番外編 ― 6

 店を出た茶原がまず最初に取った行動は、桃宮の手を引いてその場から素早く離れることだった。店長であろう中年男の機嫌こそ損ねたものの、あの様子なら余計な警戒はさせていないだろうが念のためだ。駅に戻る途中で公園があったな、と移動中に思い出して、行き先はそこに決まった。


 駅と猫カフェのちょうど中間地点付近にあったその公園は、遊具も無ければ人気も無い、公園と呼ぶよりも空き地と呼んだ方がしっくりくるような場所だった。面積自体もせいぜいが学校の教室より少し広い程度のもので、それほど広くない。

 一つだけ置かれたベンチと、隅っこに佇む二組の鉄棒だけが、かろうじて公園であると主張するそこにたどり着いてからようやく歩幅を緩めると、後ろ手に掴んでいた華奢な腕が強引に振りほどかれた。


「……普段なら死んでも言いたくないけど」


 振り返った途端にくりっとした目を鋭く細めた桃宮の視線に非難され、茶原はばつの悪い思いをした。皆まで聞かずとも、肩で息をしているその様子を見ればおおよそ想像はつく。


「足の長さがこんなに違うんだから、もう少し手加減してほしいわ」

「……悪かった」


 桃宮の手を引いたまま自分のコンパスの長さで遠慮容赦なく突き進めば、引っ張られる側はたまったものではなかっただろう。まるで全力疾走をした後のような――というよりも、実際に本人の意思と関係なく全力疾走だったのだろう。

 言い訳になるが普段なら絶対にそこは気付けて、もう少し気を遣った動きができていた自信がある。要するにそれくらい必死に茶原は『逃げていた』ということになる。


「それにしても何よあの中年オヤジ! ろくに話も聞こうとしないじゃない! 人の事ガキ扱いして見下してるし!」

「いや、まあ、それは」


 他の全ては桃宮の側に立てるかもしれないが、その一件に限った話をするなら相手が中学生だと認識して接していても責めることなど茶原にはできない。その辺りを正面からぶっちゃけてるのはよくないと思い茶原は視線を横へ逃がして言葉を濁したのだが、それはそれで充分刺激してしまったらしい。


「……なによ」


 向けられる視線は包丁と何ら変わらない鋭さをしている。これは返答を誤ったか、と思う反面この場で正しい返答ってじゃあ何だよと叫びたい気持ちも胸中に渦巻く中、どうやら桃宮の矛先は茶原の方へとシフトしてしまったらしい。


「そもそも何なの、あんた。どうしてさっき止めたのよ」

「どうしてってお前」


 口調のきつい桃宮に言い返そうとして、茶原の言葉はそこで意図せず詰まった。

 ――受付の店員が変な目で見ていたから。事務所から出てきた相手に変な奴だと思われるから。どちらもあの場で茶原の脳裏に走った理屈だが、今それを言葉に出して納得する桃宮ではないだろう。二日続けて顔を合わせて話していればその程度は想像がついた。

 なによりも、咄嗟の判断で動いた自分の理屈を後から言語化してみるとそれは口に出したいと思える理由ではなかったのも大きい。決して間違っている感覚だとは思わないが、それと胸を張って口にできるかはまた別問題である。


 そんな思考に足を取られて固まった茶原に対し、桃宮の方は容赦なく言葉を続けていく。


「お店の中でのことよ。さっきも言ったけど、あの猫が自分からあの場所に行くわけないじゃない? 行方不明になった時の場所からも離れすぎてるし、絶対におかしいもの。それにほら、店内もあんな有様でしょ。病気がどうとか去勢がどうとか、いろいろ心配になる事言ったのはあんた自身じゃないの。あの場で猫を取り返しておいたほうがよかったと思うんだけど」

