第11話 ― 3

「君がどう思っているのかを聞きたい」


 文芸部内で相談を持ち掛けた翌日、朝から延々と言葉に悩み、なんと伝えたものかと頭を捻り、昼食の時には竹沢に苦笑いされながらアドバイスを真面目に聞いて、結局それでもパッとした言葉が浮かんで来ることがないままメッセージを送信したのは、結局午後の講義を一つ終えてからの事だった。

 散々悩んだ割に出てきた言葉は単純そのもので、内心ひっそりと自己嫌悪に陥りかけたのは赤尾の胸の内から決して出してはならない秘密だ。


 時刻はまだ三時にも差し掛かっておらず、返答はおそらく放課後を待つから夕方以降だろうか、などと思っていたらメッセージ送信からものの五分程度で返事が返ってきたので赤尾は驚いた。赤尾の方も午後二コマ目の講義の最中なので声こそ出さないが、口元は少しだけ緩んだ。

 ――絶対今授業中だろお前、この不良中学生め。自分も割と同じ穴の狢なので咎めることこそしないが、内心でそう呟く。大学生と中学生では授業中の携帯いじりに対する心理的ハードルの高さはかなり違うかと思っていたのだが、最近は案外そうでもないらしい。


「ざっくりし過ぎててなんて答えたらいいかわかんない」


 返ってきたのはそんな一文で、まあそりゃそうかと納得する。半日考えたくせに穴だらけな一文を送ったものだと自分で自分にこっそり呆れながら、続けて返信を打ち込んだ。


「部活の奴らの事。何とも思ってないか、怖いか、それとも悔しいか」


 送信ボタンを押すときには既に赤尾の中で、きっとこうだろうという予想は立っていた。


 少なくとも光汰から聞いた話をまとめた時に、彼の側に何かしらの落ち度や問題点は見当たらなかった。しいて言うなら自分に才能があると言い切れる神経の太さが気に障る人もいるかもしれないが、そこは彼自身が自覚して律していたらしいので今回は除外だ。

 これが光汰の方に明確な非があるなら「当然の報いだから」と泣き寝入る。あるいは声高に自分が被害者だと主張することで自分の非から目をそらしながら反抗するだろう。彼が選んだ行動はそのどちらとも違う。


 立ち向かったのだ。最終的には折れたとはいえ、練習試合で自分をイジメた先輩達を見返してやると息巻いて、その準備を整えて。先に挙げたような考えをしていればこうはなるまい。怖がっていたとしたらなおさらだ。


「何とも思っていなかったり、怖いだけなら、その部員たちに近づかなければいいだけだから手段はいくらでもある。そいつらからも剣道からも全部逃げて、理不尽に叩いてくる奴らを見えないふりすればそれでいいだけだ」


 ただしその時、剣道は彼にとって「心の支え」から「負けて折れて逃げた過去の象徴」に変わる。剣道がきっかけで始まったいじめを本当に思い出さないようにし、見えないふりをするためには自身が剣道から離れることが最善だからだ。逃げた先で立ち直るのであれば、彼から剣道を取り上げなければならない。

 心の支えや好きなものを、それほど器用ではない子供の頃につらい記憶ごと遠ざけようとしたらどうなるかは、赤尾が一番わかっているつもりだ。


「まだ悔しいって思えるなら、すごく大変だけど、逃げるのはおすすめできない。君はどっちがいい?」


 返事が来たのはその後、赤尾が受けていた講義が終わってから。

 文面はただ一言「悔しい」それだけだった。

 それを確認してから、赤尾は文芸部の面々に再び連絡を取った。


***


「竹沢、ちょっといいか?」


 親友とその所属部活に依頼を持ち込んでから一週間。そろそろ寒さが厳しくなってきた部活帰りに竹沢を背後から呼ぶ声がした。ちょうど一週間前と同じ絵面だなと思いながら振り返ると、そこにはやはり一週間前と同じように飯塚慧が立っていた。


「おう、飯塚。また何か文芸部の方に頼み事か?」

「いやいや、違うって。むしろお礼を言いたくてな。もちろん紹介してくれた竹沢にも。ほらこれ」


 そう言いながら渡されたのは缶コーヒーだ。受け取ってみると冷え切った手にじんわりと染み込んでくるように暖かさが伝わってくる。すぐ近くの自販機でわざわざ買ってきてくれたらしい。これがお礼のつもりだろうか。

 確かに寒い季節にはありがたい事この上ない。さりげなく一般的な小さい缶ではなく、広口で大容量の物を選んである。ここ最近昼休みや練習帰りに気が向いたら竹沢が好んで買っている種類のもので、一週間前のやり取りとは打って変わって気が利いている。


 というよりも竹沢が知る飯塚は基本気配りがそこそこ上手だ。このこまやかさを何故自分の弟に向けられないのかと依頼の話を聞いているときは不思議で仕方なかった。


「お礼っていうけど、もう弟は復活したのか?」

「おう。事情はよくわからんけど多分大丈夫みたいだよ!」

「よくわからんけど、ってお前」


 苦笑いしながら視線が手元の缶コーヒーに向く。つくづく何故、この気配りが家族相手だと発動しないのか。いや家族だからなのかもしれないが。


「あんまり何が起きたかとかの事情は話してくれないんだけどさ、文芸部の人たちと話してからは帰りが部活に真面目に通ってた頃と同じくらいになってるんだよ。この間帰ってくるところを玄関で見かけたらまた竹刀袋も持っててさ、あー本当にやる気取り戻したんだなぁって!」

「あー……なるほどそういう」


 その依頼に関して主導権を握っているのが自分の親友であることを竹沢は知っている。ついでに言えば彼が気付いたであろう「部活サボりの真相」もわからないわけではない。似たような事情で心が折れて腐っていた人間は十年間横で見ていたのだからわからない道理が無かった。

 そして同時に竹沢は知っている。折れる前の赤尾という親友は基本的には大人しい性分だったくせに、いざという時や追い詰められた時に取る手段は決して大人しくない。いつだったか文芸部の部長経由で聞いた「写真部の依頼でやらかしたこと」などまだ可愛い部類だ。


 いじめられて部活をサボるようになった中学生の心に火をつけるなんて依頼で、ただ部活に通えるようにして終わりなどという「お上品」な解決をする赤尾の姿は、竹沢の脳裏にはどうしても浮かばなかった。


「でもすごいよな、文芸部。うちの家族が何カ月も悩んでた事、たった一週間で解決すると思ってなかったよ」

「えっとな、飯塚。お前とお前の家族にちょっとだけ言っておくとだな」


 そんな親友の素性を良く知らない目の前の部活仲間に、苦笑いをしながら竹沢はアドバイスをせずにいられない。


「多分まだ、依頼片付いたと思ってないぞ文芸部は。あとでちょっと驚くことがあっても大丈夫なように、身構えるだけ身構えとけ」


 とはいえ事情を詳しく知らない自分が言えるのはその程度である。飯塚がきょとんとした顔を見せるのをよそに、竹沢は渡された缶コーヒーの中身をちびちびと飲み始めた。

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