第9話 ― 5

「胡桃ちゃんが言う事を聞いてくれて、叔母さん嬉しいわぁ」

「……そっか」


 電話で場所を確認してからほんの数分で叔母は部室まで迎えに――いや、桃宮を連行しに来た。到着が早かったのは自分が居そうなところとして既に目星をつけられていたかららしい。

 上機嫌な叔母に反比例するようにして、桃宮の足取りと気分は重い。


 やっぱり女の子は大学なんかより結婚よねぇ、なんて勝手な事を、前を歩く叔母が口にする。ふざけんな、と叫べたら多分気は楽になるだろう。あんたが自分でできない古臭い価値観をあたしに押し付けんな。顔には出さないが内心は大荒れだ。

 部室棟を離れて、二人は今学校事務局の方へと歩いているところだった。部室からは中庭を突っ切るのがいちばん早い。昼間ならまだちらほらと学生もいる場所だが、夕日の差すような時間になるともう殆ど人の気配はなかった。


 自分の大学生活の終わりは、こんなに寂しいのか。そんな感想を抱いた。

 大学内では抑えつけられてきた反動のように動き回り、部活まで立ち上げて人助けに精を出してきたが、その根っこは叔母からこそこそと逃げて大学までやってきたという所になる。一度も正面から立ち向かわず、一番の悪役から逃げ回ることしかしていなかったくせに正義のヒーローを志した結果が今なのだ。

 あたしはやっぱり、正義のヒーロー失格なんだなぁ。そんなふうに考えて、気持ちとは反対に口元は情けなく緩んだ。後輩に否定された、情けない笑顔になりかけて、


「あらぁ、あなた、何のつもりかしらぁ?」


 そんな言葉と同時に、前を行く叔母の足が止まった。

 どうしたことかと桃宮は顔をあげた。顔をあげて初めて「ああ自分は俯いていたのか」と自覚するくらいには放心していたことにその時気付いた。


「また、そんなクッソ情けない笑い方してるんすか、桃宮先輩」


 叔母が足を止めた原因は、二人の目の前で真っすぐ背筋を伸ばして立っていた。

 真っすぐな目で、険しい表情で、その癖口角だけは上がっているものだからやけに強気に見える威嚇的な笑顔。口調は穏やかだがその目を見ればわかる。仮入部の時に爆発して自分に向けられたのと同じ炎が、その奥に燃えていた。

 元・ヒーロー好きらしい後輩の視線は叔母を素通りして桃宮を射貫いていた。夕日に染まって真っ赤になったそのシルエットは、まるで。


「正義のヒーローだ。そこのちびっ子部長を、助けに来ました」


***


 ――俺は何を口走ってるんだアホかもうちょっと真面目なことを言えよ馬鹿野郎。思考の奥の方で冷静な自分が騒ぎ散らかすのを、赤尾はあえて無視した。今揺らいだり動揺を顔に出してはならない。自分の吐いた発言は最後まで自信たっぷりに構えておかなければならない。

 少なくとも赤尾の知る正義のヒーローはそうだ。自分をそうだと心の底から思えるわけではないが、あの頃の自分に報いるなら、それを演じるくらいはやってやる。

 視線の先にいる桃宮は、いつだったかと同じように過去の自分と自然に重なった。このまま放っておけば今の赤尾になりかねない状態の、折れた八歳の自分だ。


「何を馬鹿な事を言っているのかしらねえ? 胡桃ちゃんは今日で学校辞めるの、あなたみたいなのが首突っ込むことじゃないのよ、家庭の事情なんだから。いい歳して正義のヒーローだなんて……可哀そうに、頭がおかしいのねこの子」


 桃宮の隣でそんな風に一条がこちらを見て嘲笑する。また心の奥の方で冷静な部分が――いや、臆病な部分が警鐘を鳴らすが、それを無理やり抑えつけた。

 抑えつけられた事自体が驚きだった。虚勢を張るための笑顔と態度だが、どうやらこの手のハッタリというのは自分自身にも効果があるらしい。

 一条の事は一瞥するだけで視線を桃宮に戻す。茶原も向かい合って数秒で匙を投げた通り、一条と正面から対話するのは時間の無駄でしかない。少なくとも赤尾が言うのでは聞く耳など持つまい。


「桃宮先輩、もう一回言います。俺はあんたを助けに来ました」


 けど、と言葉が繋がったのは桃宮としては意外だったのかもしれない。何度見ても年相応ではない童顔が、大きく目を見開くのが分かった。


「俺は自分がそうしたいから来ただけです。あんたがそんな情けない顔してるのも、あっさり負け宣言されそうになるのも、昔の自分見捨てるみたいで胸糞悪いからやってる自己満足だ。だから」


 そこで言葉を一旦区切り、赤尾は桃宮の方へ握手を求めるように手を差し出した。


「助けられるだけのヒロインでいたいか、自分で立ち向かいたいかは自分で選んでください。ヒーローに憧れてるんだったら、情けない顔して折れてんじゃねえよ、立てよ自分でも」


 吐き捨てた言葉は本当は、昔の自分にぶつけたかったものだ。それと重なった桃宮の表情から、弱々しい諦めの笑顔が消えていくのは見ていて気分が良いものだった。

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