「それは、そうなんだが」


 店内の物陰に隠すように、そのくせ仮に見つかったとしても反省する気はないのだろうなと容易に想像できる粗雑な置き方をされた注射器は衝撃的だった。

 ちらり、と桃宮の表情に視線を向けて、反射的にまた目が明後日の向きへ逃げた。付き合いが浅いなりに、目の前の小柄な少女は本当に怒る時に笑顔が出るのだと昨日でしっかり学んだばかりである。


「だが、何よ」


 明言を避けたくて逸らした視線だったが、逃がしてはくれないらしい。


「……受付の店員とかからも、不審者見る目で見られてただろ。変に波風立てて、猫を返す返さないどころの話じゃ済まなくなったらよくないから、穏便にだな」

「穏便に行って、どうするの」

「そりゃあ、探しているっていう飼い主に場所を教えて、それで――」

「本気で言ってるの? あんな状態の猫を、飼い主に? 場所だけ教えて後は自分で勝手にやってねって言うつもり⁉」


 渋々といった感じで口に出した茶原の案は、結局最後まで言い切ることを許されずに桃宮の言葉で潰された。


「大体昨日からあんた何なのよ、ずっとビクビク怯えた目ばっかりして! 図体ばっかり大きいくせにウサギにでもなったわけ⁉ 大学のカフェでもまともに相談乗ってくれたかと思ったら、急に視線気にして逃げ出すし! 今日は今日であんな奴ら相手に怖気づいて日和ってるし!」

「日和ってるってお前な、あんな騒いで警察とか呼ばれたら困るのは俺たちだろ!」

「その時はあたし喜んで警察に連行されてやるわよ! 大学の知り合いが探していた迷子猫をあの店が勝手に自分の店の猫として扱って、しかもかなり管理が酷いって警察署なりその場なりで言ってやる! あんたみたいな根性なしと違って、警察の目で調べてって言うためだったらむしろ警察呼んでって頼むところだわ!」


 公園内に他人がいないとはいえ、公共の場であることも忘れたような勢いの桃宮に絶句する。一応同じ大学の顔見知りだとしても、迷子猫一匹のために警察沙汰すら厭わないとはどんな神経だ。さすがに捨て身が過ぎる。


「お前なぁ」


 口調に隠し切れない苛立ちが混じる。そろそろ茶原の方も落ち着いて話すのは限界が来ていた。


「言いたい放題言うけどな、お前のほうこそ何なんだよ? 迷子猫探しにどうしてそこまで捨て身なのかは別にいいけど、後先考えろ! そもそもお前は飼い主さんのなんなんだ? 猫の状態が酷いから飼い主に見せられないってお前、じゃあ猫助けてしばらく献身的にお世話して、健康になってから猫に会わせましょうってか? 誰がやるんだ、お前できるのか?」


 ぐ、と今度は桃宮の方が言葉に詰まる。猫の扱いに慣れていないのは、猫カフェに入ってすぐに見抜いていた。

 怒って事務所のドアを叩きに行くときでさえ、猫の間をかき分ける仕草はガラス細工でも触っているのかというほど慎重だったのだ。猫に限らず、小動物に触り慣れていないから加減が分からないタイプの特徴である。


「何様のつもりかしらないけどな、助けたいんだったらなおのこと、こういうのは自分がやっていい事を見極めろよ。ありがた迷惑や余計なお世話で、それこそ取り返しがつかなくなったらどうする気だ」


 奇異の視線を向けられるのが怖くて逃げたのを日和ったと言われるのは否定できない所だが、少なくともこの件については間違ったことを言っているつもりも無かった。桃宮も一応理解しているのか、先ほどのように噛みついてくる様子はない。

 これでようやく話の続きができる、と茶原は内心で胸を撫でおろした。


「それにな」


 そこから言葉が続くとは思っていなかったらしい。桃宮の童顔は目を見開いて見つめ返してきた。


「根性なし呼ばわりは結構だが、警察の世話になる以外の方法あるならそっちの方が良くないか?」


 そんなのあるの。口の動きだけで聞いてきた目の前の少女に、茶原は「警察沙汰よりはまともに行けると思うぞ」と口の端を歪めて返した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る