第11話 ― 9
「は? お前何なのさっきからさぁ。才能マンの味方だったら向こう行ってろよ、鬱陶しい」
目が合った光汰とは少しズレた方向からそんな言葉が吐き捨てるように飛んでくる。これもまた随分と早口で、気を抜けば苦笑いが出そうになるのを赤尾はどうにか堪えた。
視線を戻して、こちらを細い目で睨みつけてくる韮崎にため息混じりで言葉を返す。
「五対一なんて無茶を言っても、光汰くんは逃げるような格好悪い事はしなかったな」
そのくせ五人がかりの最後の一人は逃げるのか、と比較してやる言葉は特に効いたらしい。
なんだかんだと言っても相手は中学生の「男の子」でしかないわけで、気に入らない相手と比較されたり侮蔑の視線でプライドを突かれたりするのはやはり効く。逃げるとか格好悪いという単語を混ぜている分も効果絶大なのは反応を見ればすぐに分かった。
橙山が集めた中学生や剣道部員など、観客の目があることも影響しているだろう。金属製の面の隙間から表情はよく見えないが、防具越しにもたじろいだのが見て取れた。
「あと別に、俺は『才能マン』の味方じゃないよ。格好いい奴の味方をしてるんだ」
するりと、そんな言葉が口から滑り落ちた。目の前の韮崎の動きが止まる。
「才能マン才能マンって馬鹿の一つ覚えみたいに言うけどな、五人がかりでぼこぼこにされて部活にも出なくなって、それでも全部投げ出して逃げたいか、悔しいかって聞いたら光汰くんはちゃんと悔しいって言ったんだぜ。リベンジの場を用意したら、自分からちゃんと練習も再開して今日も逃げずにここまで来たんだぜあいつ。五対一とか最初から言ってあったのにな」
「……だから何」
完全に声は不貞腐れたままだが、その問いかけは先ほどの「だから?」とは明らかに含んだ意味合いが違う。
「嫌なこととか怖い事があって、一度全部放り出して逃げたのにもう一回ちゃんと自力で立ち向かうってすげえ難しいんだよ。どんなに才能あっても気合い入れてても、そもそも一回負けてるんだからな。滅茶苦茶嫌な思いしたのを絶対覚えてて、もう一回同じ思いしたくないからって普通は逃げたくなるんだ」
赤尾もそれと近い経験を最近したばかりである。十年も昔の事であっても、たとえ大学生になって精神的に多少は強くなっていても、記憶が風化していても過去のトラウマの元凶に向かい合うのは怖いのだ。
ましてや光汰は赤尾達が依頼を受ける前に誰の助けも無く、自力で正面から立ち向かおうとしていた。結果折られたとしても、そこで自力で立ち向かったという気概こそが赤尾にとっては眩しい。大学に入学したばかりの頃なら「羨ましい」の一言で目を背けていただろうが今は違う。
「そこで泣いて逃げても誰も責めないけど、怖くても逃げたくても歯食いしばって立ち向かうやつって格好よく見えるもんなんだよ。そいつが本当に一人じゃ折れそうだなって時になると応援したくなるんだ。俺も最近知ったばっかりだけどな」
そう言いながら思い浮かんだのが、夕日の中で一条と正面から睨みあった桃宮だったのは少しだけ釈然としないが。だが、先ほど当の桃宮から言われた事を考えるならあの時あのちびっ子を格好よくしたのは助けに行った自分らしい。
わけわかんねー、という呟きが面の向こうから聞こえた。だろうなぁ、俺もわかったの最近だもんなぁと今度は苦笑が隠せずに出た。
「わかんなくていいから、試しにちょっと光汰くんと試合してみろ。お前が気に入らないからって虐めてきた奴は『才能マン』じゃなくて、叩きのめしても結局立ち向かってくるような根性の塊だと思って向かっていけば少しは格好悪い奴じゃなくなるかもしれないから」
そう赤尾が促すと、結局韮崎は面の奥から暗い視線を赤尾の方へ突き刺しながらも外したばかりの小手をつけ始めた。手の動きが非常に緩慢なのはせめてもの抵抗か。
往生際の悪い奴だ、と思うと同時にこっちに関してはもういいだろう、とも確信する。
納得いったわけではないだろうし赤尾が言った言葉だけであっさり変わるほど聞き分けがいいとも思えないが、とりあえず試合を投げ出していなくなる心配だけはしなくてよさそうだ。
そのまま試合場の真ん中を横断して、相変わらずこちらを眺めていた光汰の目の前で足を止める。
遠目には分らなかったが四人抜きもして消耗が無いはずがなく、休憩を間に挟んでいてもやはり少し肩で息をしているのが見て取れる状態だ。それでも真っすぐ見据えてくる目に赤尾は、にやりと笑って見せた。
「いけるか?」
「当然」
返ってきた光汰の口調も随分と強気だ。
「さっきは、ちょっと変なこと言って悪かった。けど助けに来た俺に、悔しいって言ってリベンジの場所まで来たのは光汰くん自身だ。これは事実だからな。俺はそうやって自分で立ち向かえる奴だから君を助けた。折れて部活に行けなくなっても、まだ悔しいって言える根性があるからここまで助けた」
言いながら気付く。なるほど小学生の頃の自分に正義のヒーローが来ないわけだ。あの時もし正義のヒーローを「すっぱいぶどう」扱いにせず自分で牙を剥いていたら。立ち向かっていたら。もしかしたらその時は助けてくれる誰かがいたのかもしれない。あるいは自力で跳ね除けることができたのかもしれない――いや、そういえば一人いたが自分が泣いて止めたのだったか。だとしたら惜しい事をしたものである。
その考えは少しだけ悔しく、しかし十年越しでも立ち向かった結果自分が助ける側になれたのだと思えばそう悪い気分でもないものだった。
「胸張って行ってこい――勝ってこい」
言いながら光汰の隣に位置を変えてその背中に軽く手を添える。やってから、ついさっき自分もされたなこれと気付いて少しだけ顔の温度が上がった。同類項の自覚がないわけではないが後でからかわれるネタを自分で提供することへの抵抗まで無くしたわけではない。
とはいえここまでやってしまえばあとは開き直るほうが楽だ。咳払いして、絶対に桃宮の方を見ないようにする。試合場の中心側へ向かう光汰と並んで同じ方に向き直れば、防具をつけなおした韮崎がこちらを面越しに睨みつけているのが見えた。向こうも試合の準備は万端らしい。
「ここで立ち向かえるお前は、将来きっと正義のヒーローになれる。虐められても最終的には投げ出さなかった根性を見せてやれ」
その言葉と同時に、つい先ほど自分がされたようにその背中を押して送り出した。
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