第4話 ― 2
アメリカ人がイメージする「ジャパニーズ・オタク」のテンプレートだ、というのが赤尾の第一印象だった。
背は高くもなく、低くもなく、太っているわけでもないが極端に痩せ細っているわけでもない。髪型など意識もしたことないのだろうな、というぼさぼさの黒髪は中途半端に伸びている。ご丁寧に四角い縁ありメガネと、首から一眼レフカメラまでぶら下げていた辺りが完全にテンプレ通りだ。
「あの、文芸部に何か」
「聞いてくれ、僕は君たちに依頼があってきたんだ!」
聞くからとりあえず離れてほしい。
肩をがっしりと掴み、やけに高いテンションでこちらへ語り掛けるそのメガネ男子は随分と興奮しているようで、赤尾の肩を掴んだまま勢いよく身を乗り出して顔を近づけてくる。暑苦しいし、なによりも男の顔が距離を詰めてくる光景というのは同性には少々耐え難いものがあった。
「おい、どうした赤尾。誰だそいつ」
どれだけ熱弁を奮っていようと、さすがに数メートル程度の距離で後輩が見知らぬメガネ男に掴みかかられて大声で何か騒がれていたら、誰だって異変には気付く。すぐに赤尾の背後から駆け寄ってくる足音と、茶原の声がした。
茶原先輩、助けてくださいよ――そう言おうとしたときだった。
「見つけた……」
赤尾の両肩にのしかかっていたメガネ男子の手から急に力が抜ける。見れば彼はもはや赤尾の事など視界にも入れておらず、その視線の先には。
「えーと、私?」
絹糸のような髪を揺らして小首を傾げる、橙山がいた。知り合いですか、と目で問いかけるも、即座に首を振って否定された。まあ、本人もきょとんとして事情が良く分かっていないようなので、嘘ではないだろう。もしかして茶原のほうかと視線を横にずらしてみたが、こちらはこちらで
文芸部員三人が揃って状況を理解できずにいると、そのメガネ男は赤尾の横を通り抜けて、茶原の目の前をまるで存在を認識していないかのように平然と横切る。あの茶原を初見で空気扱いとはどんなメンタルだ、と驚愕する暇すら与えずに彼は橙山の目の前で立ち止まり、そして。
「どうか頼みがある! 僕と共に世界を目指してくれ!」
そんな言葉を宣って、すでに硬直したその場をさらに凍り付かせた。
***
「
一眼レフを大事そうに抱えながら、そのメガネ男はそう自己紹介してきた。
公然の秘密と化しているとはいえ、文芸部は表向きには文芸部として設立されており、その大義名分を通さなければならない相手は学校事務局である。エントランス前はそのまま事務局の受付からもそう遠くない場所で、そんな場所で依頼だのなんだのという話はさすがに宜しくない。
そんな理由で文芸部の部室までご足労願ったところ、榎園は快く承諾してくれた。
夕方とはいえ七月半ばの外気は暑い。冷房を利かせた部室内は外の不快指数に反比例するように快適で、エントランス前で盛大にはしゃいでいた榎園の頭も冷えたらしい。少なくとも、最初に赤尾の肩をわしづかみにしたような勢いはもう落ち着いていた。
「副部長の茶原です。えーと、それで榎園先輩、世界を目指す、とかいうのは一体」
少しやりづらそうに、榎園の向かいに胡坐をかいた茶原が質問を投げる。こちらの活動には嬉々として参加したがる件の部長は、生憎部室にいなかった。時間が時間だったのでもう帰ったのだろう。
悪いんだけど桃ちゃんに連絡しておいてあげて、と橙山には頼まれたし快諾もしたが、赤尾の携帯はメッセージアプリをまだ開いてすらいなかった。連絡をするとは言ったが今すぐやるとは言っていない。
これで大学内にいたり大学から出たばかりだったりしたら、あの外見ちびっ子は一も二も無くすっ飛んでくるだろうが、この季節に暑苦しいものは避けるに限る。
普段は自分の役割ではないのだろう、やりづらそうな茶原には内心で詫びた。その茶原の問いかけに、榎園は目を輝かせて身を乗り出してきた。
「僕はさっきも言った通り、写真部で、三回生だ。写真部は毎年フォトコンテストにも積極的に応募しているのだが、僕が参加できるコンテストはもうそろそろ残りが少なくなってくる。四回生になれば就職活動で部活どころではなくなるだろうしね」
「ええ、まあ、わかりますが。つまり橙山先輩を、そのフォトコンテストとやらの被写体にと」
「ああ。最高の被写体を用意し、最高のシチュエーションで撮影して、僕の大学生活最後のコンテストに挑みたいんだ。そのために協力してほしい」
なるほどな、と横で聞いていて赤尾は納得と同時に少し安心した。
一カ月前に自分が仮入部で関わった依頼と比べるとかなり安全というか、落ち着いた依頼になりそうではないか。入部してからも何度か依頼は届いていたし桃宮に連れられてそのほとんどを経験してはいたが、だいたいどれも恋愛関係のトラブルだの友人との喧嘩だのと、何かしら血圧の高い人物が関わってくるものが多かったように思う。
だいたいの場合は桃宮が間に入ってとりなすか、収拾がつかないときはいがみ合う二人の真ん中に茶原を投入すれば解決していたが、それでも個人間の争いに介入するというのは見ているだけでも肝が冷える。一度などは赤尾が間に入って仲裁した結果、その両方から「お前は黙ってろ」とばかりに睨まれたこともあって赤尾は軽く心の傷を抱えていた。
そういった案件と比べて、フォトコンテストの被写体。しかも自分は完全に他人事でいられる。人はこんなにも心穏やかにいられるものなのか、と赤尾は感動すら覚えた。
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