第7話 ― 6

 背が低く太り気味で、群青色のスーツを着て無駄にパーマをかけたババア。

 合流してから竹沢を簡単に紹介を済ませて、それから赤尾達が語った特徴を聞くと真っ先に顔をしかめたのは桃宮だった。


一条いちじょうのおばさんじゃないの、それ……」


 できることならその名前を口にもしたくない、という感情がありありとにじみ出た表情と口調だ。

 苗字が出てきて赤尾の記憶も少し刺激される。竹沢も横で同じように忘れていた名前を記憶の奥から引っ張り出すきっかけになったようで「ああ、そんな名前だったっけなあ」などと頷いていた。


 一条多美子いちじょう たみこ。元担任は確かそんな名前だったはずだ。

 赤尾がフルネームを口にして確認すると、やはり桃宮は頷いた。その横にいた茶原と橙山だけが話についていけない状態だ。


 竹沢に促されるまま連絡を取ったとき、茶原以外は部室の外にいたらしい。大学からはまだ出ていなかったようで、ちょうどいいから赤尾達のいる食堂前でいったん合流しよう、という話になって今に至る。唯一部室にいた茶原曰く、まだ今のところ来客はなかったらしい。

 とはいえ、屋外で見晴らしのいい場所に探されている張本人である桃宮がいるのはあまり良くない。合流した後改めて場所を移し、今は使われていない空き教室で文芸部の面々と竹沢が顔を突き合わせている状態だった。


「ねーねー、桃ちゃん。その一条のおばさんは、そんなに厄介なの?」


 めちゃくちゃ顔に出てるよ、と気遣うような表情で小柄な桃宮の顔を覗き込むのは橙山だ。赤尾の隣で竹沢がさっきから彼女を意識しているのが見え見えで、ああそういえばこの人絶世の美人だったわと思い出す。こんな状況なので深く気にしている余裕はなかったが、慣れとは恐ろしいものである。

 尋ねられた桃宮から橙山への返答は、深く重たいため息だった。


「……厄介なんてもんじゃないわよ、もう。うちの親戚」


 あたしあの人に関わりたくなくて大学を実家から離れたとこにしたのよ、と語る視線は恨みがましさが見て取れる。視線の矛先は赤尾で、それは「赤尾くんならわかるでしょ」と言いたげだ。どうやら語るまでもなく被害者だと見抜かれたらしい。


「そいつは、要約すると?」

「自分の立場と熱心さが全部の免罪符になると信じてやまない独善おせっかいお化け」

「自分の価値観に合わない生き物はたとえ八歳のガキでも徹底的に潰したがるクソ」


 評価は二方向から同時に飛んできた。心底うんざりした口調の桃宮と、敵意を隠そうともしない竹沢だ。尋ねた茶原も予想外の方向から飛んできた答えに面食らい、少し固まってから赤尾のほうにも視線を向ける。

 赤尾からは首を左右に振って返事とすることにした。それだけでも察したようで茶原は「すまん」と短く詫びてきた。


「そのおばさんがどんな人間性かはさておいてだ、そいつが桃宮を探す理由って?」

「あたしの大学進学、あの人だけ猛反対だったのよ。考え方が古くてね。女の子は学歴なんかいいから嫁に貰われて家でニコニコしてなさい、みたいな。自分がそうなれないから身代わりにあたしをそうしたいのよね」

「それはまた……理想主義というか」

「本当に居るもんなんだねぇ、そういう時代錯誤すぎて気持ち悪いの」


 桃宮の話を聞いて話に遅れ気味だった二人も顔をしかめる。一応友人の親戚だからと言葉を選んだらしい茶原に対して橙山は直球だ。赤尾と竹沢はもうその程度で変動する位置に一条の評価が乗っていない。


「これはいよいよ、連れ戻しにきたかなぁ」

「そんなことできるんですか?」

「元々学校の教師続けてて、校長先生とかも務めたせいでコネは無駄にあるのよね。正確な所は知らないけど、教育委員会とかにも顔が効くんじゃなかったかな。事前に話聞いて避けてたつもりだったけど、この大学の理事会とかに顔が利くって言われても驚けないわ」


 そうでなくても声が大きくてこっちの話聞こうともしないし、とぼやく桃宮は今までに見た事のないやさぐれっぷりだ。強引に連れ戻す手段はあるということらしく、その場にいた面々の空気が一気に重くなる。


「これは、赤尾だけじゃなくて桃宮もどっかでしばらく匿う必要あるか……?」


 ぽつりと茶原がつぶやいたその言葉も正直笑えない現実味がある。とはいえそれで根本的な解決になるかと言われれば、とそれぞれが頭を抱えているときだった。


「胡桃ちゃん? こんなところにいたのねぇ胡桃ちゃんってば」


 がらり、と空き教室のドアが開いて、つい先ほども聞いた中年女性の声がした。赤尾からすれば金輪際聞きたくなかった声だ。

 ドアの方を見てみれば、先ほどあった時と同じ小太りのスーツ女が教室内に入ってきたところだった。顔にはやはり作り物のような笑顔が張り付いている。


「お久しぶりねぇ。多美子おばさんよぉ。もう、文芸部なんて参加してるっていうからせぇっかく見に行ったのに、いないんだもの。探したじゃない」


 ずかずかと教室内に入り込んでくる足取りには遠慮など一切なく、その視線は桃宮しか見ていない。他の人間はまるで空気かそれと同等の何かのように無視されていた。

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