第3話 ― 2

 もともと桃宮に謝罪をするつもりで来たのでそう尋ねたのだが、それを聞いた橙山は「あれ、聞いてないんだ?」と不思議そうな表情だった。


「茶原とかから連絡行ってない? 桃ちゃん今日朝から講義出てないんだってさ」

「え、でもさっき俺がドア開けた時、桃ちゃんって」


 というか桃ちゃんって桃宮先輩の事で合っているんだろうか。相手がごく自然にその呼び方で話を進めるものだから聞き流してしまっていたが、随分とまた外見相応の可愛らしいあだ名だ。当の本人に聞かせたら一昨日のように威嚇的な笑顔を向けられそうである。


「うん、午前中だけ寝坊とかで昼から来るかもなーって思って部室で待ってたのよ。お昼は時々部室で食べることもあるし、午前中来なくて昼から学校に顔出すとか大学生だと有り得ないことでもないしね」

「そういうものですか」


 そういうものです、と笑顔でふざけて返した橙山だったが、その表情はすぐにまた曇ってしまった。ころころと表情が良く変わる先輩だなと思いながら赤尾はその様子を眺めた。赤尾だって健全な男子なので、目鼻立ちの整った異性が表情豊かなのは見ていて嫌な気はしない。


「ただねえ、私ならともかく、桃ちゃんそんなふうに午前中だけ姿見せないとか今まで一回もなかったのよね。風邪とかかもしれないけど、そういう時だって連絡したらちゃんと返ってくるし」


 橙山も今日の午前中のうちに桃宮と連絡を取ろうとしたらしいのだが、何度メッセージを送っても返信はおろか既読すらつかないという。確かに、出会ってまだ数日の赤尾から見てもその状態は少し不自然に思えた。

 一昨日依頼を受けたあと、情報収集のための連絡を取り合う時などは赤尾がメッセージを送信してから十分以内には大抵の返信が来ていた。隠れ蓑と言いながらも立ち上げた部の部長としてちゃんと機能していたり、依頼人とのやり取りがしっかりしていたりと、外見中学生のわりにはその辺りマメな先輩のはずだ。


 ――まあ、普通に考えて、そういうことだよな。


「あー、すいません、橙山先輩」

「ん、どしたん新入生くん」


 新学期が始まって二カ月も経つのに新入生呼びはいかがなものか、とは思ったがあえて触れずに赤尾は再び文芸部部室の扉に手をかけた。


「ちょっと行かなきゃいけないとこができたので、今日はこれで」

「えー! まじで! もっと話そうよー、桃ちゃん来るまで私暇だよーう」

「いやいや、子供じゃないんですから」

「しゃーない、茶原でも呼びつけて弄るか」

「なんか、名前を聞くたびに茶原先輩が不憫に思えるんですけど」


 今ここにいない哀れな茶原に同情する赤尾をよそに、橙山は机の上に置いていたスマートフォンに手を伸ばした。二つ上の先輩のはずだが言動が完全に三歳児のそれである。外見のわりに依頼人への対応がしっかりしていた桃宮とは完全に逆のパターンだな、と赤尾は思う。二人を足して二で割ったらお互い丁度いいのではないだろうか。


「じゃあ、失礼します。また次会った時に話は付き合いますんで」

「おっけー、また今度ね」


 自分が立ち去る代わりに呼びつけられるであろう茶原に心の底でそっと詫びながら、赤尾は文芸部の部室を後にした。ただの風邪という可能性もあるが、そうでないとしたら桃宮がどこにいるのか、予想がついていた。


***


 学校を一度出ると、すぐ右手にバス停がある。この大学に通う学生は皆、普段の通学はここを通るバスを使うことになっていた。バスの運行範囲内より遠い学生は電車も使って、大学最寄りの駅からバスに乗る。

 赤尾もその例外ではなかったが、別にまだ帰宅するわけではない。そのままバス停を素通りし、さらに五分ほど歩けば昨日も訪れた川が見えてきた。


 正直に言えば、午前中から「もしかしたらそうかもしれない」という考えはあった。昨日、川で誰よりも必死にお守りを探している姿を見れば誰だってそう思う。

 とはいえ大学が休みなわけでもないので講義だってあるし、さすがに有り得ないだろうと検討するよりも前から決めつけていた。昨日の別れ際に茶原からも、続きは明日の講義が終わってからにしようと言われていたし、桃宮だってそうするだろうと思っていたのだ。


 大学に姿を見せておらず、連絡もつかないとなると「そうかもしれない」は「たぶん間違いないだろう」程度の信憑性を持ち始めたので、とりあえず確かめてみようと川へ訪れたわけだが。

 案の定、そこには桃宮がいた。

 二人組の警察に左右を囲まれながら。


「だーかーらー! あたし大学生って言ってるでしょ⁉ 学生証だって見せたじゃない! 信じなさいよ、ねえ!」

「そうは言ってもなあ……お嬢ちゃん、上手にできてるのは認めるけど、さすがにちょっと信じられないでしょ。顔写真上から付け直したの? 元々はお姉さんの学生証とかかい? だめだよ、こういう物を作ってまで嘘ついちゃ」

「あたし自身のものだって言ってるでしょうがぁ! 仮にあんたらの主張通りの子供だったとして、その子供にここまで本物っぽい加工ができるわけないでしょ!」


 いや、まあ、そうだよなぁ。赤尾は少し離れたところで繰り広げられている言い争いの現場を見て深々とため息を吐いた。

 決して警察は悪くない。仮に自分が警察でもあの外見でこの時間に川の真ん中にいれば、平日の昼間から川で遊ぶ中学生だと認識して補導する。職務質問ではなく補導をすると自信をもって言えた。

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