというのが茶原の本音であった。
「店の話はもういいだろ、本題だ本題」
「あ、そうよね。ごめんごめん」
意識して抑えていたつもりだったが口調の端に少しだけ苛立ちが乗った言葉に、すっかり食事を楽しむ顔になっていた桃宮がその口元を引き締めた。口に出した茶原自身が気付いて自戒するのはともかく、話していて相手が露骨に感じ取るほどの刺々しさは出していなかったはずなのだが。
子供のような外見でなかなかどうして勘が鋭い、と茶原は脳内で彼女の認識を改めた。
「あの張り紙の人とね、あたし直接会ったの。それで色々話聞かせてもらったんだけど、全然猫の行方が分からなくって困ってたのよねー。今日も飼い主さんから聞いて猫が好きそうな場所幾つか探してたんだけど、成果ゼロ。で一旦切り上げてお昼にしようかなって思ったら張り紙の前で熊みたいな唸り声あげてる人がいるじゃない?」
「悪かったな、熊みたいな唸り声で」
一応そのまま放っておくのも癪なので突っ込んでおいたが、こういった事を正面から言葉にしてぶつけてくる相手というのは結構少ない。口調に悪意が無いというのももちろんだが、遠巻きにひそひそと話題にされたり視線で刺されるよりは好感が持てた。
「とはいっても、俺の方もあまり力にはなれそうにないなぁ。どこかであの猫の顔を見た覚えがあるってだけで、それがどこだったかはちょっと」
「見た事あるっていうなら十分助かるわ。どこで見たか思い出せない?」
「どこで見たかって言われてもなぁ……」
それが思い出せなかったからこそ、茶原は張り紙の前で熊になっていたのだ。しばらく腕組みをして記憶を辿ってみるも、確信をもってこれだと言える記憶は出てこなかった。
そもそも猫といえば街中で偶然見かける割合が犬やハトと並んで多い動物である。加えて茶原は大学付近でこそ控えているが地元に帰るとかなりの頻度で猫に会う。長年小動物好きをやっていたのは伊達ではない。
家の近所の野良猫の集会所や集まりやすい時間帯もそれなりに把握できていた。見かける数は他の動物と比べて圧倒的だ。
十匹程度の中の一匹ならすぐに浮かぶだろうが、百匹見ている記憶の海から一匹をピックアップするのは至難の業である。動物好きがむしろ仇となった瞬間だった。
だが。
「完全な記憶違いとかじゃなくて、見たのは間違いないはずだ」
「それは、なんで?」
「そこはもう、勘」
桃宮は絶句して細めた目で睨んでくるが、勘であっても茶原にとってはかなり自信を持って言える内容だった。張り紙と同じ写真を持っている桃宮から今見せてもらってもそれは変わらない。
写真を見るたびに、どこかで見たぞと頭の隅が主張する。気のせいだとか考えすぎで一蹴するにはその頻度は多すぎた。あとはその見た場所を探り当てるだけなのだが、そこだけが出てこないのだ。
果たして自分はどこでこの美猫を見たのやら、とさらなる長考に入りかけて――ふと、店内の客の一人と目が合った。見知らぬ学生だ。だが目が合った次の瞬間、ワンテンポ遅れでその視線は明後日の方向へ逃げた。
我に返って周囲を見渡すと、同じように目が合って逃げる視線がひとつ、ふたつ。
自分でも「見かけたらよからぬ何かを想像する」と言っておきながら、考え事をしている間すっかり警戒が疎かになっていた事と、自分が体感していた以上に考え事の時間が長かった事に茶原はそこでようやく気がついた。
血の気が引く音が、自分の耳元ではっきりと聞き取れたようにすら感じた。こうなってくるともう駄目だ。例え視線が合っていなくとも、それは自分が気付く前に逸らされただけのものだと脳が決め打ちしてしまう。店内の落ち着いたざわめきも、まるでこちらの様子を伺っているように感じられて。
考えるよりも早く手足が動いた。座席横に置いていた自分の荷物を持って素早く立ち上がる。頼んだ昼食はもう食べ終わっているし、料金は前払い制だ。食器の乗ったトレーだけ返却口に返せばそれで店を出られる。
「悪い。ちょっと時間使い過ぎたな。俺講義の準備あるんだ」
「え、まだそんなに時間――」
「ちゃんと考えておくから、思い出したら連絡する。じゃあな」
桃宮の言葉を待とうともせず、茶原は食器の返却口まで大股で歩き、食器を突っ込んで、
「待てって言ってるでしょ!」
思いっきり背後から怒鳴られて硬直した。あと一歩でカフェから出られる、という場所で振り返ると、そこには腕組みをして仁王立ちし、満面の笑みを浮かべた桃宮。
笑顔だが、言葉にできない気迫がある。友好的な笑顔ではない事だけはすぐに分かった。このちびっ子は何故こうも体格差を無視してこっちを威圧できるのか。
「明日。昼休み。このカフェ。オッケー?」
表情と同じように、静かだが妙な強制力のある声だった。指示している内容が何なのかわからないほど茶原も馬鹿ではない。ただ首を縦に振ってから、逃げるようにその場を去る他にできる事などありはしなかった。
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