第11話 ― 10

 太陽はとっくの昔に沈み切った。濃紺の空を眺めて竹沢はため息を深々と吐いたところである。息を吐いた本人が聞いて思わずげんなりする程度には、吐息に乗った気分は重苦しい。

 親友が画策した光汰と剣道部員五人組の試合はもうずいぶん前に終わって、橙山が観客の中学生を集めた時と同じように引率して外へ送り出したのもそれなりに前の時間だが、竹沢が今立っているのはその会場にもなった体育館の出入り口前であった。


 観客こそとうに帰ったが今回の中心人物たちはそうもいかない。

 文芸部とそれに協力した大学の剣道部は後片付けやらなにやらで忙しいようだし、光汰は光汰で全身全霊を絞りつくした試合を五つもやった反動か、そのまま体育館で座り込んでしばらく立ち上がる気力も無い様子だった。


 結局、最後の一戦だけは光汰も勝つことができなかった。だからと言って負けたわけではない。

 赤尾に何を挑発されたか遠目からでは聞き取れなかったが、韮崎とかいう蛇顔の部員は終始勢いよく攻め続け、反対に休憩を挟んだとはいえ消耗していた光汰はその隙を見つけて時折打ち返しに行くのが精一杯。攻防が常に一方的に見えた試合だったが、結局最後まで韮崎が一本を取ることは敵わず制限時間を迎えたのである。

 引き分け。最後の最後で締まらないというべきか、四人抜きをしたうえで光汰が最後まで根性を見せ切ったというべきか。ともあれ観客からはその戦績が評価されたようでそれなりに観客は湧いた。


 最初はその様子を見てお茶の一本も買って来てやろうか、などと思った竹沢だったが、実行に移す前にその兄の慧が駆け寄っていったのを見て考え直した。座り込んだままの光汰が実に真剣な顔で慧に話しかけているのが遠目から見えて遠慮した、というのも割合としては大きい。


 だがため息の理由はそこではない。その真剣極まりない中学生とその兄の会話を遠目に見ていると、見慣れた顔がそこへ自然と加わりに行っていたという、その一点こそがため息を重くしていた。


 ――赤尾もまあ、成長しちゃってからに。


 少しどころではないひねくれ方をしたまま大学生になって、それでも時々熱血だった幼少期が見え隠れする親友が、文芸部に入部したのは六月も半ばの事。今が歳の暮れであると考えてもギリギリで半年経っていないはずである。

 それが今では過去の嫌な思いも乗り越えて、文芸部で堂々と活動をしている。そのことが内心誇らしくもあり、同時に。


「つまらない、とかいうのはさすがにダメだろー……」


 小声で呟いたそれはひどく後ろめたい。

 小学生の頃からの付き合いの親友が大好きだったヒーローを「嫌い」とうそぶくようになる前から自分は見てきた。叩かれる赤尾を助けようと奮闘したのも、折れた後でも変わらず馬鹿話をしながら何か立ち直らせる方法は無いかと模索していたのも自分だ。T大学で文芸部の話を聞きつけて依頼をし、そこへ赤尾が仮入部をするよう仕向けたのもその一環である。

 そこまでの労力や気遣いを恩着せがましく語る気は毛頭ないが、自分は十年間散々手を尽くしても復活させられなかった赤尾のヒーロー願望が半年で見事に燃え上がるというのはどうしても釈然としない気持ちが顔を出すものだった。それも基本的には自分があずかり知らぬところでだ。


 あれ俺もしかして今まで無駄だったんじゃね、などという考えは極力持つまいと思っていたが、実際にヒーロー活動をしている赤尾の姿を見ればその考えはどうしてもちらついた。

 そんな考えがちらつく自分が気に入らなくて、逃げるようにして竹沢は体育館の外へ出たところだったのである。普段部活帰りに眺めてのんびり過ごすのが好きな濃紺の景色は、多少ながら気分を落ち着かせていた。

 ようやく気分も落ち着いたしもう大丈夫だろう、などと竹沢が己の虫の居所を確認した丁度そんな頃合いに。


「あ、やっと見つけた。お前こんなところで何してんの。暇だろ、後片付けとか手伝えって」


 ――なんでわざわざ来るかなぁこいつは!

 振り返れば小学校以来の親友の顔が呆れた表情を作っているが、今ばかりはちょっとタイミングが悪い。が、素っ気なく追い返したり直前まで一人でぼやいていたような内容を本人に言うのは竹沢の美学に反する。

 今度の昼飯で何か理由をつけて高いものを奢らせてやる、と心に決めてから竹沢は苦笑いを作ってみせた。ばれたか、と呟いておけば気まずい顔をしたところで「一人でサボっていた事」についてだと勝手な脳内変換が助けてくれる。


「後で行くよ。光汰くんはもう復活したか?」

「お前さてはへばってるの知ってて抜けたな……?」


 飛んでくる視線が若干白いものに変わるが、素知らぬフリで流す。深追いはしてこない辺り赤尾の方も本気で怒ってはいないらしい。人手不足もさほど深刻ではないのは赤尾がここへ来ている時点で察している。


「さっきまでは座り込んでたけど、もう大丈夫だってさ。虐めの件も、さっき兄の方に全部自分で話してた。今日これで決着つけたからってさ」

「おおー、最後まで隠し通すかもなと思ってたよ」

「それから、剣道部はやっぱり退部するらしい。虐めの犯人は今回決着つけたとしても、顧問だって信用できる相手じゃないって。茶原先輩の紹介で稽古つけてくれてた人が剣道のサークルやってるらしくて、今後はそっちに通うつもりらしいよ」

「へえ」


 そっちは予想外だった。実際の所今回の問題を片付けたとしても、その後剣道部に戻していいものかと竹沢も気にはしていたので、それで丸く収まるなら良いのだろう。

 あともう一個な、と隣に立った親友は言葉を続ける。


「虐め主犯格の韮崎な。毎回じゃないけど週イチくらいのペースで勝負挑みに行くらしいよ、光汰くんに」

「は? なにそれどういうことだ」


 予想外がもう一個。しかもこちらは完全にノーマークだった所に不意打ちだ。


「俺も詳しくは聞いてないけど、さっき光汰くん本人に正面から挑戦状叩きつけてた。今度は決着つけさせてくれ、って。引き分けで色々思う所あったんだろうな」

「お、おう……それ、大丈夫か?」

「もし何かあるようならまた文芸部に連絡しろってはっきり伝えてある。向こうも頷いたよ。兄の方にも頼んでおいたから異変があればうちに話が来るだろ」


 ――うちに、かぁ。すっかり文芸部に馴染んでやがる。

 悔しいけど燻ぶってた親友が復活したことは祝うべきだよなぁ、と釈然としない気持ちを飲み込もうとしたその時だった。


「そういえば竹沢さ、小学校の時って俺が一条絡みで追い詰められた時に助けてくれてたよな。竹沢まで虐めのターゲットになりそうだからって途中で俺が泣いて止めたけど」

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