第5話 ― 7
三つ編み黒髪女の方が
嫌がらせの理由を尋ねた茶原に対して木崎が口にしたのは「榎園先輩が気に入らなかった」というものだった。
自分たちはあくまで趣味として楽しむ範囲でやろうと思っていた。
榎園がそこに首を突っ込んできたり余計な世話を焼いてきたのが頭にきた。
そんな気に食わない先輩が部で最後のコンテストに応募しようとしているのを知って、だったらその撮影を邪魔してやろうと思った。
木崎の口から出てきた理由は、そんなものだった。
荒瀬のほうは完全に木崎に唆されたというか、元々同じようにうんざりはしていたところに脅迫じみた手口で頼み込まれて、協力を余儀なくされたという。
強く頼まれたら断り切れずに人に向かってペンキ投げるのかよお前、と話を聞いた茶原が少し呆れた口調でそう突っ込むと、返ってきた言葉と表情は今にも泣きだしそうなものだった。
「むしろ聞きたいんすけど、断ったら自分の服をハサミでズタズタにしてから大勢の前で俺にやられたって泣き叫ぶぞとか言われて、どうやって断りきればよかったんですか俺」
そうだな、同じ部活やっててそれは怖いし断り切れないな、と同じ男としてはそれ以上厳しいことは言えなかった茶原と赤尾である。特に赤尾の方は自分が直前にやろうとしていた内容が内容なので居心地が悪い。悪質さは木崎に負けるが、社会的立場を脅しの材料にしたという意味では赤尾も同類項だ。
なるほど自分がやろうとしたのはこういうことか、と話を聞きながら自責の念に駆られる。これは言い逃れのしようもなく悪役の所業だ。あと一歩で完全に悪役になっていた自分を止めてくれた茶原には礼を言わねばなるまい。五千円の弁償は、半額くらいで遠慮したほうがいいだろうか、などと赤尾は考えた。
しかしなぁ、とその隣で茶原は眉間の皺を少し深くしながら首をかしげた。
「まあその、あくまで趣味で楽しみたい人に本気の奴が同じやる気を要求するっていうのは確かに面倒だろうけど、それだけでここまでするかぁ……?」
茶原の疑問に赤尾も同意して頷く。画鋲に、ボールに、ペンキ。どれもこれもただ「やる気が溢れすぎてる先輩が鬱陶しい」程度の理由で出てくる手段とは到底思えない。
文芸部二人が揃って首をかしげるのに対して、木崎は視線を自分のつま先に固定して黙り込んでしまった。木崎の横にいる荒瀬もなんだか意味ありげに視線を反らしたが話してはくれないようだった。
「よし、わかった」
茶原がそう言って手を叩いたのは、たっぷり十秒以上も考え込んでからだった。一回生三人の視線が茶原に集まる。そうして彼は言い放ったのだ。
「お前らも、そのコンテストに出してみようぜ、写真」
満面の笑みで。
あんたそんな表情できたんですか、と言いたくなるような、普段の威圧的な顔ではなく、むしろ爽やかさすら感じられるようなキラキラと眩しい笑顔をした文芸部の筋肉達磨はそんなことを口にしたのだった。
「……は?」
茶原以外の、その場にいた三人の言葉は見事にシンクロした。
***
「なんっじゃそりゃ! 何をどうわかったらその結論になるんだよ、お前のとこの先輩超おもしれー!」
翌日の昼休みに一部始終を竹沢に話したところ、十年越えの付き合いがある親友は腹を抱えて大爆笑した。そこがどちらかというと落ち着いた雰囲気の学内カフェであることや周囲の視線などお構いなしである。
お前ここ一応公共の場な、と赤尾が窘めてようやく声のトーンは落ち着いたが、それでも全力疾走したかのように肩で息をしながら目には涙まで浮かんでいる。いったいどれだけツボに入ったんだ、と赤尾としては全く笑えない状態である。
「いやぁ、久々にこんだけ笑ったわ……結局さ、その先輩の目的は、何だったんだよ?」
「それが分からないから当事者としては笑えないんだって」
結局その場で彼の真意を汲みとれた者はおらず、全員が呆気にとられる中で茶原だけが「詳しい話したり、撮影の手伝いもぜひさせてほしいから打ち合わせのために」などと言って写真部二人と連絡先を交換して、念のためにこれ以上榎園への妨害行為はしないようにと約束させてからその場は解散となってしまったのだ。
一部始終を見たうえで混乱する赤尾はまだいいが、下の階で二人の帰りを待っていた榎園と橙山は完全に置いてきぼりとなった格好である。その後も茶原は笑顔のままで、橙山でさえ「茶原があんな笑顔するとか今日は宝くじ買わなきゃ」などと言っていたほどだった。どれだけ怖い顔の茶原を見ても動じなかった榎園が一瞬とはいえ手に持ったカメラを落としかけたのだからその破壊力は推して知るべしだ。
そして結局、茶原の狙いはまだ誰にも明かされていないまま今日の昼休みに至っている。
少し間を空けると再び笑いの波がぶり返してきたらしく肩を震わせる親友をよそに、この依頼が一体どこへ向かうのかが赤尾は不安になってきた。不安に思うことで、自分の言動や怒られた内容について考えるのを避けてきたとも言えてしまうせいで余計に気が重い。
――正義のヒーローじゃなくても別にいいけどさ、せめて悪役にはならないようにしようぜ。
茶原が言ったその言葉は、ふと気を抜くと赤尾の頭の中で反響し続ける。腹の底をちくちくと刺激し続けるそれから、赤尾は一日中逃げ続けていた。
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