第10話 ― 5
「すいません駄目でした」
「でしょうね」
弟の部屋まで行ってきますと宣言してからほんの五分で引き返してくれば、赤尾の言葉に帰ってくる言葉は誰でも似通ったものになるだろう。細かく経緯を聞くまでもなく返した桃宮に赤尾は軽く首をすくめた。
なんだかんだで外見年齢以外は桃宮のほうが上手だ。別に赤尾とて普段「外見中学生」などと言っているからといって敬意がないわけではない。自分が「やらかした」と自覚がある時はどうしても多少の萎縮が態度に出る。
赤尾達が今いるのは飯塚家一階の居間だ。さすがに男女混合で飯塚慧の部屋に押しかけるのは気が引けたし、慧本人も自室が汚いのを理由にして案内してくれたのはこちらだった。
背中を丸めた赤尾から萎縮する気配を感じ取ったのだろう、桃宮は「待った待った、怒ってるわけじゃなくて最初から予想ついてただけよ」と少し慌てた口調で訂正をしてきた。
「レーナちゃんと軽く話して、今回赤尾くんにある程度任せてみようって決めてたのよ。だから止めなかったんだけど、まあ初対面で中学生の子の部屋に赤尾くんが行ったら警戒されるだろうなあって。特に今サボり中でしょ? 赤尾くんは本人から話聞くつもりなんだろうなぁっていうのはわかったんだけど、まともな対応はそりゃ期待できないわ」
「……そこまで読んでたならさすがに止めてくれても罰は当たらないんじゃないっすかね」
自分に任せようとしてくれたこと自体は悪い気がするものではない。一条の件以降で少しは見込んでくれているのだなと、赤尾もその扱い自体は燃える方だ。成長を促すためには口出しをし過ぎない方がよいというのも別に知らないわけではない。
ただ明確に「駄目だ」と言うのでなくともいいから、別の手を考えてみればというようなヒントくらいは欲しかったなあと視線が湿っぽくなった。乾いた笑いをしながら、中学生の白い目に晒されるというのは傷としてそこそこ深かった。
ごめんねー、と横から助け舟を出すのは橙山だった。
「桃ちゃんもほら、後輩の育成とか今年が初めてだし。どこまで助け船出していいかの加減って結構難しいんだよ」
訳知り顔で語るのは本人にそれなりの経験値があるからなのだろう、というのは想像がつく。文芸部の外側で橙山がどんな経験値を積んでいるのかに詳しいわけではないが、少なくとも彼女に小学校以来ずっと縁がある「
なるほど経験則が無い桃宮が止めなかった理屈は分かった。しかし。
「橙山先輩は分かってて見ないふりしました?」
「いやー、戻って来てからどんな反応するかなって楽しみで。ごめーん」
大抵の男がふやけた笑顔で許しそうな、可愛らしいウインク付きの謝罪だった。とはいえ本性を知っている赤尾に通じるものではない。ついでに言えばこの美人な先輩の弱点くらいは赤尾だって知っている。
「向こう一週間部室では禁酒です。飲んだら事務局にある事無い事織り交ぜてチクります」
「反省するから勘弁してください」
トレードマーク化している間延びした喋り方すら消える真面目な声音だった。
そこまで飲みたいか、と呆れるが、構っているといつまでも話が進まない。
なんにせよ手元の情報が足りない状況だ。飯塚慧に頼まれた依頼へ取り組むにしても多少は足掛かりが欲しい。赤尾は、少し迷ってから桃宮に視線を戻して声を掛けた。
「桃宮先輩ならどこから手を付けますか、今回」
「……なんか直球で聞いてくる素直な赤尾くんっていうのも新鮮よね」
まじまじと顔を見つめてそう呟かれたのは、つい先月までの自分の態度のせいだろう。小学校から抱えた嫌な思い出で腐っていた自覚はさすがにある。少なくとも今回のような活動時に桃宮へ「どうしたらいいですか」などと教えを請うことは到底できなかったはずだ。
別に意識しているわけではなく、単に捻くれた理由で肩肘を張らなくなっただけなのだが、わざわざ指摘されるとこそばゆい。返事はあえてせずに視線で続きを促すと桃宮もそれを無視する気はないらしい。小さな咳払いを合図に話題が戻る。
「サボり始めたのは練習試合があってからでしょ? 個人的にはそこが気になるかなぁって」
赤尾もそこには頷いた。というより何か理由を探るならそこしか今はないだろう。飯塚弟――光汰が通っている中学校まで出向いて剣道部のほうに確認を取る、という手段も考えてはみたが即座に却下した。中学校の方からすれば赤尾達文芸部はただの部外者であり、それが生徒の事を調べようとするなど下手をすれば警察を呼ばれかねない。
そうなると頼れるのは現状、目の前にいる飯塚兄しかいないわけで。
「その練習試合について、詳しく聞いたりできるか?」
「ああ、構わないよ。なんなら試合の内容を撮影したDVDがあるはずだしそれも見せられるけど……ただ弟にやる気出させるだけのことに、すげえ本格的な取り組み方するんだな、文芸部」
――その頼れる相手が「ただやる気出させるだけ」って認識だもんなぁ。
それまでサボっていなかった人間がある日を境に突然サボりがちになることも、部屋を訪れた時の目つきも、それなりの理由も無いまま起きる事とは思いにくい。そこが赤尾は気になっているし、おそらく桃宮も、表情を見る限りでは橙山や竹沢でさえ「ただそれだけ」という認識は持っていない。
当人の状況に対して実の兄だけが理解していない事に、少しだけ胸の奥がざわつく赤尾であった。
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