第1話 ― 2
「っていうかさ、赤尾」
「んー?」
赤尾が十年来の友人の心地良い距離間に内心で感謝していると、唐突に竹沢が話題を変えてきた。何事かと思い食べかけのカツ丼から顔を上げてみれば、竹沢は眉間にうっすらと皺をよせて、眩しいものでも見るように目を細めてこちらを見つめていた。軽い口調に反して結構な心配顔である。
大学デビューで金髪に染めて軽薄っぽさが増したものの、こういうところは変わらない。竹沢という男は心配性な節があり、ちょっとしたお節介を焼くとき決まってこの表情になるのだ。
ここ数カ月の自分の大学生活において、この男がこの表情をする案件といえば。
「決めたか、サークル」
そら来た。表情にこそ出さないものの、赤尾としては若干ばつが悪い内容に食べていたカツ丼の味が落ちたように感じる。せっかく美味しいと評判の人気メニューだったのに、とは思うがこれも後ろめたいのは全面的に赤尾のほうだ。
――より文化的、かつ健全なる学生生活を過ごす補助として、本校の学生は、大学生活においてサークル・及び部活動への参加を義務とする。
大学生にもなって、そんな馬鹿みたいな話あるか。あってたまるか。
いや実際あったのだ。そんな馬鹿みたいな話が。
その話がある場所というのが、私立T大学の校則第五条だか六条だかその辺だというのだから実に面倒くさい。入学前からわかっていれば避けられただろうが、赤尾も竹沢も大学の部活事情まで気にしながら進路を決めたわけでもなかったため、知ったのは入学後だった。
曰く、健全な学びには志を同じくする者同士の心の交流が云々。
曰く、心を豊かにすることでこそ人の自由な成長は云々。
はっきり言って――
「あまりに馬鹿馬鹿しくて真面目に取り合う気になれない」
「お前なぁ……いやわかるけどさあ」
ばっさり切って捨てる赤尾に、竹沢のほうも心配顔を崩して深いため息を吐く。なんだかんだ言って、一刀両断する赤尾をそれほど強く責めずにいるあたり彼も思っていること自体は同じらしい。
そう言いつつも彼は早々にサークル活動を決めているので、赤尾よりは真面目に取り合っているのだが。
「つーか俺苦学生ですから。バイトしたいから。部活なんかに時間取ったらそのぶんお金稼ぐ時間減るから」
「そうは言うけど赤尾、マジで卒業とか単位取得とかにも関わってくるからなこれ。大学通う生活費稼ぐのは結構だが、それで卒業できなくなったら本末転倒だろうが」
痛い所を突かれた。嘘か本当か、実際にこの校則を軽んじた結果留年した先輩もいるという話もちらほら聞くのだ。
入学して数カ月で留年の危機だなんて赤尾だって正直考えたくはない。もう何度も竹沢からせっつかれている話なこともあって、赤尾は早々に両手を開いて肩の高さまで挙げた。降参しました、のポーズだ。
「分かった、もう分かったから。あんまり忙しくなさそうでアルバイトもできそうな感じの部活、今日探してみるからさ」
「本当だな? 忘れんなよ? こんな理由で留年とか笑い話にもならないからお前」
「俺だって留年なんかしたくないって」
とはいってもなぁ、と納得したものの赤尾としては気が重い話である。部活強制と聞いて一瞬の迷いもなくサッカー部を選べる竹沢と異なり、赤尾には己が部活をするならこれだ、というこだわりはない。
さてどうしたものか、何か手ごろな部活はあっただろうか、などと思いながら昼食の続きを頬張っていると、竹沢から「いい部活あるじゃん」と声がかかった。片手で頬杖を突き、空いた手でスマートフォンをいじっていたその視線が、赤尾のほうに向けられる。
ちなみに彼の昼食はとうの昔に片付いている。さっきまでずっと喋っていたというのにいつ食ったのやら。スポーツを趣味にしている奴というのはどうしてこう早食いなのだろうか。
「まず、参加日時に強制はない」
「うん」
むしろあったら願い下げだ。バイトがやりづらいことこの上ない。
「次に、文化系だから真面目に参加しても肉体的にはあまり疲れない」
「うんうん」
確かに重要だろう。アルバイトをするつもりなのだから、部活動をするにしても極力疲れがない物で済ませたいと赤尾も思っていた。
「でもって部費徴収は自主性に任せるときた」
「うんう――はぁ?」
まだまだ混雑している食堂だというのに、思わず素っ頓狂な声が出た。周囲のテーブルにいた面識のない学生達からの視線がこちらに集まる。思わず肩を縮めてしまったが、むしろこれで素っ頓狂な声を出すなという方がおかしい。
「自主性ってなんだよ、払いたい人だけ払ってくださいってか? じゃあ部費を一円も支払わないなんてこともまかり通るわけ?」
「まかり通るんじゃね? まあこれでちゃんと部として成立してるっていうんだから、誰も彼もが参加費未払いってわけじゃないんだろうけどな」
「どうなってんだよそこ……」
周囲の視線がまだちょっと痛い赤尾がかなりの小声で耳打ちすると、同じように小声で返してきた竹沢もやっぱり不思議そうな顔をしていた。
なにか胡散臭い所があるんじゃないか、とは真っ先に竹沢も思ったようで、そのまま赤尾の向かい側で彼はスマホを何度か操作するも、数分待たずに首をかしげながらスマホに向けていた視線を上げた。特に怪しい所は見つからなかったらしい。
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