§2
竹沢:スタンドアップ・サムライ・ボーイ
第10話 ― 挫折少年の薄墨色
「竹沢さあ、ちょっと時間いい?」
竹沢真一が背後から声を掛けられたのは、部活も終わってこれから帰ろうかという時間帯だった。季節は冬だがそんなことを理由にサッカー部の練習は休みになどならない。今日も今日とて講義を終えてから、身を切るような寒さの中で部員たちとトレーニングに明け暮れた後の帰り道である。
陽はとうの昔に沈み切り、濃紺が空を塗りつぶしていた。地理的にはそこそこ都会の真ん中にあるはずの私立T大学だが、なにせ敷地の周囲は畑があるような場所である。家の近所より圧倒的に数の多い光の点を眺めながらのんびりと帰るこの時間帯は、小学校以来の親友にも教えていない竹沢のお気に入りのひとときだった。
「おう、どーした?」
飛んできた声は同じサッカー部なので聞き覚えがある。自分と同じ一回生であることは知っているので、振り返りながら返す言葉もそれなりに砕けたものになる。
声の主は黒い髪の毛を短く刈り込み、薄いグレーの瞳をしていた。少々低めの鼻と、冬でもお構いなしに若干浅黒い肌がコンプレックスだと自己紹介で語っていたのはもう半年前、五月頃のことだったが話すようになったのは結構最近のことだ。名前は飯塚。
コンプレックスの話が印象的だったせいか、話すようになるずっと前から名前も迷うことなくすんなり思い出せる。親友には情報屋のように扱われているが、顔と名前を一致させて記憶するのを実は苦手としている竹沢にとって、そういう意味ではありがたい相手だ。
「竹沢ってさ、文芸部と仲がいいって本当?」
――噂をすればってこういう時につかうんだっけか。柄にもなくそんな言葉が脳裏を駆けた。
歩くスピードを一旦落として、飯塚が横に並ぶのを待ってから出てきた話題はまさに、ちらりと脳裏に浮かんだ親友の所属している部活についてだった。噂というよりは、単に頭の中で思い浮かべただけではあったが。
「まあ、そこそこ仲がいい程度だけど。どうした、なんか用事か?」
竹沢やその親友が通っているこの私立T大学において、文芸部への「用事」というのはちょっとばかり特別な意味合いを持っている。それは例えば入学したばかりの一回生でも少し調べれば知れるような、暗黙のルールだ。
――事前に防ぎたいちょっとした問題や、個人の間で頑張ったら解決できそうな範囲のトラブルならばお手伝いします。そんな看板は隠そうともしておらず、インターネット上でT大学の文芸部用サイトを調べれば平然と見つけられる。
実質的にはお悩み相談窓口としての活動実績の方が多いらしいとは、つい半月前にあった「部長の退学を止めようぜ大作戦(命名、橙山玲奈)」の折に知った。
ともかく、竹沢が含みを持って尋ねたその言葉に飯塚は小さく頷いた。気の強そうな太い眉は緩やかに八の字を描き、視線もやや下に落ち気味だ。表情としては随分な困り顔である。
「紹介するぶんにはいいけど、あんまり大事だったり深刻な内容は向こうも持て余すぞ。警察が必要な案件なら警察呼んだ方が当然確実だからな」
「ああ、うん。そこは大丈夫だと思うけど。うちの弟についての相談事でさ、ちょっと家族の間じゃ手に余るというか、相談に乗ってアドバイス貰えるだけでもいいんだけど」
やんわり引いた予防線は杞憂だったらしい。
我ながら過保護ではないかと思わなくもないが、小学校から自分はこういう性分だ。それこそ傷付けられたり叩かれたりしている赤尾を庇ったり代わりに殴り返しに行こうとしたりした幼少期からして、竹沢の自覚は親友であると同時に半分兄のような立ち位置である。
赤尾から何度か聞いていた文芸部の活動内容を思い出して、多分それくらいなら余計な気を回さずともいいなと判断してから竹沢は聞く姿勢を取った。
***
「弟の燃え尽き症候群をどうにかしてほしい……なぁ」
朝のうちにメッセージを送ってきた竹沢から依頼を又聞きした赤尾は、ざっくりまとめられたその案件を口に出してから首を傾げた。どうにかしてほしい、などとアバウトに頼まれても正直な所――
「具体的にどうしろっていうんだ、それ」
「身も蓋もなしか、お前は」
時刻は既に夕方で、赤尾も竹沢も今日の講義は全て終えている。普段なら昼間のうちにこの手合いの相談は済ませているのだが、大学に入学してもう半年たてばお互いに親友以外の友達付き合いもそれなりに出てくる。たまには一緒にどうだと声がかかったタイミングと、どうせ夕方に文芸部で合流するのだからという予定が合致すればどちらも別行動には迷いが無かった。
寒い季節になると教室棟からの距離が遠いことに一層の不便さを感じる文芸部の部室には、今のところ桃宮と橙山、それから赤尾と竹沢の四人がいた。話題の中心にいるはずの依頼人はまだ講義が長引いているとかで、まだ到着していない。茶原は今日部室に来ないらしい。
週に一回のどうしても外せない用事なんだ、とメッセージにはあったが、意味深な言い回しの割に赤尾はそれが何なのかを知らない。
だが桃宮や橙山は察していたようで、不参加が珍しいというよりも「普段は土曜日に行くのにね」「今週はお母さんの番なんじゃないかな」などと訳知り顔の言葉が交わされていた。
そこまではいいのだが、同じ話題にすんなりと竹沢が混ざっているのだけはそこはかとなくつまらない。
うちの部のことで俺が知らないことを何故お前が知っている――と、身も蓋も無い発言が飛び出すのにはその辺りの機微があった。
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