第6話 ― 2

 赤尾の懺悔まで聞き終えるまでの間、橙山はせっかく開けた缶ビールに一度も口をつけなかった。彼女なりの「真面目に話を聞く姿勢」ということだろうかと話しながら赤尾は思う。ならいっそ缶を開けるなと言いたいが、そこは飲みたい気分との折り合いがつくラインが橙山的にはそこだったのだろう。


「赤尾君って追い詰められると行動がぶっ飛ぶタイプなんだねぇ」


 最後まで話を聞いた後、橙山は一息ついてからしみじみとした口調でそう呟いた。追い詰められると、という前提条件に心当たりが無いとは言いづらい赤尾からすれば返答の難しい感想である。

 ヒーローを否定しながらヒーローより上を行く、という目的ばかりを意識し過ぎていた結果、正しい手段であると取った選択肢がどういうものかは昨日思い知ったばかりだ。


「でもまあ、そこで怒ってカメラ破壊しちゃうのが茶原っぽいわー。普段弄られっ子だから忘れそうになるけど、そういやあいつゴリラだったね」

「ゴリラて」

「あれはゴリラでしょ。筋肉がっしりで大型で、そのくせ妙にナイーブなところとか。あれで勉強とか超真面目だし。あのゴリラ、どっしり構えているように見えて案外潔癖症なんだよ」


 蛮族だの筋肉塊だのと内心で認識している赤尾が言えたことではないが、橙山の言い方もそれはそれで容赦がない。しかし茶原が潔癖症というのはいまいち理解ができない評価だった。部室内は適当に片付いているが同じくらい適当に物があちこち散らばっている。

 掃除は誰かが気が向いた時にやるし、その役回りを茶原がやっていることも多いが、大抵は渋々といった感じで潔癖症と評されるほど部室の清潔感を保っている印象はない。そう思いながら橙山の事を見ていると「実際の綺麗好きとかとは違うよ」と橙山は言葉を付け足した。


「あくまでもメンタルの話ね。あいつ狡い事とか一方的なのとか、そういう不公平なのとにかく嫌いなのよ。たぶんお父さんの影響じゃないかなぁ。曲がったことが大嫌いな昔の硬派気取りっていうかさ」


 赤尾君がやってたこと、茶原のそういうとこに思いっきり引っかかると思う。そう指摘する橙山はやけに訳知り顔だ。


「父親が空手か何かをしっかりやってて、おまけに考え方が昭和のお父さんなんだよねぇ。悪い事したらすぐに拳骨が飛んできて、何事も真正面から全力で叱って鍛えるタイプなの。今のご時世だと問題になりそうな、ヤンキー漫画にありがちなやつ」

「ずいぶん詳しいですね」

「あ、知らなかったっけ? 私と茶原は幼稚園くらいからの腐れ縁だよ? わざわざ敬語で喋るようになったの大学生になってからでさ、正直いまだに慣れないの」

「えっ、初耳なんすけど」


 さらりと予想外の答えが返ってきて、思わず赤尾はその話に食いついた。橙山のほうもニヤニヤと悪い笑顔をして、何かしらのいたずらを思いついた子供のように目が輝いている。幼少期の弱みをいくつか握っているのだなと、赤尾はすぐに察した。

 聞きたい? と目で尋ねる橙山に、ほぼノータイムで首を縦に振る。


「実は茶原ね、小学校の真ん中くらいまでいじめられっ子だったんだよ。といっても休み時間に悪ふざけで鉛筆取り上げられたりするやつでさ、泣いてるところを何回助けてあげたことやら。背もクラスで一番低いしヒョロヒョロだし、泣き虫だったし」

「全然想像できねえ……」

「まあ相手も本気で痛めつけようとかじゃなくて、あれは周りから笑いを取るためのギャグのつもりって感じだったんだろうし軽いものだったけどね。本人はデコピン一発でびーびー泣くし、見かけたら私が止めに入るし、そうすると急に大人しくなるから大事にはならなかったけど」


 それ、茶原先輩に絡んでたら橙山先輩が来るからいじめてたんじゃないだろうか、と赤尾は内心で予想を立てる。こいつを泣かせると自分が好きな女の子が飛んできてくれる、という考えは、まだ思春期も来ていないような子供なら十分有り得る。好きな子ほどついいじめてしまう、という小学校低学年にありがちな行動の亜種とも言える。


「で、三年生くらいのときに茶原のお父さんがもうキレちゃってさ。すぐ泣くから舐められるんだお前はー! 根性鍛えなおしてやるわー! って。本人もいじめられたくないわ怒られたくないわで必死に鍛えた結果、今の二メートル級ゴリラが誕生したのよ」


 まあそんな経緯で茶原の思考も結構固くてさ、と話題がそのまま元の位置に返ってきた。のほほんとした喋り口調や子供っぽい所ばかりが印象に強いが、この先輩は話題の軌道修正が上手い。


「ムービーで弱み握って脅しをかけてっていうのはお世辞にもキレイな手口とは言えないからさ。だからそういう意味での潔癖症としては見過ごせなかったんだと思うよ。特に自分の後輩だから余計に」


 あいつが言う悪役ってそういうことでしょ、と橙山は軽い口調で結論付けた。


「潔癖症っていうか、正義感が強いというか」

「正義のヒーローじゃなくても別にいいから、とか本人は言うくせにねー。いつも文句言ってるけど、あれで桃ちゃんの活動自体はあいつめちゃくちゃ気に入ってるのよ」


 赤尾が今の文芸部に不満はないのか、新しく部を作り直さないのかと聞いた時、茶原はそのつもりが一切ないと答えた。不満がないどころか、どちらの活動もやりたいから好きでこの部にいるということらしい。


「赤尾くんは、ヒーローが嫌いなんだっけ」


 そう尋ねてくる橙山に、赤尾は少しだけ躊躇いながら頷いた。


「じゃあ、悪役になりたい?」

「……いや、そういうわけではないです」

「じゃあ茶原と同じだ」


 笑顔でそう言う橙山だったが、言葉の意味が良く分からず赤尾は首をかしげた。

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