番外編 ― 8

 店内に入ったらまずはどうするか、どうやって猫と飼い主の関係性を証明してやるか、相手がごねたらどう説得するか。

 入店直前まで茶原が必死に頭を回していたそれらの内容は、結果として完全に不要だった。外見からして入店を躊躇うようなその猫カフェに米田が入店したその直後、店の奥から例の白猫が駆け寄ってきたのだ。

 受付に立っていた店員が何かを言うよりも、米田の反応の方が早かった。


「ミク! 間違いない、ミクです!」


 毛並みも乱れて、写真の真っ白だった姿と比べれば薄い灰色にすら見える有様だが、それでも絶対的な自信が乗った声で米田がそう告げる。しゃがみこんで、駆け寄ってきた白猫を抱きかかえた彼の目元は、うっすらと光るものが滲んでいた。その様子を見て茶原は安堵と共に驚きを覚えた。

 犬は三日飼えば三年恩を忘れず、猫は三年の恩を三日で忘れる、などというのは動物を飼っていたり頻繁に関わっていると実例込みで聞く言葉だが、何事にもやはり特例というものはあるらしい。単にミクが義理堅い性格だっただけなのか、それとも三日で忘れられないような恩を感じるほど、米田がミクとの暮らしを大切にしていたのか。

 どちらにせよ、猫探しに付き合って米田をここまで連れてきた甲斐は十分にあった。


 確認が取れて、飼い主と猫を再会させることはできた。ならば次にやるべきことは。

 状況が呑み込めずに固まっている受付係の店員に、茶原は向き直った。睨むでもなく、表情を険しくするでもなく、ただ無表情で相手の目を真っすぐに見つめる。普段これをやらないのは自分の顔が相手に与える影響を嫌というほど熟知しているからだが、この場ではむしろ相手には気圧されてもらったほうが手っ取り早い。


「すみませんが、責任者呼んでもらえますか。この猫について、お伺いさせていただきたいので」


 案の定と言うべきか効果は悲しくなるほど絶大で、茶原の言葉に対して無言のまま壊れた機械のごとく首を縦に繰り返し振った後に店員はその場から逃げ出した。青ざめた顔で店内奥にある扉のほうへ向かって、そのまま扉の向こう側へと引っ込んでしまった。


「ちゃんとそういう態度も取れるんじゃない」


 横からそんな声が聞こえて視線を向けると、桃宮は口角を緩やかに上げて、からかうような視線で茶原を見ていた。


「あんた普段からもう少し堂々としたら? 視線があちこち泳いで自信ない顔してるほうがよっぽど犯罪者っぽいわよ、後ろめたそうで」

「堂々とした結果、店員逃げたけどな」

「そりゃ相手が後ろめたいからでしょうよ。その図体その目つきで、俺何も間違ってません悪いことしてません、って態度なら悪いことしてる相手は自分の悪事を叩きに来たんだと思って逃げたくなるわよ。あんた海外のコミックとか見た事無い? 筋骨隆々でいかつい顔した奴ばっかりよ、向こうの正義のヒーローって」


 思わず目を丸くして言葉を無くした。二十年弱の人生で初めて聞いた新解釈だ。

 言われてみれば確かに、誰でも知ってるような世界的アメリカンヒーローを筆頭に、主にアメコミのヒーローと言えば眉間に皺の寄ったマッチョマンが多い。外見的条件を文字にだけ起こせばそれは自分だ。違うのは気の持ちようと、背筋がきちんと伸びているかどうかくらいかもしれない。

 たっぷり五秒は返す言葉を探して迷ってから、ようやく口が動く。


「……アメコミ式ヒーローか、今の俺」

「堂々としてるぶんにはね。羨ましいったらありゃしないわ」

「なんだそりゃ」


 たどたどしい問いに対する切り替えしはまるきり拗ねた子供のそれで、思わず噴き出した。怖いと言われて避けられることばかりの自分の外見を、即座にヒーローみたいで羨ましいと言い切るこのちびっ子少女の言葉は嘘に聞こえない。

 嘘に聞こえないからこそ、馬鹿にするわけではなく、面白い事を言うやつだなと素直に思った。


「じゃあ、この後もきっちりやらなきゃな。悪役相手にビビるんじゃ、せっかくヒーロー呼ばわりされたのに申し訳が立たない」

「そんなことしたらその背中蹴っ飛ばしてやるわ、覚悟しなさい」


 おどけた口調で呟く茶原に間髪入れず飛んできた威勢のいい声は、既に茶原の方を見ながら喋ってはいなかった。視線は店内奥の扉。今ちょうどそこが開いて、つい先ほども対峙した中年男性が顔を出したところであった。

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