番外編 ― 7

 飼い主を直接俺の前に連れてこい。

 茶原は桃宮に提案をするにあたってまず、そんな要求をした。桃宮もその時点では特に何の疑いも迷いもなく頷いていたのだが。


「飼い主との待ち合わせ場所は、この公園だ。そこで合流したらまずは直接例の猫カフェに向かう」

「えっ」


 さらりと告げた追加事項で、そのあどけない顔は一瞬でフリーズした。喜怒哀楽にせよなんにせよ、感情がフルで顔に乗っているとますます幼く見えるなあこいつ、などと茶原はその反応を見ながら関係のない事を一瞬だけ考えた。


「それって、飼い主に見せるって事? あの状況を?」

「それ以外に何がある。どのみち隠し切れないだろ」

「で、でも絶対ショック受けるじゃない」

「だからって知らぬ存ぜぬで通せる状況じゃなかった。それに飼い主だからこそ、あれは知って怒る権利があると思うぜ俺は。それこそ俺たちよりもはっきりと、正面から怒る筋合いがあるはずだ」


 桃宮はただ迷子猫の話を聞いて善意で探しているだけ、茶原に至ってはその桃宮に頼まれて手伝っているに過ぎない。どちらも猫と直接関わりがあるわけでもない部外者でしかないのだ。

 善意で助けようとするのは立派なことかもしれないが、物事には当事者同士でしか語れぬ感情ややり取りがあると茶原は思っている。その機会を「見たらショックだろうから」という過剰な優しさで取り上げてしまう行為を茶原は好ましく思えなかった。


「俺が飼い主の立場なら、何も知らないままやつれきった猫が帰ってきて事情を知らされない方がきっと不安だし、何よりも自分で助けたいだろうし、そもそも店に向かって一番怒りたい立場だろうからなぁ。うちの猫になんてことしてくれてんだお前ら、って。自分の口で一言怒鳴らなきゃ気が済まない」

「まあ、そういうのは、ちょっとわかるけど」


 だろうな、と思ったが声には出さず内心で相槌を打つ。漫画にも今時出てこないような典型的な昔気質の頑固オヤジが父親の茶原も大概そうだが、向かい合うちびっ子もその点は筋金入りであるといい加減わかる。

 最終的には桃宮も、その首を縦に振ったのだった。


***


「来い、とは言ったが、まさか当日にすっ飛んでくるとはな」


 桃宮が電話を掛けたその飼い主は、探していた猫を見つけたと伝えるとそこから一時間もかからずに飛んできた。大学の講義も丁度片付いたタイミングだったらしい。

 心境としては日を改めて翌日になるかとも思っていたので驚き半分、猫が大切ならそうなるよなという納得が半分。茶原とて仮に同じ状況だったとしたら講義があったとしても投げ出して駆けつけかねない。

 飼い主は細身の優しそうな表情をした男性だった。背はそこそこで、顔もこれといった特徴はないが、雰囲気や物腰が和やかで人畜無害を地でいくタイプ。基本恐怖と警戒心を初対面からぶつけられる茶原にとってみれば、自分がそうでありたかったと羨ましくなる外見である。


 合流した飼い主は案の定茶原を見て一瞬ぎょっとしたように固まり、片頬を一度だけ痙攣させた。

 これが普通の反応だよなあと、茶原はいっそ安堵に近い感情すら覚える。どちらかと言えばそのあと気を取り直したらしい飼い主が、正面に立って軽い会釈をしてきたことの方がイレギュラーだ。元々の人柄が良いのか猫の件で怯える暇すら惜しいのか、なんにせよ見上げた根性である。


「T大学一回生の米田です。ミクを見つけてくださったと聞いたのですが」


 そうかあの美猫、名前はミクか。と頷きながら脳内の情報に書き加える。そういえば写真だの行方不明時の状況だのは書いてあったがあの張り紙に猫の名前は無かった。


「ええと、米田さん。初めまして、同じく一回生の茶原です。電話でもこっちの小さいのがちょっと話したと思うんだけれど」

「……はい、聞いてます。なんか酷い環境にいるとか」


 横で電話を聞いていたから桃宮の言葉は把握している。とりあえず良くない猫カフェにつかまっている、という程度ではあったが、あまりにも言いづらそうに気まずそうに話していたので事態の深刻さはだいたい伝わっている様子だ。

 小さいの呼ばわりされたせいか、茶原の隣から殺気めいたものが漂ってくるのはこの際無視する。


「今からその店に行って、俺たちが見つけた猫がミクかどうかを確認してほしい。俺たちの勘違いってこともあり得なくはないけど、飼い主なら間違いはないだろ。ただ……ちょっと、状況がほんと、あんまり気分の良いものじゃないと思う。覚悟がいるかもしれないけど、できるか?」

「いけます」

「あと、管理してる人がちょっと態度良くなくてさ。仮にミクだったとしても素直に返してくれるかわからないんだ。言い逃れができないような、絶対にミクだって言える証拠とかあるか? 体のどこに怪我があるとか、そういう飼い主しか知らない情報でいいんだけど」

「あ、それも大丈夫です」


 そう言いながら米田が取り出したのは、楕円形をした、手のひらサイズの小さな機械だった。楕円の表面には小さな長方形のディスプレイもついている。小動物好きなうえに小説好きなせいで雑学豊富な茶原には見覚えがあるアイテムだが、隣の桃宮は知らないようで首を傾げていた。仕方ないので横から助け舟を出してやる。


「犬猫のマイクロチップってわかるか? 獣医さんとかに頼めば注入してくれて、識別番号とかでその動物が誰の家の子なのかとかを判断できるようにしてくれるんだ。あれはその読み取り機だな」


 基本的にはどの国の動物か、動物の種類は何かなどに加えて個体識別用のコードも決まっているため、読み取り機でそれを確認すればいいだけだ。

 番号から逆引きで動物を探すのは難しいが、少なくとも「米田家のミクに定められている番号」かどうかは読み取り機と米田自身が居れば確認できるだろう。


「これで反応がないなら俺たちの勘違いで、マイクロチップが埋め込まれてない全く別の猫。読み取り機に反応があって、なおかつ米田さんとこの猫の番号だったら、それは言い逃れのしようもなくミクってわけだ」

「マイクロチップを入れた時に、番号は最初に確認して記録してあります。それを書いた紙もありますから、見間違えたりもしません」


 期待していたよりもかなり準備が良いことに茶原は内心ガッツポーズを決めたいところだった。ここまで確実な証拠は出せないと思っていただけに、これは嬉しい誤算である。

 説明して桃宮も理解したようで、その表情が一気に明るくなった。建前上、勘違いの可能性も挙げはしたが二人とも直に見て間違いなく探していた猫だと確信している。これでもう大丈夫だ、という安堵が表情に出そうになるのは茶原も同じだった。

 頬の筋肉が緩むのを自覚し、咄嗟に咳払いをして顔を引き締める。


「そうと決まれば早く行こう。あんな場所にいる時間は、一秒だって短い方がいい」


 そう促すと、桃宮も飼い主の米田も、躊躇いなく頷いてくれた。

 ――まるで救助隊のチームでも組んでるみたいだ。そんな感想が胸の内に湧いて、そうなると自分は現状だと隊長か、なんて考えは不謹慎ながらも心地良く、茶原の足取りは今日一番の軽さだった。

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